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2012年4月

2012年4月28日 (土)

猩猩(しょうじょう)とは

金魚の色は鑑賞魚として大事なポイントであるのは確かです。

今回は宇野系らんちゅう愛好家においてしばしば使用される“猩猩(しょうじょう)”という用語について考察していくことにします。

そもそも“猩猩”とはどういう意味でしょう?

【猩猩とは?】

1:オランウータン

2:中国で、想像上の怪獣。体は狗や猿の如く、声は小児の如く、毛は長く朱紅色で、面貌人に類し、良く人語を解し、酒を好む。

3:大酒のみ

4:能の一つ。  広辞苑より    

ん~これではイメージ湧かないですね~。そこで私なりに情報を総合して定義してみると。

A:顔の赤い妖怪。映画「妖怪大戦争」など水木しげるの漫画に登場する妖怪で顔が真っ赤で大酒のみ。

B:宮崎駿監督の「もののけ姫」に森の知恵者として猩猩が登場しますが、これも猿をモチーフにしているか、オランウータンに近いかも。この場合、体色とかは出てきません。

従って、以上を金魚用に定義すると、

中国の想像上の妖怪の顔の真っ赤な色をモチーフに金魚の色に当てはめて形容したのが始まり。

とでもしておきましょう。

さらに【猩猩緋】という色があり、(猩猩の血をとって染めた色という)黒みを帯びた鮮やかな深紅色、だそうでまさに金魚の猩猩はその色なのでしょう。

因みに、ショウジョウバエのショウジョウって猩猩だったんですね。漢字で書くと「猩猩蝿」なんです。目が赤いからだそうです。

Drosophila_melanogaster__side_aka
ショウジョウバエ:Drosophila_melanogaster_-_side_(aka) ウィキペディアより

【猩猩のもう一つの特徴】

宇野系らんちゅうでいう猩猩は色合いもさることながら、もう一つ重要な特徴を有しています。

それは、体色全てが紅いことが必須条件となるのです。同じような色の表現では“素赤”があります。その“素赤”との相違点は素赤は鰭と尾の先を洗っているもの、つまり白いものを言うんです。素赤のらんちゅうは多いのですが、なかなか鰭の先まで赤い個体はお目に掛かることがありません。

色は濃い赤または紅でなければならないと仰る愛好家も居られます。しかし、その色の濃さに関しては、飼育環境や方法によってかなり左右されるものと思われ、一概には色だけで判断は出来ないので、猩猩の大きな特徴は“尾の先まで赤いこと”とするのが最も合理的だと思われます。

さて次に、その猩猩という色を見て行く場合の注意ポイントを見て行きましょう。

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上図がまさに鰭まで赤い猩猩です。白い部分が一切ありません。そして気をつけなければならないのが腹部です。腹部まで赤い魚が正真正銘の“猩猩”です。見落とされがちですがここが重要なポイントだと思います。

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上見で猩猩に見える下の個体も、実は、

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裏返して見ると、顎の部分から前鰭の部分が白い!ですね。これは“赤勝ちの更紗”と言っても良いのではないでしょうか。厳密に見て行くとここまでこだわって見て行く必要があるんですね。逆に言うと、腹底から段々に白くなる傾向を証明していることが理解出来ると思います。

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何故ここまで宇野系らんちゅうは猩猩にこだわるのか?

まず一点は、猩猩から多くの色のバリエーションが生まれるから。

二点目は、金魚という品種は尾先が白くなり、腹部が白くなり段々背に向けて白くなる傾向があるので、それを意識して選抜しないと次代は白勝ちになり、最後には白ばかりの個体しか残らなくなるから。

つまり早い時期から宇野先生はこのことをご存知だったのでしょう。だから我々宇野らんちゅう愛好家は色目をうるさく言うのです。つまり色目も遺伝することが明白であると言えるのです。

因みに、皆さんも魚をひっくり返してみてください。腹部が赤い個体って意外に少ないことに気が付くでしょう。

宇野系では、その一般的な傾向である色の抜け方を逸脱する個体を“船底”と言って珍重します。まさに舟の喫水が紅く塗装されているようなイメージですね。

“船底”などの個体からは猩猩も出ると言われています。しかし一旦素赤になると猩猩は中々出ないと言われているんですよね。だから色にまでこだわる理由はそこにあるんです。

