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2014年3月

2014年3月26日 (水)

ブロッコリーはダメ

先日、スーパーの買い出しに連れ出されて、やっぱりらんちゅうのこと考えちゃいました。(^^;)

そう!野菜売り場。

20140323_135108_r

ブロッコリーですよ。ブロッコリー状の肉瘤は良くお目にかかりますよね。モコモコしていて粒状の。

秩序なく、無闇矢鱈にボコボコと出た肉瘤は、たとえ良くあがった肉瘤といえども美的にはあまり面白くないと言えます。(←崩れていく過程であって後退している証)

粒が細かくなっていくと、形は崩れる方向に進んでいると考えた方が良いと思うんです。まだブロッコリー状に出ている間は良いのですが、ある時(後世代)龍頭になって、フンタンだけになって、はいおしまい!ってことになるんだと思うんですよね。

龍頭は派手で見栄えはいいんですけど、枝葉に移行しつつあることを意識してほしいです。

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2014年3月25日 (火)

算数でらんちゅうを考える

私は数学が苦手です。大学受験も早々に数学がない私学文系に仕方なく絞りました。(^^;)

でも筋道立てて考えることは好きなので、自分なりにらんちゅうを数字で考えるとどうなるかをシミュレーションしてみようと思います。

ここに黒仔が1000尾いるとします。

尾で選別するとすぐに50尾前後に淘汰できます。5%しか残らない計算です。

さらに50尾を秋までに10尾にします。   10/1000 で1%

とにかく早く数を減らすことを優先するので、秋には10尾が確定します。

これが品評会用の魚の残し方です。

仮に頭(カシラ)の質が良いものを残すとする場合、その形質が発現するのは3歳以降です。

ということは、できる限り魚を残して見極めなければ残らないことになります。

出来る限り残して最終的に種魚候補として残るのは50尾とします。(本当はもっと少ないけど、大目に見て)

尾で選別したのと同様、1000尾から残るのは50/1000 5%です。

ならば品評会用の選別を繰り返しながら頭の良い種魚が残るかというと・・・・

尾で選別した中に、頭の良い個体が残る確率は単純に計算して、

1000(尾)×1%(尾で選別)×5%(頭の良い個体の残る確率)

つまり計算上は、0.5尾が尾が良くて頭が良い個体ということになります。何のことはない、1尾以下なら残らないということです。

小学生でも分かる算数ですよね。

結論を言うと、品評会用の選別で頭の良い個体を残すことは、限りなく不可能に近いということです。

品評会用の選別を何世代もしていけば、頭の良い遺伝因子はどんどん薄められて、形が崩れて消失するということになるのだということが賢明な皆さんには分かりますよね。

現実論として、充実した水饅頭のような兜巾を具備したらんちゅうは皆無です。昔は居たんです。でも皆が品評会用の選別を繰り返した結果、遺伝因子は潜在的にあるとしても、もう顕在化(表現型として発現すること)しなくなっているのです。

「肉瘤は適度に出ていればいいんじゃないの。」とか「肉瘤はほっといても出るし。」なんて悠長なご意見をお持ちの愛好家殿が多くいらっしゃるようですが、認識を改めていただきたいです。

ちゃんと意識して残さなければ肉瘤はなくなります。肉瘤が貧弱ならんちゅうはらんちゅうではありません。

バランスや泳ぎや尾が良くても、基本に則った満足のゆく頭(カシラ)が出ていなければ獅子頭らんちゅう(らんちゅうの本来の名称)ではありません。

それは駄んちゅうです(造語)。

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2014年3月23日 (日)

戻りカツオの考察~太らせるということ~

この画像は、以前上野の国立科学博物館を見学したときに撮影したものです。

20130313_092407_r 国立科学博物館展示物より

“戻りカツオ”を模型で分かりやすく展示したものです。春、北上する鰹を“初鰹”と言い、秋水温の低下とともに、列島を南下する鰹を“戻りカツオ”と呼ばれ、ご存じのように脂肪をたっぷり含んで美味なんですね。

その二つのカツオを比較したのが上図なんです。模型の下の説明図には、カットラインの位置を表示し、左が戻りカツオなんですね。

らんちゅうの場合も、同じ輪切りで胴が丸胴や茄子胴などをこのブログで解説してきました。カツオの太り方、脂肪の付き方は、同じ魚類として大変参考になるのではないでしょうか。

右のラグビーボール様の胴体に比較して、左は一回り大きく、しかも円形に近くなっています。一際違うのは、左側は皮膚のすぐ内側から肌色をしているのが見て取れます。これは脂肪の蓄積と考えられます。日本沿岸を回遊するに従って、豊富なエサを食し太った結果と言えます。だから戻りカツオは脂がのって美味しい。

魚類の脂肪の付き方は、らんちゅうも基本的に同様と考えても良いと思います。全体的なボリュームが出る。キズが隠れるのは、そのような凸凹が脂肪の付着によって平滑になること。筋肉組織と脂肪の付き方によって胴の見え方を演出しているということ。

良く「エサで膨らます」という表現をします。それはエサを食わせて脂肪をまとわせて“ふっくら”と見せること。これがらんちゅう飼育の技術と言われることです。どれだけ食わせるかが飼育者の技術で、それは欠点を隠す技術なので、初心者は作られた個体を見て、これがそのらんちゅうの本質だと勘違いしてしまいがちです。

