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2016年2月

2016年2月25日 (木)

コメントに関してのご注意

いつもご愛読ありがとうございます。

コメントに関して気が付いたことがあったので、少しご説明させていただきます。

エントリーに関して、励ましのコメント、真摯なご意見等を頂くことは私にとっても大変励みになり刺激になっています。

拙ブログは、当初からコメントを即反映させる仕様にしておりました。

ですので、雑多な冷やかしに近いコメントも、ありのままに手を加えず掲載するようにしておりました。そしてそのような取るに足らないコメントに対しても、必ず返答のコメントを付けるように心がけておりました。

建設的な意見に対しては、当方も知りえないことも多々あると思っていますので、謙虚に意見に耳を傾けるようにしていました。

しかし、そう言った取るに足らないコメントにも答えることが私の使命だと思っていたんですが、それを履き違えた自分よがりの思い込みや嫉妬に近い支離滅裂なコメントに果たして付き合うことが、自分にとってプラスになるのか疑問に思えるようになってきました。

そこで、自分の意見を一方的に書き込み、匿名を隠れ蓑にして書き逃げする不届き者が散見するようになったのを機会に、

コメントを許可制とさせていただきました。

ですので、コメントを投稿していただくとすぐにはブログに反映されません。

私の所に一旦コメント文の通知が来ます。

それを妥当とすればすぐにブログに反映する手順となっているんです。

決してコメントを拒否しているわけではありませんので誤解なされないようにお願いいたします。

揚げ足取りをしたいお方などは、くれぐれもご注意くださいませ。(^^;)

ご質問、ご意見、ご感想等、遠慮なく書き込みをお待ちしております!!!

※ご安心ください。変なコメントが来たから書いてるわけではありません。思い出したんでお断りしておこうと。。。ちょっとした注意喚起です。

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2016年2月24日 (水)

“床直し”~床ずれを直す?~

先日、水替えしました。

Dsc_0165_r

底に溜まったヘドロと苔を落として、古水2割の新水8割で。

この時期に水替えをしないと春には調子を崩す池が多いように思っています。

当歳(明け二歳)は、まだまだ小さいので水質悪化とともに抵抗力がないので死んでしまうことが多いんですよね。だから今水替えするんです。春まで待っていたら全滅することも以前は多々ありました。

Dsc_0166_r

ご覧のように水底には植物プランクトンの死骸の堆積で、当歳たちはそんな悪環境の中で過ごしているのですから、春に病気を持ち越している場合が多いんです。

“床直し”って以前にも書いたように、春の第一回目の水替えを言うようなんですが。私は、どちらかというと冬眠中に“床を整える”と考えたほうが良いように思うんですよね。

冬眠中は、魚も動かないので“床ずれ”するんです。

“床ずれ”しないように、定期的に寝返りを打たせてやる。

それが“床直し”。まさに直しているってことのほうが説得力ありませんか?

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『新らんちうのすべて』~読み合わせ【第4回】~

まだまだ寒い日が続きますね!

前置きなしで続けますね。

本書39ページ

・肉瘤はないほうが泳ぎやすい

・背も高くて峰気味のほうが、背ビレの代わりになるので泳ぎやすい(和金の流線形は泳ぎやすいようになっている)

・尾形も畳んでるほうが泳ぎやすい

“泳ぎ”というものに関して考えてみましょう。

Q:何故、魚は泳ぐのか?

A:生きるため。
種の保存の法則において、より生き抜くために必要なのは泳いで餌に到達しなければならない。生存競争において、他の個体より、より確実に餌に辿り着くための能力として早く泳ぐことが有利だから。

