【4】書籍関連

 らんちゅうに関する書籍も深く分析しています

2016年4月14日 (木)

再度書籍の紹介~『金魚三昧 第二号』~

こちらもご紹介しておきます。

『金魚三昧 第二号』

「京都らんちゅうの系譜」と題して寄稿しているんですが、京都らんちゅう・京都筋らんちゅう・宇野系らんちゅう・宇野らんちゅうという用語に興味がある方は必見です。

なおかつ拙著『宇野系らんちゅうの魅力』をお読みになり、『肉瘤考』をご覧になって共感された方はこちらも是非一読されたほうが良いと思います。

Img_0001_r 『金魚三昧 第二号』 旭東企画 2009年 2857円

宇野系らんちゅうはどのようにして成立したのか?

ルーツは?

などの疑問に私が調査したことをご披露して愛好家の皆さんに問うています。

コラムも充実していてきっと満足していただける内容となっていると自負しています。

20160414_084244_r

『京都らんちゅうの系譜』

-忘却の宇野式らんちゅうの会派を振り返る

●宇野仁松翁の遺産

●宇野系らんちゅうの会が各地に

●異彩を放つ一つの会があった

●藤井四朗氏の会

●宇野氏と藤井氏

●変遷する会の名称

●各地の精鋭が集う異色の会

●いろいろなタイプの魚が集う

●藤井四朗氏の夭折

●「京都らんちゅうの会」の解散

●京都より下野した有志

●「京都らんんちゅうの会」の再考、そしてその意義

●発展的な継承へ

●忘却から伝説へ

以前存在した「京都らんちゅうの会」の足跡を辿ることによって宇野系らんちゅうの歴史を振り返って浮き彫りにする試みです。

特にコラムは必見です。

◆コラム1:当時の関西の動き 1960年代~現在について

世の中の動きと趣味としての宇野系らんちゅうを概観しています。

◆コラム2:らんちゅうの改良について

宇野氏と改良について考察しています。

◆コラム3:宇野氏が生み出した「京都式らんちゅう」とは?

ここに書かれていることが一つでも欠けていたら宇野系らんちゅうと呼ぶに値しないのではないかと思います。これは事実です。

あと、拙文に書いた一節をご紹介します。

筆者は当時の利害関係や諸々の人間関係とは無縁なので、中立的な立場で取材を行っていると考えています。すべてのらんちゅう愛好家に、多角的取材に基づいて、筆者の観点を織り交ぜながらも、冷静に歴史を紐解き、宇野仁松翁の人物像を浮き彫りにしようという試みが目的であることをご承知おきください。

こんなこと私利私欲でできません。一部の若い人が自己満足の為に古い愛好家を訪問しても無意味だと思います。明確な目的が無かったらかえってご迷惑かもしれません。
多くの愛好家が互いに意見交換しながら積み上げて行くことがらんちゅうの発展に繋がると思うのです。

私は、もっともっとらんちゅうのことを多くの愛好家に知ってほしいという気持ちだけなんです。

話しが逸れましたが、是非体系的にこのような書籍で座学もよろしいかと。(^^;)

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再度書籍の紹介~『金魚三昧創刊号』~

ネットの情報の限界ってやっぱりあると思うんですよね。情報が散逸的で体系的に頭に入ってこない。凝縮されていないというか。このブログのように時系列で並んでいる場合、どうしても欲しい情報に辿り着くのに時間が掛かったりして。。。。

そんな時はやはり従来の書籍に軍配が上がると思うんです。

このブログで一貫して主張していることや情報は、知らない人も多いのですが、実は書籍に発表しているんですね。その文章をまず熟読してこのブログを読まれたほうがよろしいかと。

その本が売れたからと言って私には一銭もお金は入ってきません。(^^;) 何故なら書き上げた文章に対しての謝礼を頂いているだけなので、その本が何部売れようと関係がないんです。

だから純粋に私の調べたことを広く知ってほしいという気持ちだけで申し上げているんです。こんな一介のブログなんかには、らんちゅうの真実はこれっぽっちもありません。本当に知りたい情報はタダではなく有料なんです。ネットの無料情報には限界があります。異星人か何様か知りませんが、ネット上で魚を飼っているだけでは駄目なんです。

何度も書いているんですけど、再度ご紹介します。

Img_r 『金魚三昧 創刊号』 旭東企画 2007年 2857円

『金魚三昧 創刊号』、こちらに私は「肉瘤考」なる一文を寄稿しています。

このブログを読むに当たっては是非当たって頂きたいのです。

目次をご紹介すると。

「肉瘤考」-異形(いぎょう)の金魚、らんちゅうを考える 

◆宇野式らんちゅうをテキストに◆

●はじめに

●現代らんちゅうは元来『獅子頭らんちゅう』と呼ばれていた

●らんちゅうにおける肉瘤とは

●らんちゅうに個性は必要か

●肉瘤の科学的な定義と歴史的資料
 ・松井博士の論述
 ・宇野仁松氏の考え
 ・石川亀吉翁の肉瘤の見方

●頭部の名称について

●肉瘤の基本的なタイプの説明

●「おかめ」とは

●フナに戻ろうとする形質

●肉瘤の変遷

●肉瘤の多様性

●一過性の美の追求より完成美を

●肉瘤のバリエーションに欠かせないトキンとは

●種魚の重要性について

●肉瘤の審美的考察(肉瘤に求められる形状と資質)
 ・メリハリの効いた肉瘤
 ・立体的な肉瘤
 ・鑑賞者の審美眼

●肉瘤私論
 ・日本と中国の肉瘤についての比較論
 ・肉瘤とは醜いもの?
 ・肉瘤が『美』に昇華する仕組みを考察する
 ・醜いものが美しいものへ

●そして新たな地平線へ

計13ページ(本書128ページ)