ただ、単に太らせるだけなので、所詮蛙の子は蛙。素質以上のものにはならないと考えられます。太らせる前の痩せた状態で素質のある(ここで言う素質とは、背が低く本来の幅がある魚)個体を見極める訓練を積んでいれば、エサで作った魚か、そうではない魚かが分かるようになります。

秋口のふっくら、またはパンパンに太らせた魚を見て、その状態が本来の姿だと勘違いして仔引きに使えば、毎年、魚の質は落ちていくことになるのです。

病気でやせ細った魚まで持ち出して説明しているのはそういうことなんです。

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2014年3月17日 (月)

科学とは

STAP細胞の騒動を注視しています。(すみません、久しぶりのエントリーですが、らんちゅうのお話しじゃありません。m(__)m)

科学者でもないので専門的なことは分からないですが、分子生物学者の福岡伸一氏の一連の書籍を読んでいると、比較的その構図が理解しやすいように思います。

当初、理化学研究所がプレスリリースした時、メディアはこぞって科学誌「ネイチャー」に掲載されただけなのに、あたかもSTAP細胞の存在が世界的に認知されたように報道していました。それよりも発見者が若い女性(リケジョ)であることに注目して、事実そっちのけの狂想曲になっていました。

科学は再現性こそが科学が科学である存在理由のはずなのに、まだ誰も検証もしていないのに、この浮かれようはどういうこと?って思ったんですよね。(常温核融合でも同じような騒動があったのを記憶しています。)

冷静に事実を知ろうとする賢明な記者は、誰一人としていなかったのでしょうか。誰も本も読まない、勉強もしないおバカさんばっかりだったのでしょうか。メディアは少なくとも一流大学を出た優秀な方ばっかりだと思ってましたが間違いなのでしょうか。

そんな報道の姿勢に違和感を感じずにはいられませんでした。一素人が何故そんな思いに至ったかというと、先にも書きましたように、科学の本質や分子生物学を分かりやすく書かれていた福岡氏の書籍に前もって触れていたからなんです。

福岡氏は、分子生物学の最先端で起こった生々しい人間模様をサスペンス仕立てで書かれています。

『世界は分けてもわからない』講談社現代新書(2009)

第8章ニューヨーク州イサカ、1980年1月
第9章細胞の指紋を求めて
第10章スペクターの神業
第11章天空の城に建築学のルールはいらない
第12章治すすべがない病
エピローグかすみゆく星座

マーク・スペクター事件。若い研究員が教授の描いた結果を、ことごとく実証実験に成功していき誰もねつ造とは気付かなかった生物学界を揺るがした事件。

この本は、最先端の科学者たちがどんな思いで、そしてどのような行動をしていたかをドキュメンタリータッチで書かれています。興味のある人は一度読んでみてください。何が起こっていたのかよく理解できます。

それと今回の騒動、類似点が一杯あるんです。何故スペクターはねつ造をしたのか。何故小保方氏は剽窃してねつ造(恐らく当たっていると思う)したのか。人に認めてもらいたいという承認欲求から、あるいは実績を出さないといけないという強迫観念からか。

科学は再現性こそが科学たらしめるもの。科学の発展とはそういうもののはずなのに、メディアはプレスリリースと若い女性が発見者で、ネイチャー誌に掲載されたことだけで信じてしまった。

科学の本質に対して無知としか言いようがないです。素人でも分かるのに。。。

福岡氏は一連の書物で分子生物学者として、ips細胞やES細胞に否定的な考えだったように思います。“動的平衡”という概念からはそうなりますよね。

今回のSTAP細胞もどのようなコメントを出されているのかなと思ったら、『アエラ』3月10日号に、

『揺らぐSTAP細胞発見 再現性が科学技術の本質』と題して一文を寄せてました。

論文撤回に反対のバカンティ教授が、1990年代、背中に人間の耳が生えたネズミを作って世間の耳目を集めた、あまり評判の良い人物ではないことにも触れ、「疑念を一掃するのは極めて簡単なこと。」として要は第三者が追試して同じ結果が得られれば良いと単純明快に述べていました。

最後に、「先行するips細胞も、発見当初は懐疑論で迎えられたにもかかわらず多くの研究者がすぐに細胞の作出に成功したことで広く受け入れられるようになった。再現性こそが科学技術の本質である。」と結んでいます。

まさにその通りですが、今回のSTAP細胞は小保方氏のねつ造と、功を焦った回りの大人達が作り出した幻想で終わるように思うんですよね。

構図は佐村河内問題と良く似てますよね。メディアの良識って無いのでしょうか。全く残念です。

再現性こそが科学の本質。たかが趣味ですが、科学的にらんちゅうを考察することを標榜している限りにおいて、都合の良いデータではなく、客観的に再現できることをどのように伝えていくかを思考していこうと思います。

科学における不正行為 (Wikipediaにはこんな項目もあったんですね。というかもうすでに小保方氏のことまでアップロードされているのには驚かされた!と思ったら3月21日現在で削除されていました。(^^;))

Dsc_0042_r_r_2 早春(椿と白梅の競演)※本文とは関係ありません。

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