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2015年2月

2015年2月23日 (月)

咲き分け

植物の世界には不思議な現象があります。

それが“咲き分け”。

同一木で花の色が違うんです。

普通一つの木なら一色の花がつくはず。

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なぜなら遺伝子が同じだから。

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画像はどれもモモの木。

これはどういう仕組みかというと、発色する遺伝子がONかOFかの違いのはず。

難しく言うと、トランスポゾンという風来坊的な遺伝子があり、遺伝子が動くのが原因らしい。

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見ていると何か気が付きませんか?

金魚の更紗のできる仕組みと似てませんか?

要は、赤に発色する遺伝子がONになって赤色の色素が細胞上に生成されるかしないかなんですけどね。

このランダムさ加減に何か由来があるのかどうかは分からないんですね。

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オフ会報告

今回は参加人数が少なかった関係で拙宅にて執り行いました。

大阪から参加される方がいらっしゃらないのと、名古屋から新幹線で駆けつけてくださった方もいらっしゃったので、ならばより近いほうがゆっくりできるかと。

夕方まで雑談。のち食事に出ました。みんなで関西名物お好み焼き「風月」を食べて談笑。

楽しい一日を過ごしました。

参加された方はお疲れ様でした。これから忙しいシーズンに入りますがらんちうライフを楽しく過ごしましょう!

参加できなかった方も、また機会を作りますのでお気軽にご参加ください!(^^)/

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2015年2月21日 (土)

読書ノート~『ヘンな日本美術史』~

芋づる式に興味の赴くままに本を渉猟していると意外な物を見つけたりします。

現代アートと辻氏の日本美術史関連書籍を読み漁っていたら面白い本に行き当たったりするもんです。そのうちの一冊がこれ。

Img 『ヘンな日本美術史』 2012年 祥伝社 山口晃

日本美術史を現代アートの旗手が紐解くとどうなるか。

画家の目線で日本の美術を分析する手法は鋭く的を射ています。

その中でも、「日本の文化とは何か」を実に鋭く分析されている文章があるので引用させていただきます。

最初に粗い網にかけて節操なく採り入れた物を、時間をかけて取捨選択して、何代かかけて、“こなしていく”と云うのが日本文化の「オリジナリティ」の源です。(本書 90P)

 よく日本文化にはオリジナリティがなくて、全部大陸の模倣ではないかと言われたりもするのですが、このようにちゃんと取捨選択は行われているのです。取捨選択の何処にオリジナリティがあるのかと言われそうですが、それができるのはキチンと軸を持っているからです。軸があれば、オリジナリティなどはそのゆらぎから生まれるものですから、すでに事足りているのです。(本書 89P)

まさに!と拍手を送りたいです。そもそも「オリジナル」って言っても、無の状態からは何も生まれないと思うのです。「模倣は悪だ」みたいに毛嫌いする考えより、色々なものを取り込み取捨選択することが大事。決して魂を売ったわけではなく、芯があるので最後には濾過されて必要なものが残り発酵して醸成されるのが文化、と考えられないでしょうか。

 文化と云うのは、それを発生させた事よりも、育てていったほうが大事と申しますか、その育む行為自体が文化と云うものの実体であるような気がします。(本書 93P)

 最初は他所から持ってきた物であっても、こねくり回している内に何か違う物を生み出す力であり、その「こねくりポイント」を見つけ出す力こそが評価されるべき点だと思うのです。(本書 93P)

上手いこと言いますよね。「こねくりポイント」。金魚だって日本人がこねくり回したから「らんちゅう」みたいな独特なものができたのでしょう。土佐錦しかり、地金しかり。

陶芸の場合も、「写し」という考え方があります。それをレプリカのように一段下に見る向きもあるんですが、模倣の上に成立する何かがあるはずだと思うのですがね。

話しが逸れましたが、この本、文章も読みやすく日本人のメンタリティから、絵というものに向き合う姿勢を鋭い切り口で解説されているので大変参考になります。

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2015年2月19日 (木)

平等院鳳凰堂を考える

先日、世界遺産 宇治平等院鳳凰堂へ行ってきました。平成の大修理が終わり、外部塗装も一新されたということなんで是非ともこの目で確認したいと思ったんです。

以前は酷く塗装が剥がれ、往時の栄華は偲ぶ由も無かったんですね。ところがこの現状を見て「侘び寂び」を感じるのは、本来の美とは似ても似つかないものとかねてから思っていました。

金魚もそうです。金魚は健康なツヤのある色が本来あるべき色で(色の濃淡は関係ない)、サビ体色に美を見出したら邪道だと思うのです。サビは飼い方がまずいだけで、薄い体色には薄い体色個体を健康に見せる飼い方があるはずです。

さて、当日は真冬だというのに暖かい日で快晴に恵まれた絶好の鑑賞日和でした。

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唐風文化を十分に消化して成立した国風文化を代表する建造物。見事です。