因みに『金魚放談』と題して杉野氏、川田氏と私が対談しておりますのでそちらもお読みになっては?と思います。(11ページ)

是非まだ手に取ったことがない方はご覧になってください。高い本ですが永久保存版だと私は思っています。

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言わせていただくと、

この文読まずして肉瘤を語ることなかれ

手前味噌で申し訳ないんですが、それぐらい気合が入った文なので是非手に取って読んで頂いてこのブログをご覧になって欲しいと切に願うのです。

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2016年3月12日 (土)

『センスは知識からはじまる』~読書ノート~

三寒四温、今日は寒いです。

少し間が空いてしまいました。体調不良(インフルエンザ等)でパソコンの前に座るのが億劫になって・・・・。

今回は読書ノートです。

良く「彼はセンスがあるから魚が見える。」とか言います。自分が“魚が見える”とうぬぼれている人、または“魚が見えない”とお嘆きのあなた。朗報です!

そんな考え方が馬鹿らしくなる本のご紹介です。

センスは持って生まれたものだから魚が見えないのも仕方がないと諦めている方が居るなら本書は良薬ですよ。

本書は、あのクマもんをプロデュースした水野学氏がセンスについて解説した本なんですね。

Img_0005 水野学 朝日新聞出版 2014年

例の如く、この本を読むに当たって念頭に置いていることは、そう!らんちゅうなんですよ~

当てはめて考えるとどうなのか?を絶えず意識して私は読んでいます。そうなので少しらんちゅうに寄せて具体例ともども書いていきますね。

著者は、そもそもセンスとは何か?から定義されています。

センスとは数値化できない事象を最適化すること

これだけでは分からないですよね。

そのためには、

普通を知ることこそ「センスのいい/悪い」を測ることができる唯一の道具

とされています。

 

「普通」を知っていればありとあらゆるものが作れる

では「普通」を見つけ出すにはどうするか?

多面的、多角的にものごとを測った上で「普通」を見つけ出す作業

が必要になるとのこと。

その作業はどうのようなものか?

思い込みを捨てて観察してみる

謙虚に学ぼうとする姿勢が大事なんでしょうね。自分が「良い」と思っているその漠然とした感覚を深く分析しないといけないんです。

センスの最大の敵は思い込みであり、主観性です。思い込みと主観による情報をいくら集めても、センスはよくならない。

良く「好き嫌い」を尺度にされる愛好家が居ます。『~系統は気持ち悪い。』とか。そもそもらんちゅうに対して『気持ち悪い』という評価基準を口にする時点で失格なんですけど。(^^;)

そんな“主観的な好悪の感情による思い込み”ほど必要ないものだと分かりますよね。その思いを外してどんどんサンプルを増やしていく作業(知識の集積)が何よりも大事だと仰っているんですね。

らんちゅうなら数多くの魚を見ること。

ものの見方が増えることによってセンスの良さが養われる

センスを磨く上で、好き嫌いでものを見るのは禁物です。好き嫌いとは、客観情報と対極にあるもの

「気持ち悪い」なんて感情で魚を見ている時点で、その愛好家は“魚が見えていない”ことを自白しているようなものなのだと分かります。

不勉強と思い込みはセンスアップの敵

まさに至言。

「美しい」という感情は基本的に未来ではなく過去に根差している

そうですよねえ。つまり、どれだけ美しいと言われたものを引き出しとして蓄積しているかがセンスなのだということです。

本当に簡単なことを、「これが重要だ」と認識し、日々実践していくこと。その繰り返しを続けることが難しい

『継続は力なり』は私の座右の銘。これが中々できないんです。

センスは知識の集積である

簡単に人をけなすのに「魚が見えない」なんて言う人がちゃんちゃらおかしいのが良く分かりますよね。

感覚とは知識の集合体

「好き嫌い」の感覚ではありませんよ!

センスが知識の集積である以上、言葉で説明できないアウトプットはあり得ない

勇気が湧いてくる言葉だと思いませんか?言葉としてアウトプットできないものはないなら、このブログをやっているその存在価値はあるということだと思うんですよね。

センスに自信がない人は、自分が、実にいかに情報を集めていないか、自分が持っている客観情報がいかに少ないかを、まず自覚しましょう。いくら瞬時に物事を最適化できる人がいたとしても、その人のセンスは感覚ではなく、膨大な知識の集積なのです。
センスとはつまり、研鑽によって誰でも手にできる能力と言えます。決して生まれつきの才能ではないのです。

この『センス』を『魚が見える能力』に置き換えてみてください。ほら、自信が湧いてきませんか?

