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2016年3月

2016年3月22日 (火)

福寿草に会いに~霊仙山~

恒例の霊仙山に福寿草を見に。

今年は雪が全然残っていません。

早春の毎年の行事です。

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鹿の食害で年々群落が減っているんですよね。

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ま、見れただけでも良しとするべきなのか。

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さあ!これが終わったららんちゅうも本格モードですね!

早速今度の27日は守口です。お邪魔する予定です!

ま、採卵は5月中旬以降なので、当分各会を巡回します。お気軽にお声がけください。(^^)/

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2016年3月13日 (日)

【募集】『新らんちうのすべて』の解説箇所

もうすっかり本書を読破されたことだと思うのですが、ご覧になっている方が疑問に思っている部分を重点的に解説するほうが分かり易いかと。

そこで本書の中で、解説して欲しい所を募集することにいたしました。

何度読んでも分からない。

もうすこし具体的に。

何故こんな記述があるのか。

等々疑問や質問を広く募集します。

コメント欄に奮ってご投稿ください。

※因みにコメントは基本的に公開いたしません。どんなことでも遠慮なくご投稿ください。

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2016年3月12日 (土)

『センスは知識からはじまる』~読書ノート~

三寒四温、今日は寒いです。

少し間が空いてしまいました。体調不良(インフルエンザ等)でパソコンの前に座るのが億劫になって・・・・。

今回は読書ノートです。

良く「彼はセンスがあるから魚が見える。」とか言います。自分が“魚が見える”とうぬぼれている人、または“魚が見えない”とお嘆きのあなた。朗報です!

そんな考え方が馬鹿らしくなる本のご紹介です。

センスは持って生まれたものだから魚が見えないのも仕方がないと諦めている方が居るなら本書は良薬ですよ。

本書は、あのクマもんをプロデュースした水野学氏がセンスについて解説した本なんですね。

Img_0005 水野学 朝日新聞出版 2014年

例の如く、この本を読むに当たって念頭に置いていることは、そう!らんちゅうなんですよ~

当てはめて考えるとどうなのか?を絶えず意識して私は読んでいます。そうなので少しらんちゅうに寄せて具体例ともども書いていきますね。

著者は、そもそもセンスとは何か?から定義されています。

センスとは数値化できない事象を最適化すること

これだけでは分からないですよね。

そのためには、

普通を知ることこそ「センスのいい/悪い」を測ることができる唯一の道具

とされています。

 

「普通」を知っていればありとあらゆるものが作れる

では「普通」を見つけ出すにはどうするか?

多面的、多角的にものごとを測った上で「普通」を見つけ出す作業

が必要になるとのこと。

その作業はどうのようなものか?

思い込みを捨てて観察してみる

謙虚に学ぼうとする姿勢が大事なんでしょうね。自分が「良い」と思っているその漠然とした感覚を深く分析しないといけないんです。

センスの最大の敵は思い込みであり、主観性です。思い込みと主観による情報をいくら集めても、センスはよくならない。

良く「好き嫌い」を尺度にされる愛好家が居ます。『~系統は気持ち悪い。』とか。そもそもらんちゅうに対して『気持ち悪い』という評価基準を口にする時点で失格なんですけど。(^^;)

そんな“主観的な好悪の感情による思い込み”ほど必要ないものだと分かりますよね。その思いを外してどんどんサンプルを増やしていく作業(知識の集積)が何よりも大事だと仰っているんですね。

らんちゅうなら数多くの魚を見ること。

ものの見方が増えることによってセンスの良さが養われる

センスを磨く上で、好き嫌いでものを見るのは禁物です。好き嫌いとは、客観情報と対極にあるもの

「気持ち悪い」なんて感情で魚を見ている時点で、その愛好家は“魚が見えていない”ことを自白しているようなものなのだと分かります。

不勉強と思い込みはセンスアップの敵

まさに至言。

「美しい」という感情は基本的に未来ではなく過去に根差している

そうですよねえ。つまり、どれだけ美しいと言われたものを引き出しとして蓄積しているかがセンスなのだということです。

本当に簡単なことを、「これが重要だ」と認識し、日々実践していくこと。その繰り返しを続けることが難しい

『継続は力なり』は私の座右の銘。これが中々できないんです。

センスは知識の集積である

簡単に人をけなすのに「魚が見えない」なんて言う人がちゃんちゃらおかしいのが良く分かりますよね。

感覚とは知識の集合体

「好き嫌い」の感覚ではありませんよ!

センスが知識の集積である以上、言葉で説明できないアウトプットはあり得ない

勇気が湧いてくる言葉だと思いませんか?言葉としてアウトプットできないものはないなら、このブログをやっているその存在価値はあるということだと思うんですよね。

センスに自信がない人は、自分が、実にいかに情報を集めていないか、自分が持っている客観情報がいかに少ないかを、まず自覚しましょう。いくら瞬時に物事を最適化できる人がいたとしても、その人のセンスは感覚ではなく、膨大な知識の集積なのです。
センスとはつまり、研鑽によって誰でも手にできる能力と言えます。決して生まれつきの才能ではないのです。

この『センス』を『魚が見える能力』に置き換えてみてください。ほら、自信が湧いてきませんか?

そして名人は、知識の集積だと言いきっているんです。心強い!

私が前から言っているように、魚の良否を判断する基準を教える人が居ないから見えないだけなんです。たとえ知っている人でも、品評会中心なので、基本競争ですから教えないんです。教えたら自分が不利になるから。大事なことは教えたくないんですね。

「いいな」と思った根拠を言葉にするのがとても難しく、なかなか言語化できないので「なんかいい」「いいものは、いいんだ」と片づけてしまいますが、実は説明可能です。

私はこれをブログで実践したいんです。

日々どうしたらセンスが上がるか?

美しいと感じた体験の集積が、僕の中の「普通」という定規になっているのです

どれだけ「美」に触れあう体験を意識的にするかということですね。それは、魚ばっかり見ていても養われないということです。美的体験は、積極的にARTや美術や芸術に触れること。

「わからないのはセンスがないせい」ではなく、「わからないのはセンスを磨く努力をしてないせい」

「魚が見えないのはセンスがないせい」ではなく、「センスを磨く努力をしてないせい」なんです。

感受性+知識=知的好奇心

「美しい」と思える心、そして貪欲な知的好奇心が両輪となってセンスは磨かれるんですね。

何も諦める必要がないことが良く理解できます。

若いのに凝り固まって自分の偏った尺度で物事を判断する怠慢こそがセンスアップの敵だと分かるでしょ?

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