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一番気になっていた朱塗りの色合いはどうなっていたか?以前は平安神宮のように、言っちゃ悪いですが明るい軽薄?なオレンジ色に近い朱でした。今回の塗装は、当時使用されていた「丹土」という顔料を使用したそうで、思ったより落ち着いた良い色と感じました。重厚です。

Img_0001_2 入場券

因みに上掲の左右対称に張り出した尾廊は、装飾なんですね。仮に欄干に人が立つとすれば、身長は30センチぐらいでなければならないんです。すごい縮尺ですよね。五重塔なんかでも見られますね。

20150216_121752_r 鳳凰と龍瓦

鳳凰堂の屋根には金色の鳳凰が取り付けられているんですが、私はその下の瓦に注目しました。鬼瓦ではなく龍瓦なんだそうです。龍をモチーフにするのは珍しいそうです。

Tatu 龍瓦

さらにらんちゅうに引き寄せて考えると、龍の真正面から見ることってあまりないんですが、こんな感じなんですね。獅子に比較すると目幅がないのがよく分かりますよね。目幅が無いと言うことは背巾がないということですね。(^^;) 龍頭の魚は細い言われる所以ですね。なるほどと思いました。

Img_0002 内部拝観券 この模様も内部に描かれたものを再現しています。

平等院に来たからには、堂内も見て帰らなければ来た甲斐がないです。別途300円と20分間隔の50人ずつの入場規制があるので、少し時間が掛かります。

堂内は、定朝作の阿弥陀仏もさることながら、内部の装飾に私は興味がありました。もうほとんど剥離と経年劣化で不明な点が沢山あるのですが、その後見学する鳳翔館では、CGによって当時の装飾が再現されていて、大変感銘を受けます。

Img_r 『平安色彩美への旅~よみがえる鳳凰堂の美~』 2014年 平等院鳳凰堂鳳翔館発行

思わず上記の画集を購入してしまいました。装飾された当時の豪華絢爛さ、色彩感覚。これが平安時代なのだと実感できます。

色の洪水に気分が悪くなるほどなんですが、科学とテクノロジーによって再現された平安時代を身近に感じられる絶好のミュージアムです。機会があれば是非見学してみてください。

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2015年2月14日 (土)

【告知】Twitterはじめました!

相変わらず寒いですね!

あんまり必要ないと思ってやってなかったんですが、この度、訳あってツイッターはじめました。

ブログの更新のお知らせやら、不定期に呟いてみようかと。(^^;)

“鮒平”もしくは“@funahei2001”でツイッターやっている方は検索かけてみてください。

よろしくです!

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2015年2月 8日 (日)

第二回オフ会開催します!

まだまだ寒い日が続きます。

さて以前告知しましたオフ会ですが、今回は大阪で開催いたします。

日時:2月22日(日)

時間:昼から(詳細は未定)

場所:大阪 梅田近辺(未定)

人数確定したら場所と時間をご連絡いたします。

色々なお話しをしながら食事をしようかと思っております。

初心者歓迎!

ベテラン歓迎!

会って直接話しをしたほうが理解しやすいのに決まっています。是非、勇気を出してご参加ください。

参加ご希望の方は、このエントリーにコメントをお入れください。(ご希望なら非公開でコメントも付けられます。)

真摯で楽しい一日を一緒に過ごしましょう!!

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2015年2月 6日 (金)

黒子とらんちゅう

タイトルの黒子って「黒仔」じゃないですよ。(^^;)

“ほくろ”でもないです。

文楽や歌舞伎の黒子。黒衣(ころご)とも言うそうですが。

不思議ですよね。全身黒づくめの人が舞台に居て、それが居ないということがお約束になっているって。

居るのに居ない。

日本の演劇は独特な発展を遂げてきたわけですが、文楽などは、黒子を通り越して人形遣いの中でも主遣いは顔まで出してしまっていますもんね。

どう考えても変です。

ところが、ところがです。

そういう決まり事を腑に落として観劇すると、あ~ら不思議。黒子の存在が気にならなくなってしまうのです。

次第に歌舞伎の所作に、文楽の人形遣いの流れるような動きに集中できるようになるんです。

何故か?

あくまで私見ですよ。

脳って都合の悪いものは見ないようにするから、慣れてくると見えないようになるんですよ。

そうすると気にならなくなるんですね。あれほど気になっていたものが気にならなくなる。それが脳の機能なんですね。昔の人ってすごいですよね。そんな仕組みなんて知るはずもないのに。

すなわち、私たちは見えているものが全てだと思っていますが、実は見たいものしか見ていないということです。

そうでしょ?

らんちゅうもそうなんです。尾が全てだと習うと、他の部位が見えなくなっちゃうという意味。

尾を無視して頭と胴を見る訓練を積むと、尾以外の形質が見えてくる。

黒子(尾)が気になるうちは、歌舞伎や文楽などの芸能としての本質を楽しむことが出来ないと言えるのではないでしょうか。

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