そして名人は、知識の集積だと言いきっているんです。心強い!

私が前から言っているように、魚の良否を判断する基準を教える人が居ないから見えないだけなんです。たとえ知っている人でも、品評会中心なので、基本競争ですから教えないんです。教えたら自分が不利になるから。大事なことは教えたくないんですね。

「いいな」と思った根拠を言葉にするのがとても難しく、なかなか言語化できないので「なんかいい」「いいものは、いいんだ」と片づけてしまいますが、実は説明可能です。

私はこれをブログで実践したいんです。

日々どうしたらセンスが上がるか?

美しいと感じた体験の集積が、僕の中の「普通」という定規になっているのです

どれだけ「美」に触れあう体験を意識的にするかということですね。それは、魚ばっかり見ていても養われないということです。美的体験は、積極的にARTや美術や芸術に触れること。

「わからないのはセンスがないせい」ではなく、「わからないのはセンスを磨く努力をしてないせい」

「魚が見えないのはセンスがないせい」ではなく、「センスを磨く努力をしてないせい」なんです。

感受性+知識=知的好奇心

「美しい」と思える心、そして貪欲な知的好奇心が両輪となってセンスは磨かれるんですね。

何も諦める必要がないことが良く理解できます。

若いのに凝り固まって自分の偏った尺度で物事を判断する怠慢こそがセンスアップの敵だと分かるでしょ?

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2016年2月24日 (水)

『新らんちうのすべて』~読み合わせ【第4回】~

まだまだ寒い日が続きますね!

前置きなしで続けますね。

本書39ページ

・肉瘤はないほうが泳ぎやすい

・背も高くて峰気味のほうが、背ビレの代わりになるので泳ぎやすい(和金の流線形は泳ぎやすいようになっている)

・尾形も畳んでるほうが泳ぎやすい

“泳ぎ”というものに関して考えてみましょう。

Q:何故、魚は泳ぐのか?

A:生きるため。
種の保存の法則において、より生き抜くために必要なのは泳いで餌に到達しなければならない。生存競争において、他の個体より、より確実に餌に辿り着くための能力として早く泳ぐことが有利だから。

しかし、私たち愛好家が求める“泳ぎ”と生理学的・生物学的な“泳ぎ”は、そもそも前提が違う。

愛好家の求める“泳ぎ”=美的泳ぎ←生存とは無関係

本来の“泳ぎ”=生物学的泳ぎ←生存には不可欠

自然界で生き抜くには、フナの形が理想的なので何百万年も掛けてその形に集約されて来たと考えられます。

だから間違えた掛け合わせをすると数代で“フナに戻る”と言われるのです。

ある時、らんちゅうの入った池を見たらフナに戻っていたってことはありません。むしろ数世代掛けて、飼い主が気づかないうちにフナに戻って行くと考えた方が良いでしょう。

「いつの間にか、頭が出なくなった。」

「この頃峰が目立つ個体が増えた。」

「背が高い個体が増えて来た。」

とかは、交配を間違えてフナに戻りつつあると考えられます。

何世代も掛かるので飼育者は気づかないことが多く、気づいた時は後の祭りということが多々あるのはそのためです。

金魚の突然変異は絶えず出現していたのでしょう。フナの遺伝因子は大変複雑で、いわゆるコピーミスによる変異個体が絶えず発生していたようです。しかし、そのような個体は淘汰圧によって生き永らえることが出来なかったんですね。

要するに、らんちゅうにおいて泳ぎやすい体形を追求すると、フナの体形に逆戻りすると結論付けられることを本書で論証しているのです。

私も遊泳美とは何かを、もっと言葉にしたいのですが、まだまだ頭と胴のことで手いっぱいなんです。いずれ考察して発表したいと思っています。

今日はこんなところでしょうか。

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2016年2月 6日 (土)

『新らんちうのすべて』~読み合わせ【第3回】~

 28ページの右の真ん中あたりに、囲み表があります。

 

この図【第二回】で指摘した渡谷氏が大事にしている3点と微妙にリンクしていることが分かります。

 

1.目幅があり、兜巾との境目がハッキリした頭(グチャグチャでないもの)であること

2.背出しが低いこと

3.峰を見せないこと

4.丸筒に近いこと

5.これらの要求に対して、摂理的に矛盾するしっかりした尾形を持つこと

この部分は、実は全てのらんちゅうの基本となる考え方をまとめたものです。したがって系統は関係なく大事にしなければならない部分なんです。

 

しかし、ベテランの方でも明確にこの条件を指摘する方は今までいらっしゃったでしょうか?寡聞にも私は聞いたことがありません。らんちゅうのハウツー本にも書かれていないことです。

 

何故渡谷氏は、この5条件に気が付いたのでしょうか?

 

先達から断片的には聞いていたこともあったでしょうが、恐らく渡谷氏が人とは違うやり方で検証してきたこと大きな要因だったのだと推測されます。それは前後の文を読めば証明されています。 

 

ならば、この5条件は【第二回】の3点とどう違うのか?

