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2014年1月

2014年1月31日 (金)

骨格かららんちゅうを考える~X線画像~

井上外喜夫氏がフィッシュマガジン誌に、らんちゅうのX線写真を公開したのは、20年ほど前になるでしょうか。その写真に対する考察は、無かったように記憶しています。。(1㎝ほどの小さな画像でした。)井上氏は、松井博士や宇野先生の「科学的にらんちゅうを考える」という手法を踏襲しようとされたのだと思います。

今回、ある方のご厚意によって、最新の技術によるらんちゅうのX線画像を撮影する機会を得ることが出来ました。いつか撮影できないかと死魚を冷凍保存していたものを、一挙に撮影するという思ってもみない機会に巡り合えました。心から感謝いたします。

私の考察も含めてご覧ください。

【目的】
らんちゅうの表面上の形状と、骨格を中心とする周辺の内部形状がどのように連関し、鑑賞上の形態を表現しているかを分析する。

【方法】
従来より冷凍保存していた個体を解凍。X線にて撮影。撮影にあたっては、骨組織が明瞭になるよう照準した。不鮮明な部分として解凍による水分等が見受けられるが、大勢には影響ないと考える。

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サンプル①

従来型のらんちゅう。弓型に変形した背なりは頭部位置より頂点は高い。このような個体は、背骨も弓型に変形していることが見て取れる。と同時に、脊椎骨上部に付いている神経棘は、太く大きさも一定ではなく、癒着したり変形しているのが分かる。神経棘の太さと長さと骨を取り巻く筋肉や組織を勘案すれば、らんちゅうの「背の高さ」とはどのような組成かが理解できると思う。

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サンプル②

比較のために保存していた“浜錦”。脊椎骨がほぼ一直線。神経棘もらんちゅうと比較すると細かく整然と並んでいる。背鰭の棘状の骨も確認できる。腹部背骨よりに、円形が確認できるが、内部の水疱が映っているのではないか。浜錦の体形の腹部膨満は、主に組織というより脂肪や水分ではないかと推察される。

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サンプル③

背の低い個体。サンプル①と比較すると、脊椎骨の形状が全く違う。ほぼ一直線。逆に腰の部分が凹んでさえいる。神経棘は背出し部分こそ太いが、それ以外は細く短く変形しながら付着しているのが見て取れる。

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サンプル④

同様に背が低い個体。背出し部分の神経棘は欠損か癒着している。後方に向かって神経棘は短く細く変形している。背骨もほぼ一直線。背の低さと背骨の形状の関連性が分かるだろう。

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サンプル⑤

背の形状が一直線であるのと脊椎骨が一直線であることがほとんどイコールの個体。神経棘も、か細くなっているのが分かる。この個体自体はほとんど脂肪は付いていなかったと考えられる。何故なら底部肋骨下端から表皮までの距離がない。つまり脂肪が付いていなかった。ならば背骨上の表皮までの距離は何を意味するか?推測だが筋肉組織だと考えれば納得がいく。

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サンプル⑥

この個体、生前は背なりの途中、中央部が凹んでいるように見えた。どのような骨格なのか非常に興味があり冷凍保存した。不鮮明だが背骨は一直線。神経棘は中央部は低いように見える。逆に後部腰部分は細い棘状のものが見える。以上の理由で中央部が凹んだように見えたのと、背骨と頭部の接合部から、この個体は頭部が比較的上向きに付いているので、そのように見え方が助長されたのではないだろうか。

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サンプル⑦

エサを無暗矢鱈とつけるとこのような個体になる。反面教師として見て欲しい。肋骨下端から腹底までかなり距離がある。一端このように形が崩れると治らないことを如実に表している。背には筋肉というより、この場合脂肪ではないか。腰の部分の神経棘が長く立ち上がっている。その分、表皮が持ち上がっているのが見て取れる。(いわゆる腰高)

【結論】
1:サンプル①・⑦の個体と、③・④・⑤・⑥は神経棘の出方に明瞭な違いが見える。前者は、神経棘が太く長い。細く短くなればなるほど背は低く平滑であると推察される。後者は、より改良されていると考えて良いのではないか。

2:頭部と脊椎骨との接合部はどの個体も違いが見受けられない。むしろ第1~第4ぐらいの節に付着する神経棘の大きさと長さによって背の低さが演出されているように思われる。背が高い=神経棘が太く長い