しかし、私たち愛好家が求める“泳ぎ”と生理学的・生物学的な“泳ぎ”は、そもそも前提が違う。

愛好家の求める“泳ぎ”=美的泳ぎ←生存とは無関係

本来の“泳ぎ”=生物学的泳ぎ←生存には不可欠

自然界で生き抜くには、フナの形が理想的なので何百万年も掛けてその形に集約されて来たと考えられます。

だから間違えた掛け合わせをすると数代で“フナに戻る”と言われるのです。

ある時、らんちゅうの入った池を見たらフナに戻っていたってことはありません。むしろ数世代掛けて、飼い主が気づかないうちにフナに戻って行くと考えた方が良いでしょう。

「いつの間にか、頭が出なくなった。」

「この頃峰が目立つ個体が増えた。」

「背が高い個体が増えて来た。」

とかは、交配を間違えてフナに戻りつつあると考えられます。

何世代も掛かるので飼育者は気づかないことが多く、気づいた時は後の祭りということが多々あるのはそのためです。

金魚の突然変異は絶えず出現していたのでしょう。フナの遺伝因子は大変複雑で、いわゆるコピーミスによる変異個体が絶えず発生していたようです。しかし、そのような個体は淘汰圧によって生き永らえることが出来なかったんですね。

要するに、らんちゅうにおいて泳ぎやすい体形を追求すると、フナの体形に逆戻りすると結論付けられることを本書で論証しているのです。

私も遊泳美とは何かを、もっと言葉にしたいのですが、まだまだ頭と胴のことで手いっぱいなんです。いずれ考察して発表したいと思っています。

今日はこんなところでしょうか。

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2016年2月 6日 (土)

『新らんちうのすべて』~読み合わせ【第3回】~

 28ページの右の真ん中あたりに、囲み表があります。

 

この図【第二回】で指摘した渡谷氏が大事にしている3点と微妙にリンクしていることが分かります。

 

1.目幅があり、兜巾との境目がハッキリした頭(グチャグチャでないもの)であること

2.背出しが低いこと

3.峰を見せないこと

4.丸筒に近いこと

5.これらの要求に対して、摂理的に矛盾するしっかりした尾形を持つこと

この部分は、実は全てのらんちゅうの基本となる考え方をまとめたものです。したがって系統は関係なく大事にしなければならない部分なんです。

 

しかし、ベテランの方でも明確にこの条件を指摘する方は今までいらっしゃったでしょうか?寡聞にも私は聞いたことがありません。らんちゅうのハウツー本にも書かれていないことです。

 

何故渡谷氏は、この5条件に気が付いたのでしょうか?

 

先達から断片的には聞いていたこともあったでしょうが、恐らく渡谷氏が人とは違うやり方で検証してきたこと大きな要因だったのだと推測されます。それは前後の文を読めば証明されています。 

 

ならば、この5条件は【第二回】の3点とどう違うのか?

 

36ページ【品評会を目指す上での種親の留意点と飼育法】の項目で
 

・「なるべく5つの条件(前章参照)----右下から16行目
 

・全く違う5条件を意識し-------右下から13行目

 

・5つの条件-------右下から4行目

 

要するに、3点はこの5条件に内包されると考えればよいと思います。

 

思うに、執筆のある時点で3点では足りないということになって、より分かりやすいように2点付加したと考えたらよいのではないでしょうか。または、実際の個体で検証する際に、3点を抜き出して分かりやすく解説したと考えればよいと思います。 

 

前述のように、5条件のほうがより包括的であるのは確かです。

 

5条件をもう少し解説すると、1~4の条件を高度に保ちつつ5を達成することが会用魚の究極の形なんだと思うのです。

 

さてさて、尾形を大切にする従来の考え方に渡谷氏は早くから疑問を感じられていたことが以下の文で明らかです。

 

それは、37ページの囲みに

 

1) 太さと尾形を求めるために、太くて尾形がガッチリしたもの同士で交配をくり返すと、その子供はどんどんかしらが悪くなってしまった

 2) 一方、頭の上がりが良い魚を使って仔引きをくり返すと、今度は頭は良くなったが尾形がなかなか付かない

 という

 

頭と尾形の相反性の矛盾  をどう考えるかで魚の残し方も変わると思います。

 

この渡谷氏の言には沢山の示唆に富むエピソードが書かれています。誰もやったことがないらんちゅうの種親選びを突き詰めて考えるとこうなる!ということが惜しみなく披露されていることに私は驚きさえ感じます。

 

例えば、

 

 仲間との協力体制
 一対一の掛け合わせ

 ハネた魚だけを飼ってくれる仲間の存在

 このような体制と戦略が“気づき”を生み出したのだとわかるでしょう。

 

欠点があり品評会で使うのは難のある魚が、次第に欠点が目立たなくなり(我慢で通る程度に、)渡谷氏が残している魚より良くなることが、何度か見受けられた(37ページ)

 

渡谷氏が種親として使いたくなったのは、当歳時にハネたほうでした。(38ページ)

 

あれ?どこかで聞いた話じゃないですか?デジャブ(既視感)みたいな。

 

そう、このブログをお読みの方なら素直に頭に入ってくるのではないでしょうか?