 

36ページ【品評会を目指す上での種親の留意点と飼育法】の項目で
 

・「なるべく5つの条件(前章参照)----右下から16行目
 

・全く違う5条件を意識し-------右下から13行目

 

・5つの条件-------右下から4行目

 

要するに、3点はこの5条件に内包されると考えればよいと思います。

 

思うに、執筆のある時点で3点では足りないということになって、より分かりやすいように2点付加したと考えたらよいのではないでしょうか。または、実際の個体で検証する際に、3点を抜き出して分かりやすく解説したと考えればよいと思います。 

 

前述のように、5条件のほうがより包括的であるのは確かです。

 

5条件をもう少し解説すると、1~4の条件を高度に保ちつつ5を達成することが会用魚の究極の形なんだと思うのです。

 

さてさて、尾形を大切にする従来の考え方に渡谷氏は早くから疑問を感じられていたことが以下の文で明らかです。

 

それは、37ページの囲みに

 

1) 太さと尾形を求めるために、太くて尾形がガッチリしたもの同士で交配をくり返すと、その子供はどんどんかしらが悪くなってしまった

 2) 一方、頭の上がりが良い魚を使って仔引きをくり返すと、今度は頭は良くなったが尾形がなかなか付かない

 という

 

頭と尾形の相反性の矛盾  をどう考えるかで魚の残し方も変わると思います。

 

この渡谷氏の言には沢山の示唆に富むエピソードが書かれています。誰もやったことがないらんちゅうの種親選びを突き詰めて考えるとこうなる!ということが惜しみなく披露されていることに私は驚きさえ感じます。

 

例えば、

 

 仲間との協力体制
 一対一の掛け合わせ

 ハネた魚だけを飼ってくれる仲間の存在

 このような体制と戦略が“気づき”を生み出したのだとわかるでしょう。

 

欠点があり品評会で使うのは難のある魚が、次第に欠点が目立たなくなり(我慢で通る程度に、)渡谷氏が残している魚より良くなることが、何度か見受けられた(37ページ)

 

渡谷氏が種親として使いたくなったのは、当歳時にハネたほうでした。(38ページ)

 

あれ?どこかで聞いた話じゃないですか?デジャブ(既視感)みたいな。

 

そう、このブログをお読みの方なら素直に頭に入ってくるのではないでしょうか?

 

渡谷氏は決して宇野系のお話をされているわけではありません。なのにこの既視感。

 

ハネた魚に良い魚がおるのに決まっている

 

この言葉は誰の言葉か、もう説明を要しませんね。渡谷氏が気づかれたことをもう40年以上前に気づかれた先人が居たんですね。

 

当歳でハネられない→数多く飼う→種親を見極める→会用魚にフィードバックする

 

そのような流れが見て取れるでしょう。

 

さて、さらに皆さんが気になることがサラっと書かれていることに気づかれましたか?

 

尾形と頭のどちらを維持するのが難しいかというと、頭です。頭が出なくなった魚達から頭を良くするために色々やってみましたが、かなり難しく、思う結果が得られませんでした。(38ページ)

 

尾形については、頭より遺伝しにくい傾向が高いと思います。毎年、尾形の良いもの同士で採っていましたが、なかなか思ったような尾は出ませんでした(仮に5000匹生まれたとして、数匹の良い尾しか残らないとしたら、それは遺伝したとは言えないような気がします)。その反対に尾形が良くないもの同士から良い尾が数匹以上出ることも珍しくないので、尾形が付くか付かないかは、採ってみないとなんとも言えないというのが正直な見解です。(38ページ)

 

私たち愛好家が思い描く尾形は遺伝性が低いと渡谷氏は考えられていることがこの文章で読み取れます。

 

つまり、言い換えると、理想とする尾形はバリエーションの中の一パターンであるが、より強固な遺伝傾向としての維持は困難である

 

と結論付けられるかもしれません。

 

でもね渡谷氏も仰っているように、所詮仔を採ってみないと分からないのがこの世界であると。そこが難しくて面白いところなのでしょうね。

 

誰よりも思慮深く戦略的に、なおかつ実践的に経験を積み上げられた渡谷氏の言は、大変示唆に富んでいます。系統に関係なく、尾以外の、らんちゅうとしての素質を見抜くことを優先して魚を残す方法がここに吐露されているのです。

 

頭と尾とどちらを優先すべきかの指針は、この章に余すことなく表現されていますね。

さらに付け加えると、

 

当歳が小さいことに関して

 

最初は「魚体が小さいから、まだ崩れてないだけ」と考えて・・・・・当歳時に抑えて飼っていた魚のほうが2歳以降になると質が良くなる魚が多いという結果が出ました。(38ページ)

大きくした仲間達の魚は無理な飼い方をしても崩れなかっただけの魚で、言わば硬くて崩れにくい魚、つまり、言葉は悪いですが、渡谷氏が残した魚と同様、無傷無欠点の駄金でした。(39ページ)

 

早期に選別をして駄金しか残さないより魚の質が分かるまで選別をせず残すことの重要性を説いていることがこれで分かるでしょう。

 