下のような横だけ色が抜ける個体など、色のバリエーションも楽しみの一つであるわけですが、狙って出すという考え方ではなく、あくまで基本になるものを保存維持しながら色を楽しむというスタンスが肝要ではないかと思うのです。宇野らんちゅう愛好家が猩猩を大切にするのには以上のような理由があったのです。

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2012年4月27日 (金)

マスカラ

化粧をしたような個体が居たのでパチリ。

Rimg0040

何故?何故なの??目玉の周りがマスカラのように黒く縁取りになっていて、目玉自体も大きいですよね。瞳もつぶらで大きく見えるし・・・・

どうも水温が低くて目の周りに黒ソブが出来ているみたいなんですよね。しかもこの目見えてないんじゃないかな。

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2012年4月26日 (木)

画期的?プラスチックエアーストーン

長年、エアーストーンには泣かされてきました。

使用していると、突如目詰まりしてエアーがちょろちょろしか出なくなってしまうことがしばしば。

その目詰まり解消のためハイターに付け置くこと一日。でもやっぱりしつこい目詰まりは解消しなかって、泣く泣く廃棄することが多かったんですね。

いっそのこと使い捨てと割り切って焼きの入っていない安価なエアーストーンを買ったりしてましたが、今回面白いものを見つけましたのでちょっとご紹介します。

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いや~、鑑賞魚界にこれほど大胆に色を導入するとは考案した人間はちょっと普通じゃないですよね!これがエアーストーンって思います?従来の「私はお魚さんの為に日夜泡を吹いてますけど所詮日陰の身。」なんて慎ましさは微塵もありません。

水槽に設置すれば必ずやKYな調和を乱す変な奴になり下がるこの自己主張はどう評価したら良いのでしょうね。センスの悪さはピカ一ですね~(^_^;)
でもらんちゅう飼育にはそんな色なんて関係ありませんから!

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仕組みはっていうと、プラスチックの円形のパーツが組み合わさっている単純なものです。そしてエアーがその隙間から噴出するわけで、詰まったら分解して掃除すれば半永久的に使えるっていう代物になっておるわけです。

ん~、この手があったか!はめ込み式とは考えたものです。

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しかし、しかしですね。これって中国や東南アジア方面で開発されたのか、作りはすごくちゃっちぃいです。上のように底部の重りが入っている部分はこ~んなにいいかげん。

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モデラーとして許せないのは、バリは綺麗に取ってないし仕上げは小学生以下であるのは確かです。

と、突っ込み所満載なわけですが、さてさてその機能としての実力や如何に!

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エアーを通してみると、想像していたようにパーツ組み合わせの隙間から大き目なバブルがボコボコという感じで送出されています。(一番大きいタイプ)

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二番目に大きいタイプも同じ感じですね。

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一番小さいタイプも泡の大きさは一緒みたいですね。要は隙間の大きさなんでしょうね。

さてさて、ふんぺいの結論はというと、

らんちゅう飼育において泡の大きさは別段問題ないと思います。それよりも通気が一定であることと目詰りが少なくて、万が一詰っても簡単な分解掃除で即座に解消するというメリットは計り知れないと思っています。

これは有りだと思いますが 、ワンシーズン使用してみないと最終的な結論は出ませんので不具合等はまたリポートします。

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2012年4月20日 (金)

峰のお話し~名古屋港水族館にて~

3月に名古屋水族館に行った時、興味深いサンプルが一杯あったので撮影してきました。

クジラの骨格標本の展示コーナーなんですが・・・・

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上の画像は、クジラを後ろから見たアングルです。随分とはっきりした“峰”が確認できます。もっと背は平らなイメージだったんですが、これほど峰が立っているとは。水を左右に振り分けて、スムーズに水流を作り、安定した泳ぎをするためには、これぐらい峰があったほうが良いのかもしれません。

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マッコウクジラの骨格の透視図ですね。
この図から骨格と肉付きは、ある意味、別物と考えられなくもありませんよね。つまり肉あるいは脂肪の付き方が体形を司っているということです。

ここから考えられることは、体形の骨格を中心に置きつつも、肉付きの遺伝性も考慮に入れなければならないということです。ぽっちゃり体形か筋肉質体形かなど。

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骨格標本と生体モデルが並べて展示されていました。この骨格の神経棘(背骨の上の棘のように並んでいる骨)は長いですね。上述のマッコウクジラと違いますね。ということは、生体モデルに当てはめると神経棘の周りには筋肉などで背中は構成されていると推測されます。同じ哺乳類でもこれだけ品種によって違いがあるんですね。

人間の場合は背骨(脊椎)があってすぐに背中の肉と皮になるんですが、クジラ類は違うことが良く理解出来ると思います。

さて、らんちゅうを以上の知見から類推するとどうか?