3:体形と骨格の関係は、骨格が主で体形が従である。しかし、その骨格は見た目の形を絶えず意識しながら改良の方向性を指向すれば、骨格さえも変化すると考えられる。

4:背鰭のある個体や、単に太らせて筋肉ではなく脂肪組織で見せる個体は、この画像でまさに馬脚を露したと言っても良いのではないか。(①・⑦)

5:背の見せ方は、神経棘の“退化”以外には、骨を取り巻く筋肉組織との関係が重要であると分かる。(特に⑤)

いかがでしたでしょうか。この画像からはまだまだ分析できることが多々あると思います。諸兄にはこれを是非参考にしていただき、今後のらんちゅうの改良の指針としていただきたく思います。

なお、ブログに掲載している画像は全て著作権の元に掲示させていただいています。無許可で複製は一切認めていません。正当な理由での複製は、あとにも先にも快諾しています。無断だけは止めてください。ご理解ください。

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2014年1月17日 (金)

【告知】論外的オフ会開催

第一回論外的オフ会 開催のお知らせ

日時 2月16日(日曜日) PM1:00~

場所 大阪梅田界隈(出席者数確定のあと開催店舗を決定)

目的 論外の読者同士のリアルな親睦と、未知なる愛好家の発掘と交流を深めること。

    初心者、ベテランさん問わず大歓迎!

  飲食を共にしながら楽しいひと時を考えています。

会費 未定

まだ出席を決めかねている方、お手すきの方は是非ご参加ください。

※1月末までに人数を確定したいと思います。

奮ってご参加お願いいたします。

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2014年1月15日 (水)

“泳ぎ”の考察~飛行機や鳥との類似性~

らんちゅうの泳ぐ姿を評して筆舌に尽くしがたい美しさだと良く言われます。

それが高じて何よりも“泳ぎ”を優先する愛好家もいるほどです。

ところが入門者にとってその“泳ぎ”ほど抽象的で分かりにくいものはありません。形ではなく一連の動きだから、そうは簡単には分かりません。まるで無駄な動きがない洗練された踊りの“所作”の如くの美しさに例えても良いかもしれませんが、果たして泳ぎを重視することによって何かが犠牲になっていないでしょうか。

それをおいそれと分かってもらうと困る人が居るようですが、これも多くの魚を見ていく経験を積むと何となく分かってきます。

これだけ泳ぎ泳ぎと言う割には“泳ぎ”に関する具体的な定義はあまり聞いたことがありません。「魚の泳ぐ姿勢は優雅にしてしかも軽やかな尾さばきで流動的な動作をもたねばならぬ『らんちうのすべて』より」と品評会の規定にはありますので、良いとされるものを数多く見る以外上達の方法はないです。

泳ぎとは:
腰から下の筒全体を使ってしなやかに左右に軽く打ち振り、適度な固さの尾肩を水平に残しながら尾先で水の塊を抱え込み、パサっという感じで一振りで水を払うように後方に追いやる。すると鷹が上昇気流を捉えて高層の空を滑空するが如く、スッとその姿勢を保ちつつ、前方に軽やかに進む。その一連の動作に一点の淀みもない。

どうしても言葉で表現すると、このように文学的な言葉の羅列になってしまうんですよね。これがいわゆるらんちゅうの“泳ぐ所作”なんですが、「所作(しょさ)」なんて言葉を使うと、舞踊や能狂言を連想させますよね。そうは言っても“泳ぎ”が芸術の域まで昇華されているかというと、そうでもないというのが難しいところです。

無意識のうちに、泳ぎを必要以上に重視すると、らんちゅうは泳ぎ易い形へと変化してしまいます。そうなるとらんちゅうの本来の改良の方向性とは違うことになりかねません。

例えばどのように変化するのか。

尾が大きくなることです。背びれの無いらんちゅうは、泳ぎがどうしても不安定になりがちです。そうなれば尾を大きくして対応しようとします。尾が大きくなれば泳ぎが安定します。

飛行機や鳥の翼を見れば分かることですが、翼面積を増やすことによって飛行の安定性が増します。スッと泳ぐ動作を重視すれば、尾を大きく張り出したものに改良すれば良いのです。と同時に、尾芯を立てることによって飛行機の垂直尾翼に、尾肩は水平尾翼に模されるわけです。左右の長さや狂いがあれば旋回を余儀なくされるわけですから、泳ぎを一番と考えれば、シビアにこの部分を検定しなければならないわけです。

ところがこれは本来、らんちゅうを改良する方向性と真逆であることを知らなければなりません。我々の先達は、「小判に尾ひれ」をらんちゅうの理想としてきました。つまり“チビ尾”になるように改良してきたのです。泳ぎを重視するあまり、そのらんちゅうらしさを捨ててしまって良いものかは大きな疑問です。