渡谷氏はそれを実践して結論に辿り着いているのです。この結論は、拙ブログで提唱している考え方であり飼い方と寸分違わないことに気づかれるのではないでしょうか。

 

そして私が思うことをもう少し書きますと。

 

らんちゅうの改良・保存・維持は一人ではできないということ。

 

いかなる協力体制の下で、共通認識を持ちながら飼育を遂行していくかという構想力と実行力がらんちゅうの改良に不可欠であることを知ってほしいのです。

 

ロマンや妄想の類ではなく、そして頭の中で魚を飼っているような人ではなく、私たちは品種改良とは何かをもっと突き詰めることが何よりも重要なのではないでしょうか。

 

科学的根拠をいつも頭に入れつつ。


あとネットには魚は居ません。あくまでリアルに生き物として存在するだけです。魚の質を見極める作業を実物を見ながらではないと何も分からないのです。勘違いしないでください。

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2016年1月29日 (金)

『新らんちうのすべて』~読み合わせ【第2回】~

前にお知らせで述べましたように、この本、結構骨があります。小骨が一杯あって、その度に立ち止まって前後の文章を確認する作業が必要で、中々頭に入ってこないんですね。

大変示唆に富む内容なのにそれでは勿体ない、少しでも多くの愛好家に理解を深めていただきたいというのがこの「読み合わせ」の趣旨です。

さて今回は、テキスト(本書)の最も注目されるべき部分を真っ先に解説したいと思います。

それは“会用魚”について詳述した部分。

27ページから51ページで薄緑色の下地の部分。
参考魚による検証と解説について

他のらんちゅう関連本には一切書いてないことが堂々と書かれています。この部分を熟読しておけば会用魚のポイントは誰よりも理解できたことになるはずです。

何故この部分が業者をはじめ愛好家の話題や物議を醸さないのか?

会用魚の良否のポイントが誰でも分かるようになると魚をさばく業者あるいはセミプロは、理解したくないので多分無視せざるをえないと思うんですよね。

でもね、逆に考えると、多くの愛好家が目が肥えることになって、今迄無意識的であったことを意識するようになって供給する側もレベルアップし、品質の高い個体は今以上に高額で取引されるということになるのだと思うのです。(良心的な業者しか残らない。)

らんちゅうの将来を長い目で考えた場合、きっと良い方向に進むのだと思うんです。

この章(27ページから51ページ)が分かりにくくなっている主な原因は、

1) 著者の川田氏と渡谷氏の言が錯綜しているから。いちいち文章から渡谷氏の発言なのか川田氏の発言なのかをねじれた文章から類推する手間が発生している。

 

2) 豊富なサンプル画像が提示されているが、読み進めながら画像を探すことになり、一旦文章から離れるので、前後の文章の内容が中々頭にすんなり入ってこない。

 

3) レイアウトの吟味が間に合わなかったのか、中身もかなり煩雑でキモになる部分が強調されていないので、とにかく分かりにくい。

 

4) もっとページ数を割いて交通整理すべきで詰め込み過ぎの感は否めない。

それでもこの章が画期的なのは、実際の入賞魚をサンプルとして、他人の魚を批評するとなるとその魚を貶(けな)すことになりかねませんが、ご自分の魚なので普通は憚(はばか)れる批評も本音でポイントを説明できる点です。

そして実は、この例示されたポイントは、あらゆるらんちゅうに当てはまるものなんです。協会系やら宇野系などの系統や愛好会ごとの審査ポイントと程度の差こそあれ相違はないんです。渡谷氏は誰も教えてこなかったらんちうの基本中の基本を披露してくださっているのです。

因みに渡谷氏は協会系と宇野系のどちらにも造詣が深く、品評会用の魚の基本には変わりがないことを熟知されています。

テキストの解説に入る前にまだしなければならないことがあるんです。

27ページ~51ページ  【品評会で競い楽しむ らんちうの検証】

まず読みやすいように工夫をしてみましょう。

以下の部分をラインマーカーで目立つようにしてみてください。

30ページ 左下から12行目 (A) 首根っこが気になる見本

左下から5行目 (B)良い見本 同様に。

その下の(A)首根っこが気になる見本の魚」の部分も同様にマークしてみてください。(※鍵括弧の意味が分からないですよね。)