ふんぺいが思うに、肉付きの問題はありますが、らんちゅうは改良品種であることを念頭に置くと、クジラとは違って、神経棘をいかに短くするか、もしくは短いものを選抜するかが問題ではないかと思うのです。

その根拠は?と聞かれれば、まだ明確には答えられませんが、キーワードは“癒着”です。いずれ資料が手に入れば書きたいと思います。

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福寿草を見に

毎年恒例になった福寿草を見に彦根の山奥の霊仙山に登ってきました。

標高1000メートルほどの山なんですが頂上はなだらかな稜線が続き見晴らしが良いんです。
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そして石灰岩のカルスト台地みたいになっています。今年は例年になく寒かったので雪渓がまだまだ残っています。
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ところが、今年はその長引いた寒さのせいか、毎年群生している福寿草が見当たりません。見事に何もないんです。ようやく探し出してもほんのわずか。
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こんなことって今までお目にかかったことがありません。時期が遅かったんでしょうか?それとも鹿が食べてしまったのか?
頭の上に「?」を付けながら下山しました。
そして道中の山間の桜は今が見ごろでした。こちらは少し得した気分になったのでした。
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ふんぺいの本格的な春とらんちゅうの季節はこうやって毎年やってくるのです。

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2012年4月18日 (水)

『太い』とは?『細い』とは?

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上図の顔の付いた魚に模した図をご覧になってどう思います?

下の図は胴体が長いですよね。その上の図と比較して“細長い”と思ってもおかしくありません。しかし短い方の図の“巾が太い”としたら、下も“巾は太い”ことになります。

すると下の図は体長が長いだけで“細長くはない”ことになります。

おやおや、それじゃあ“長さ”とか“太さ”とか“細さ”ってどういうことでしょう??

“長さ”と言う時の“さ”は程度を表わしています。“高さ”やら“美しさ”なども同等の意味です。いわば尺度と言っても良いでしょう。すなわち程度なのですから、比較する対象があってはじめて成り立つ言葉になるんですね。

厳密には、目巾と体巾との比率から、「この個体Aは個体Bより“太い”」などと使用するのです。ここで言う太さの基準をどこに置くかで見方が変化してしまうのが判るでしょう。

漠然と「これは細い」と言っても釈然としないのはそのためです。

上図の右上のウィンナーソーセージのような物体をご覧ください。それの尺度を変えて二分の一の縮尺にする(その下のソーセージ)と、巾が二分の一になっても全体を小さくしただけなのですよね。

ただ尺度を変えただけですが、上のウィンナーより下のウィンナーは巾は狭いです。でも“太さ”は一緒です。実にややこしいですね。

こうやって見ると、個体の太みや太さとは対象物の寸法ではなく、感覚的で抽象的な表現なのが判りますね。つまり“太さ”や“細さ”とは、何を基準にするかで変化する相対的な表現ということです。

いわば何を比較対象としているかによって変化してしまうものなのです。故に厳密に規定するとするならば、比較するものを明示する必要があるはずなんです。

日本語は良く主語が省略されます。曖昧な表現から、バカでかいらんちゅうを何でもかんでも“太い”なんて言っていたら笑われるのはそういうことです。小さくても“太い”魚はいるわけですね。逆にバカでかくても細い魚は数多く存在するというわけです。

このあたりを愛好家諸氏は心して欲しいものです。

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2012年4月 4日 (水)

『金魚のすべて』を読み解く

本書は書名に恥じない『金魚のすべて』を網羅するべく、多岐にわたって金魚を詳述している書物です。

特筆すべきは、地金魚の飼育方法から鑑賞方法までしっかりと記録されている部分です。具体的に書かれているので、マニアにとっては良き指針になったことだと思います。

らんちゅうの飼い方 141ページ~169ページ(28ページ)

土佐金の飼い方   170ページ~184ページ(14ページ)

地金の飼い方    185ページ~200ページ(15ページ)

なんきんの飼い方  201ページ~212ページ(11ページ)