ふんぺいが、泳ぎを二次的産物と言うのはそういうことなんです。泳ぎを重視するあまり、尾が大きいことに目をつむり、泳ぎ易いように背が高く、水を押し分けやすいように肉瘤があまり出ていない個体をよしとする、そんな傾向になっていないでしょうか。

造形物としての理想の形状で、なおかつ泳げる個体の創出が究極のらんちゅうであるはず。二律背反する要素を実現していくことこそ、改良の方向性であるべきとふんぺいは考えます。多くのらんちゅうは、尾先が白いので体よりかなり大きくなっていますが単に目立たないのです。仮に尾先まで赤いと明らかに総体的なバランスが崩れているのが分かります。泳ぎを第一とする愛好家はバランスを重視されることが多いですが、是非再考していただきたいものです。

決して“泳ぎ”を否定しているわけではありません。ハードルを下げてまで泳ぎを優先することが、果たしてらんちゅうの進むべき本当の姿なのかを考えて欲しいのです。

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2014年1月10日 (金)

『らんちうのすべて』を読む~テキストとして~ 第八回

【参考魚で形質を検証】18ページ~31ページ

この企画アイデアは秀逸。現物の画像を参照しながら良し悪しを解説。入門者にも参考になるし、ベテランは自分の見方の足りなかった部分が勉強できる。

中でも、考え方として重要な部分をピックアップしてみる。

参考魚の中には“筒伸び”と思われるものもいる。しかし、他の参考魚と比較しても頭と胴の質が飛び抜けていることが理解できないだろうか?

鑑賞上の優劣の前に、魚にとっての“筒伸び”の意味を考えたことがあるだろうか?

何故本書で敢えて“筒伸び”を許容しているのか疑問に思わないだろうか?“筒伸び”に対して肯定的なことに違和感を感じないとしたら、あなたは品評魚を真剣にやってこなかったことになる。しかし・・・

単純に『筒伸び』=フナに戻るではない?!のである。(とも言える。)

前回も書いたが、種魚の選別と会用魚の選別方法の違いにある。

会用魚を選別するにあたっては筒伸びは真っ先にハネられる。しかし種親として残す場合は違う。優先順位があるのだ。何を改良するか?という認識のもとには筒伸びは許容される。許容されるというか、その個体は筒伸びであってもそれ以外の特徴が卓越していれば種魚として許容される。次世代への遺伝的特性をどう残すかを真剣に考えれば、改良・保存の順番は自ずと決まってくる。

一般には、鑑賞上はマイナスだからハネているはず。しかし上記の考えからすれば遺伝するキズだからとかの問題ではないのが理解できるであろう。

また、その個体が何故筒伸びなのかの生物学的理由を考えたことがあるだろうか?

下半身を見ると、尾形は上半身がしっかりしているのにちゃんとついています。これでうまく泳げるのでしょうか?その点は金魚自体がしっかり筒を長くして調整しているのでしょう。(P.21)

普通なら(会用の選別なら)下半身だけ見て思考停止してしまう。筒伸び以上に頭と胴の質は優先されると考えれば、上半身の質を見てこの魚は池に残る。

筒伸びは、上半身の質を残しつつ泳ぐために尾が弱くなるように筒を延ばしてバランスを取っていると考えるべきだろう。

ただ、他により良い個体が居れば敢えて残す必要はない。どのような個体が残っているかで判断すべきだろう。

種親の選別優先度を考える。

頭の質>胴の質>筒伸び>尾 の順と考える。 

筒伸びでも頭や胴の質が上回っていれば“残す”。

形質を重視して種親を残すためには、筒伸びすら残さなければならない。ということだ。

捨てて良いのは、フナ尾と背ビレありぐらい・・・・!?(差しや三角筒も)

だから、宇野先生が「この頃、選別するのが早すぎるのと違いますか?あなたがハネた中に良いのが居るに決まっている。」は、そういう意味であったと解釈すべきだろう。

宇野先生は図らずも、会員分配用に数多く残すことでそのことに気が付いたと推測できる。

一つ逸話を書く。
宇野先生は、何度も入賞して頂点を極めたある古参会員にこう話したそうだ。

「そろそろ卒業されてはどうですか。」

??何を卒業?らんちゅうを止めろとでも言うのだろうか?もうこれ以上は書くまい。それはこのブログを丹念に読み込めば分かること。

背が低い個体は、筒伸び気味が多い。

逆に、背が高いと背下りで筒を下して調整している場合がある。ある意味、これも一種の筒伸びと言えないだろうか。背が高いと筒伸びは上見では隠されているとも言える。

だから筒伸びは会用には使用できないが、種用としては、一概に淘汰する理由にはならない。単に見栄えだけの問題とも考えることができる。

この古い種親から見えてきたのではないでしょうか。形質、特にフナと違う頭、背を抑えた胴の形質を持つ種親をしっかり残していかないと、良いものは出ないし続かない。それがらんちうなのです。しっかりとした形質を持つ親こそが品評会で遊べる、バランスも良く質を失っていない魚をもたらすということです。(P.22)