その要領で鍵括弧でくくられた(B)~」のようにアルファベットが書かれている部分は、以後全てマークしてみてください。

20160128_181943_r良い見本と悪い見本とマーカーの色を変えるのも良いかも

そうすると、かなり前後する部分が浮き出てきて分かりやすくなると思います。画像を見てもすぐに文章に戻れるようになると思います。

【マークする部分一覧】

30ページ 左下から12行目 (A) 首根っこが気になる見本

     左下から5行目 (B) 良い見本

     左下から2行目 (A)首根っこが気になる見本の魚」

30ページ 右上から1行目 (B)良い見本の魚」

     右上から10行目 (A)首根っこが気になる見本の魚」

   同  11行目  (B)良い見本の魚」

     右下から9行目 (B)良い見本」

31ページ 右下から15行目 (C)峰が気になる見本」

   同    10行目 (D)良い見本」

32ページ 左上から6行目(C)峰が気になる見本」

   同  右上から3行目 (E)筒元が気になる見本」

   同  右下から8行目 (E)筒元が気になる見本」

   同      7行目 (F)良い見本」

   同 右下から 6行目 (F)良い見本」

   同 右下から4行目 (E)筒元が気になる見本

このそれぞれの頭に付いているアルファベットが画像と連動しているので、それを頭に入れて見ていくと理解しやすいと思います。

それから、特に致命的な脱落があるので全く意味が通じなくなっていることがあります。

ここからが理解する上で最も重要な部分となります。

32ページ右下

「1) の頭と胴の境目」、「2)の峰っけ」と連動しているためです。

上の文章の1))はあまりにも唐突です。

さらに、

34ページ左上から4行目

前置きで申し上げたような、1)、2)、3)

がどこにも見当たりません。

さらに、

35ページ 左上から3行目、

1)、2)、3)を満たさない魚

35ページ 左下から11行目

やはりこれは、1)、2)、3)を留意して取り組んだ結果だと思います。

その下の、1、2、3、を追求しながら、会用も極め続けたい

1)))とは何か?

実はこの説明がレイアウト段階で抜け落ちたようなんです。

渡谷氏の最も大事にしている部分とは、

1) 頭と胴の境目がVでないもの

 

2) 峰を見せないこと

 

3) 筒元がなるべく丸に近く、三角でないもの

 

要は、

表1の表題が1)

 

表3が2)

 

表4が3)

 

に対応してるんですね。

20160128_182102_r 表1と書かれた右側の「頭と胴の境目がVでないもの」の前に1)を付けると分かり易い。

その表と画像は良い見本と悪い見本がそれぞれ対比しているのと連動しているわけです。

何故こんなことになったのか?渡谷氏に問い合わせたところ、どうやら原稿の遅れで見切り発車してしまって、レイアウトの吟味が出来ずに発行されたのが内情のようです。

ん~勿体ない。少しでも多くの愛好家の共通認識にしてほしい部分がこれでは。。。。

版を重ねる場合、是非改善していただきたいものです。

今回は皆さんが理解に苦しんだであろう部分を前段階として解説させていただきました。

内容に関しては次回ということで、上記の内容を踏まえて読み込んでみてください。

 

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2015年12月 9日 (水)

『新らんちうのすべて』~読み合わせ【第1回】~

お待たせいたしました。

話題の『新らんちうのすべて』の、ふんぺい的解説を始めたいと思います。

まず最初に、当書の発刊に関する背景を少し。

一部のらんちゅうの本質を深く追究したい愛好家に熱狂的に受け入れられた、前著『らんちうのすべて』が大人の事情??で絶版になった影響で、コアな部分は残しつつ全面的に増補改訂されたのが今回の『新らんちうのすべて』だと位置づけられると思います。

主にどこが新しくなったか?を挙げると。

①「らんちうであることの存在理由とは何か?」を豊富な画像と図で解説する部分を大幅に増やした。(6ページ~26ページ)

キーワードは、“フナに戻る”です。

特筆すべきアイデアは、骨格写真や肉瘤の組織構造(26ページ)です。

②本書の目玉は、渡谷氏の会用魚の解説です。(27ページ~51ページ※紙面が薄緑色なのですぐ分かりますね。)

ご存じない方もいらっしゃると思いますので、渡谷卓司氏のことを書いておきます。

渡谷氏は、90年代に関東を中心に活躍されたらんちゅう愛好家なのですが、観魚会を筆頭にその活躍の場が多岐に渡っているんです。『らんちゅうカタログ』成美堂出版刊で、当時良いなと思った魚が軒並み渡谷氏の魚だったのを覚えています。

そんな誰もが認める実力者が、会用魚の解説を損得無しに披露しているのだから困っているベテランも多いのでは?と思えるんですね。

この二点が主な追加点なのですが、ここがまた文章がねじれていたり分かりにくいと専らの評判で・・・・。

Photo
あと、本書の趣旨は図解すると上のようになるのでは?と私は思っています。

協会系(日らん系)と宇野系というらんちゅうの二つの潮流がありますが、どちらの系統にも共通する“らんちゅうの基本”があると思うんですよね。

型とかタイプとかテーストとかを抜きにして、『らんちう』の大事にしないといけない土台になる部分。

それは先達が極めた“らんちゅうに対する考え方”で、全てのらんちゅう愛好家が目指すべき肝であるということ。

これを分かり易く解説するのが本書の趣旨だと思うのです。

本書の内容は、協会系も宇野系も関係ない共通認識としての『らんちうのすべて』なのだと私は思っています。

さあ、『らんちゅうの基本』とは何ぞや?という問いをこれから一緒に読み解いてみようと思います。お付き合いください。

次回より項目別に見て行くことにいたします。

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2015年10月30日 (金)

金魚本~ハウツー本の数々

金魚のハウツー本は、おしなべて同じような書名です。どこからどこまでが書名で、どこからがサブタイトルか分からないんですよね。

そもそもネットが発展する前は、ほとんどの情報がこのようなハウツー本からしか得ることが出来なかったんですね。だから、新たに書店で見たことがない本が出ていたら、ほとんど知っている内容であっても、少しでも知らない記事があったら購入して貪るように読んだ記憶があります。