 

渡谷氏は決して宇野系のお話をされているわけではありません。なのにこの既視感。

 

ハネた魚に良い魚がおるのに決まっている

 

この言葉は誰の言葉か、もう説明を要しませんね。渡谷氏が気づかれたことをもう40年以上前に気づかれた先人が居たんですね。

 

当歳でハネられない→数多く飼う→種親を見極める→会用魚にフィードバックする

 

そのような流れが見て取れるでしょう。

 

さて、さらに皆さんが気になることがサラっと書かれていることに気づかれましたか?

 

尾形と頭のどちらを維持するのが難しいかというと、頭です。頭が出なくなった魚達から頭を良くするために色々やってみましたが、かなり難しく、思う結果が得られませんでした。(38ページ)

 

尾形については、頭より遺伝しにくい傾向が高いと思います。毎年、尾形の良いもの同士で採っていましたが、なかなか思ったような尾は出ませんでした(仮に5000匹生まれたとして、数匹の良い尾しか残らないとしたら、それは遺伝したとは言えないような気がします)。その反対に尾形が良くないもの同士から良い尾が数匹以上出ることも珍しくないので、尾形が付くか付かないかは、採ってみないとなんとも言えないというのが正直な見解です。(38ページ)

 

私たち愛好家が思い描く尾形は遺伝性が低いと渡谷氏は考えられていることがこの文章で読み取れます。

 

つまり、言い換えると、理想とする尾形はバリエーションの中の一パターンであるが、より強固な遺伝傾向としての維持は困難である

 

と結論付けられるかもしれません。

 

でもね渡谷氏も仰っているように、所詮仔を採ってみないと分からないのがこの世界であると。そこが難しくて面白いところなのでしょうね。

 

誰よりも思慮深く戦略的に、なおかつ実践的に経験を積み上げられた渡谷氏の言は、大変示唆に富んでいます。系統に関係なく、尾以外の、らんちゅうとしての素質を見抜くことを優先して魚を残す方法がここに吐露されているのです。

 

頭と尾とどちらを優先すべきかの指針は、この章に余すことなく表現されていますね。

さらに付け加えると、

 

当歳が小さいことに関して

 

最初は「魚体が小さいから、まだ崩れてないだけ」と考えて・・・・・当歳時に抑えて飼っていた魚のほうが2歳以降になると質が良くなる魚が多いという結果が出ました。(38ページ)

大きくした仲間達の魚は無理な飼い方をしても崩れなかっただけの魚で、言わば硬くて崩れにくい魚、つまり、言葉は悪いですが、渡谷氏が残した魚と同様、無傷無欠点の駄金でした。(39ページ)

 

早期に選別をして駄金しか残さないより魚の質が分かるまで選別をせず残すことの重要性を説いていることがこれで分かるでしょう。

 

渡谷氏はそれを実践して結論に辿り着いているのです。この結論は、拙ブログで提唱している考え方であり飼い方と寸分違わないことに気づかれるのではないでしょうか。

 

そして私が思うことをもう少し書きますと。

 

らんちゅうの改良・保存・維持は一人ではできないということ。

 

いかなる協力体制の下で、共通認識を持ちながら飼育を遂行していくかという構想力と実行力がらんちゅうの改良に不可欠であることを知ってほしいのです。

 

ロマンや妄想の類ではなく、そして頭の中で魚を飼っているような人ではなく、私たちは品種改良とは何かをもっと突き詰めることが何よりも重要なのではないでしょうか。

 

科学的根拠をいつも頭に入れつつ。


あとネットには魚は居ません。あくまでリアルに生き物として存在するだけです。魚の質を見極める作業を実物を見ながらではないと何も分からないのです。勘違いしないでください。

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