作者が一貫して主張していることが理解できるだろうか。品評会で遊ぶための形質をどう残していくかという課題は、要は種親の問題なのだ。バランス魚は卓越した形質を持った種親に負うところが大きいということ。

遊び(品評会用)の魚は遊びと割り切り、タイプの違う、頭や胴の形質の強い種親の持ちごまが必要なのです。池がたくさん必要になるわけです。p23

品評会だけを目的にした場合、入門者はもちろんのこと、多くの愛好家が陥りやすいのだが、次第に種親の質が落ちていくことを誰も気が付かないということだ。

バランスは良いが突出した形質を持っていない親で仔引きを続ければ、次第に形質が落ちるという理屈は、分かりやすいが中々実践では理解できないだろう。

私の経験談を一つ。
ふんぺいは、たまたま田舎に住んでいて場所があったので、庭にどんどん水槽を当初から置きまくっていた。そんな恵まれた池に余裕のある環境だったので、検証や実験的な飼育が可能だった。

当初は、品評会用のみを飼育するために贅沢に池を使用していた。普通の愛好家と同様、早期の選別淘汰を繰り返し、尾まくれや筒伸びなど一切飼育していなかった。

ある時、大先輩の池に三歳が泳いでいたが、どれも坊主頭で、当時の私なら淘汰しているものを後生大事に飼育しているのを見せてもらった。先輩は「まあ、見ててみ。四歳になったら見違えるで。」との言。

四歳になったらその通りになっていた。もうまるで別物に変貌していた。肉瘤たるやあの坊主頭からこれほどまでに膨隆するものか!その時気が付いたのだ。今までハネるのが早すぎたんだと。

Photo我慢したら残った魚

そこで私も一池、尾に難があっても、頭が貧弱でも、四歳まで飼育する池を作ってみた。すると、どうだ、見事に変貌した。その時はじめて悟ったのだ。「僕は今まで、三歳の時までにそこそこ頭が吹いていて、尾がバッチリの魚しか残さなかった。そのような魚は概して大成しないでそこで終わる魚ばかり。いつもハネていた魚を四歳まで飼えば、結果は全然違っていたんだ。」と。

場所の無い愛好家は我慢できずに早期にハネるはず。そういえば先輩のハネを貰って入賞させていたのを思い出した。

選別とは、ある時点での魚の見え方でその魚の可能性を見切る作業。
宇野系はどんどん変貌するらんちゅうだ。本来なら魚の将来性など誰も分からないはず。なのに嬉々として選別することの愚。4歳になってはじめて分かる魚の形質なら、それまで飼育しないと仕方がない。だから我慢して数多く飼育する。大きさはある程度犠牲にしてまで多く飼えば、種に最適な親が誰よりも早く残るはず。

小さく飼えなどとは誰も言っていない。まめらんちゅうと卑下するのは意味を理解出来ない頑迷な人の言。無暗矢鱈に大きくする必要はないが、ある程度の大きさにするのが好ましいに決まっている。小さいからキズが分からないということはない。人間の目は寸分の差でも感知できる。それほど精密なのだ。それは理由にならない。

慣例に囚われることなく、らんちゅうとは何かを考えて欲しい。本書はこのように読み込まないと真の意味は分からない。

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2014年1月 2日 (木)

新年のご挨拶

旧年中はご愛読いただきありがとうございました。

シーズンオフはもっぱら読書と思索に耽っております。思索とは、毎日ほぼ頭の中にらんちゅうを飼って泳がせている状態ですね。(^^;) つまり、あーでもないこーでもないってらんちゅうのことを考えているんですね。

読書は興味の赴くまま。機会があればご紹介します。

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色々な方からご意見などをいただくと、自分の考えの足りない部分に気づくことができ有意義です。そこから私の言いたいことを理解して頂く方法・方策が見つかったりします。

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まだまだこれから寒い日が続きます。どうかお体ご自愛ください。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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