その中でも、私が一番最初に買ったのが以下の本です。トイレまで持ち込んで読み込んだものです。金魚の写真を見ては、自宅の水槽に泳がせるのを夢想していたものです。

Img_r_2 『金魚の飼い方』成美堂出版 1994年

ま、ほとんど同じ内容なんですよ。解説するにもあまりないんですよねえ。

Img_0001_r 『やさしい金魚の飼い方』 梶純夫 有紀書房 1995

Img_0002_r 『上手な金魚の飼い方』 熊谷孝良 東京書店 昭和57年(1982)

熊谷氏の本には少しコメントしておきますね。他書と比較して情報が専門的で、遺伝の実際などより詳細な情報が欲しい愛好家には重宝する内容です。飼い始めた頃は難しかったですねえ。

Img_0003_r 『金魚百科』 渡辺良夫 星電社 1984年

この本は、どちらかというとショップに置いていた記憶があります。内容は専門的で今でも読みごたえはありますね。

別エントリーでご紹介すべきなんでしょうが、もう少し見ていくと。

Img_0005 13ページ

この2尾、どうやら宇野系のようですね。上は間違いなく宇野系です。

でキャプションには、上下2尾は品評会向けではないと!(^^;)

「ランチュウそのものの可愛らしさ」というものに注目されているようです。

因みに

Img_0008 15ページ

このオランダシシガシラの四角い座布団乗せているみたいな個体。良い感じです。

さらに、

Img_0009 35ページ

ハマニシキと明記されています。当初、名前に“錦”とあるようにこのようなキャリコを目指していたようですね。珍しいです。

Img_0004_r 『金魚』 白石光監修 西東社 1996年

写真と図が豊富で読みやすいですね。桜井良平氏の後継本なんでしょうね。

Img_0006_r 『新しい金魚の飼い方殖やし方』 中路晋一 日本文芸社 昭和50年(1975)

初版が何年かは不明。昭和50年時点で23版なのでかなり古い本なんでしょうね。ほとんど写真はないんです。

Img_0007_r 『金魚の上手な飼い方』 大田一男 有紀書房 1994年

ほぼ同時期に有紀書房から二冊の本が発行されていたんですね。そんなに違いはないんですけど。(^^;)

ざっと見てきましたけど、ネットが発達した現在はハウツー本の役目も少なくなってきたんでしょうかね。ネットはすぐ情報として消えちゃいますけど、やっぱりこうして手元に残る情報を私は大事にしたいです。

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2015年10月29日 (木)

『国土が日本人の謎を解く』~読書ノート~

良い本に巡り合いました。

昔から、数々の日本人論がありましたが、本書は全く違う視点で日本人の本質を突いてきます。

章立てを見ていくと、

序章 「日本人」の否定からは何も生まない

第一章 歴史を動かしたコクドと災害・飢饉

第二章 なぜ「日本人」は生まれたか

第三章 なぜ日本人は世界の残酷さを理解できないか

第四章 なぜ日本人は権力を嫌うのか

第五章 なぜ日本人は中国人とここまで違うのか

第六章 なぜ日本人には長期戦略がないと言われるのか

第七章 なぜ日本人はグローバル化の中で彷徨っているか

いつ何時、自然災害に襲われるか分からない日本列島。

大事な人が突然災害で亡くすことが当たり前な国土に住んでいることは、日本人を太古の昔から規定していると。

片や、その他の国々は、人が亡くなるのは災害ではなく、多くが殺人であること。この違いは大変大きい。中国など多くの国々は、都市の周りに城壁を作ったが、それは災害に備えてではなく、他国の侵入の対抗措置。

世界の残酷さは、イスラム国を見れば良く理解できます。中国の厚かましさは、基本、人を信じられない世界で生き抜く逞しさと言えば良いのでしょうが、私たちには理解できないのは仕方がないのかもしれません。でも、それだけ民族や考え方が違うことをしっかりと意識しないと大変なことになるのは、火を見るより明らかですね。

日本人が権力を嫌う理由も分析されています。何でもかんでも“反~”と言うお方が居られますが、なんだか好き嫌いで全てを“反~”なのだとしたら時代錯誤のような気がします。

だから私は“反~”はあんまり信用しません。声高な一部の人々よりサイレントマジョリティを尊重したいです。

「おわりに」の一文は、激しく共感せずにはいられません。

地球市民なんて幻想です。日本人の強みは集団力であることを再確認しますよ。

Img_0001 『国土が日本人の謎を解く』大石久和 産経新聞出版 2015

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2015年10月28日 (水)

『金魚百科』から宇野系を検証する

桜井良平氏の名著『金魚百科』ですが、何だかんだしているうちに三冊も所有することになりました。

宇野系愛好家の方から、良く「昔の写真はないのか」というご質問を頂きます。残念ながら私が調べる限り、当時の写真は極端に少ないのです。今のように誰もが気軽に写真撮影できるような環境ではなかったんです。