らんちゅうは当然としてもそれぞれ以上のようにページを割かれているだけに、長澤氏の力の入れようが判るというものです。

さて、らんちゅうの飼い方はご覧のように多くのページが割かれているわけですが、中でも抜粋して見て行きたい部分があります。

おおさからんちゅうを身近に感じている関西地方の方は、現在のらんちゅうは頭部の肉りゅうの発達が重要なポイントだということをよく理解しておいでです。その良い例が京都の宇野仁松翁の魚で、いかにも京娘のような、やさしさの中にしっかりとした頭部の肉りゅうの盛り上がりが見られます。関東地方を中心とした魚は、総体のバランスを思うあまり、親魚であっても頭部の肉りゅうの発達が寂しい魚が見受けられるような気がします。153ページ

この件は何回か引用させてもらってますが、再度重要なのでピックアップしておきます。長澤氏のらんちゅうに関しての記述は、一般的な“泳ぎ”や“尾”を重視する傾向が見受けられますが、かたや上述のように関東地方と関西地方の見方の違いに言及されながら、肉瘤の重要性を喝破されているあたりはさすがだと思わされます。

目先は、目下の部分が発達して左右に丸味をもって突き出した形を竜頭と称し、迫力がある美しさをもっています。
また頭部の肉りゅうも、粒が大きく固まって盛り上がったものをブドウ頭などと称し、豪華に見せるものです。
肉りゅうのつき方が特に頭の上に高く盛り上がるものを兜巾頭、両方の鰓ぶたに厚くついたものをびんばりなどと称します。
獅子頭は、したの方から肉りゅうが発達して、頭全体を覆うように盛り上がった様子が牡獅子の頭を見るようなところから、名称の由来があるわけです。154ページ

肉瘤の名称も列記されています。

1.竜頭:今更説明は不要でしょう。

2.ブドウ頭:他書では見当たらない表現です。ブドウの房のように大きな丸い肉塊が寄り集まったような形状を言うのでしょう。カリフラワー状のような形状が崩れたものとはまた違うのかもしれません。

3.兜巾頭:これも説明不要です。散々書いてますから。(^_^;)

4.びんばり:“びん”は“鬢”で“もみあげ”を言うんです。従ってらんちゅうの頭部なら鰓の部分。鬢が張っているから“鬢張り”なんです。目下の膨らみや目上の部分を“びん”とは言いません。愛好家によっては誤認されている場合があるので要注意です。

5.獅子頭:獅子頭がスタンダードだと長澤氏も認めてらっしゃるんですね。これをらんちゅう愛好家は肝に銘じるべきです。

腹部は、鰓ぶたの後ろから凹凸がなくゆるやかな丸味を見せながら後方に向かい、腹の止まりは茶道で使う、いわゆるなつめの形が良いとされます。左右の腹部の形が不ぞろいのものは片はらみ、腹が下に深く垂れたものを釣腹と称して嫌われます。154ページ

胴の見方を含むこの部分はあまり触れてこなかったので、今回解説してみます。

重要なポイントを列記すると、

1.“鰓ぶたの後ろから凹凸なく”の部分は、見逃されやすいですが、鰓から胴に至るラインが首根っこのようにくびれていたりすると見苦しいということです。エサを付け過ぎると崩れる部分でもあります。

2.“腹止まりはなつめが理想”、判りますか?この意味。茶道でいう“なつめ”。これだけではイメージ湧かないですよね。

少し解説を加えると、筋道立てて考えれば判ってきます。茶道で言う“なつめ=棗”とは、いわゆるお茶っぱ(粉茶)を入れておく茶筒みたいのをそう言うんです。ネットで検索すると画像が出てきます。そしてその“なつめ”は何故そのように呼称されたかというと、樹木に“なつめ=棗”というものがあり、その棗の実がまさしく茶道の棗の形をしているからなんです。つまり樹木の棗の実に形が似ているから茶道で茶筒を棗と呼称したんですね。

先人は棗の実の綺麗なアールを描いた円形を理想としたということです。

3.“釣腹(つりばら)”

だら~んと腹が垂れたものをそのように表現しているんですね。風船を口から水を入れて持ってみると重さで垂れるでしょ?あんな感じの表現と言ったらイメージ出来るでしょうか。支点が上の方にあるんですね。ある意味“吊り腹”かもしれませんね。