カメラというより高価な“写真機”を所有している人は当時、相当な物好きだったと思われます。まして金魚の記録に写真機を持ち出すことは、一般人なら中々敷居が高かったのだと思われます。

そんな時代背景の中、『金魚百科』は桜井氏ご自身で撮り溜めた写真を惜しげもなく掲載し、ビジュアル的にも大変説得力のある史料価値の高い書籍となったのです。

桜井氏ご本人も、『金魚入門』執筆以降、写真の重要性に気づかれ、写真機を購入されたと仰っていました。

さて本題に入ります。当書は、さすがにたびたび版を重ねていて、金魚本の中でもロングセラーで、今読み返しても大変充実しているのが分かります。

私が所有しているのは昭和47年(1972)初版と昭和50年(1975)版、そして昭和54年(1979)版です。

20151024_173914_r_2 左から昭和47年版・50年版・54年版

どの版も内容に変化はないのですが、明らかな違いは、紙質と印刷方法です。54年版は掲載された写真が明らかに鮮明になっていて、細部まで検証が可能になっています。

1 昭和47年度の印刷品質 コントラストがなく、黒い部分が潰れて魚の詳細が判別不能。(187ページ)

Img_0007 昭和54年度の印刷品質 立体感を持って魚の質がよりわかり易い。

この二枚を比較すると魚の頭の隆起や胴の質が鮮明に判別が可能になっているのがお分かりになるでしょう。

肉瘤が単に隆起しているのではなく、はっきりとトキンの存在が確認できます。そして胴の質。峰のない背幅。もう既に当時において宇野系の必要とした資質が見て取れると思います。

Img_0001

この書籍の最初のグラビアには、素赤と更紗の2尾が登場しますが、雰囲気は我々が親しむ宇野系です。重ねて頭や胴の質に括目すべきです。

Img_0002 25ページ)

↑この個体は、素赤というより鰭先まで赤い猩々と言って良いと思います。当時にもこのような個体が存在していたのです。

Img_0012 252ページ)

↑この肉瘤に注目です。トキンがしっかりと確認でき、獅子頭であることが分かります。

Img_000326ページ)

↑宇野系特有の更紗です。頭の状態(シワシワになっている)から魚齢は5・6歳か。

Img_0014281ページ)

↑既に腰白が存在していたんですね。当時、最新鋭の魚と言って良いでしょう。

Img_0008198ページ)

↑上の魚は船底。2尾ともトキンの隆起がしっかり確認できます。今では中々お目にかかれない更紗の理想に近い個体が既に当時存在していたことがこれで明らかです。さらに言うと、完成された魚が既に居たことの証明になります。現在の魚と遜色ないばかりか、むしろ質的には優っているのでは?

Img_0004142ページ)

↑ひとつ前の写真の別角度から見た2尾だと思われます。頭と胴の質がよく分かります。

Img_0005150ページ)

↑恐らく当歳でしょう。仮に二歳としても、左下の個体の頭部肉瘤の隆起は、今ではあまり見られないと言っても過言ではないでしょう。

Img_0006185ページ)

↑更紗です。頭の白い個体も居ますね。下の写真は150ページの写真の当歳と一緒ですね。

Img_0009241ページ)

↑私も検証した掛け合わせですが、この右の親らんちゅうに注目。どうです?トキンが良く発達していますよ。当時の宇野系はトキンが発達して獅子頭を形成していたのが理解できますね。

Img_0011248ページ)

この3尾は、“宇野仁松翁育成”とあります。間違いなく先生の魚なのでしょう。

肉瘤の形状が鮮明に映っています。上の親魚は四角いトキンが見て取れますね。下の2尾は目下が白くなっているのがお分かりになるでしょう。つまり、面被りから次第に頭頂部だけが赤い丹頂に移行する途中の魚なのだと思うのです。この子で仔引きすれば白か丹頂ばかりになると推定されます。

先生が、面被りの固定を諦められた意味は、こんなに早くから検証されていたと言えるのではないでしょうか。

さて、いかがでしょうか。「宇野仁松翁育成」と断り書きがある以外の魚は、恐らく桜井良平氏の叔父にあたる京都金鱗会副会長であった桜井福治郎氏の持ち魚と推定されます。宇野先生と二人三脚で魚を集め飼育されていたのですから、宇野系であることは確かです。

京都金鱗会の全盛期には、これだけの魚が居たんです。現在の宇野系の魚と比較すると魚が“進化”したとは私には到底思えません。また、保存維持という観点から考えると、当時の魚は、もうすでに見当たらないのが理解できると思います。それで良いのでしょうか?

今回、『金魚百科』から宇野系らんちゅうを見てきましたが、一番注目しなければならない部分は、頭の質の劣化だと私は思っています。これだけはっきりと顔があったらんちゅうが、崩れてしまったことを、宇野系らんちゅう愛好家はもう一度考えて欲しいと思うのです。

宇野系らんちゅうは血統云々を言う前に、宇野系の形質を丹念に保存しながら改良を先に進める作業が優先されるべきです。我々は、昭和40年代の宇野系確立期の個体をイメージしながら改良を進めなければいけないと、肝に銘じるべきと考えるのです。

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