こうやって見て行くと、言葉で説明しても項目が多すぎてネタが尽きないことが判ってもらえると思います。

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2012年4月 3日 (火)

『金魚のすべて』より~石川宗家の系譜~

ご紹介する『金魚のすべて』は同名で現在市販されている書物の兄貴分のような存在で、東京都水産試験場で金魚の研究を手がけられた長澤兵次郎氏の渾身の一冊として今も愛読されています。出版当時の有名愛好家の動向や品種の詳細な説明は今読んでも古さを感じさせません。

Img_2  『金魚のすべて』マリン企画 昭和59年 

中でも今回は、仁松翁とも深い関係があった石川宗家の系譜についての記述を抜き出しておきます。

らんちゅうを趣味とする以上、近代らんちゅうの創始者のことを知らないわけにはいかないはずですが、意外と皆さん興味が無いのか知らないことなのではないでしょうか。功績とともに日本の歴史を学ぶように当たり前として知っておいて良いことなのではないでしょうか。

初代 詳細は不明

二代 石川鉄次郎(槙鉄)

三代 石川亀吉(新亀。後に亀翁と称す)天保2年(1831)東京浜松町に生まれ、後に浅草千束町に移る。通称「富士下」。明治36年8月5日、73歳にて死去。

四代 二世石川亀吉(幼名甲三郎) 初代亀吉翁の三男として明治4年、浅草千束町に生まれ、大正8年現在地滝の川へ移る。昭和42年12月(12日96歳にて死去。

五代 御当主、石川秀三郎

現在は、秀三郎氏はご病気で実質的にご子息が切り盛りされているようです。

石川家は五代続いていて、屋号としての“亀吉”は二代であったことが述べられているわけです。『蘭鋳秘伝』を読むときなどはこの時代背景を知っているといないとでは理解度がかなり変わってきます。

次回はこの『金魚のすべて』をもう少し見て行くことにします。

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2012年4月 2日 (月)

会報を読み返して

琵琶湖金鱗会の会報作成を平成10年から担当しています。

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当初はコピー機でせっせとコピーしてホッチキスで綴じて一部一部手製でした。これが結構な手間でした。記録を残すことが大事だと一念発起して作り出したのですが、結局印刷会社に依頼することになったのでした。

それをつらつらと読み返していると発見があるものです。

ふともうお亡くなりになった古老の一文が目に付きました。少し紹介しようと思います。

『らんちゅう飼育最近気になること』と題して、

F.更紗にこだわりすぎる
一昔前に比較すると、品評会の出展魚が更紗に偏り過ぎている様に思います。素赤や黄金の魚も、評価されてしかるべきと思うのです。素赤同志の交配でも更紗は出ます。むしろこんな更紗の方が、赤や白の冴えた魚になると見受けています。池に素赤や黄金の親魚がいないのでは、良血種の維持は困難です。確かに更紗は一見華やかですが、更紗以外のランチュウは、評価されない様では、困った事だと思いま

さすが古老です。目に鮮やかな更紗の成り立ちから警鐘を鳴らされているんですね。黄金という色合いを当時使用されていたとは驚きです。良血種の維持の方法をそれとなく書かれているのに今気が付きました。

G.竜頭にこだわりすぎる
目巾があって前だしの立派な魚のみ、珍重される傾向が近年著しく、「ときん頭」の魚は評価されない、こんな傾向が極端に出ています。目巾と目先が十分ならば、「ときん」型の頭の魚も十分に鑑賞にたえられます。      故 荒木克巳氏

当時ですら「ときん型」は居なかったんです。古老はやはりご存知だったんですね。その意味が判らず私はスルーしたんです。今頃気が付いても時すでに遅しですね。

先人の言に耳を傾ける重要性がこれだけ読んでも判るというものです。そして記録として残すと言う事。我々愛好家が悩んだ時に振りかえって先人の言を紐解くことができること、これが何よりもらんちゅうの発展には欠かせないのではないでしょうか。

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2012年4月 1日 (日)

会魚と種魚

愛好家は仔を産ませる親魚を厳密な規定なしに、総じて“種魚”と表現します。本人の主観的な好みで“種魚”としているので、その遺伝的な特徴は質的な優劣に関係なく次世代に受け継がれることになります。

しかし、種牛にしても種馬にしても、仔を産ませる親全てが種ということはあり得ません。育種学的に既定すると種魚とは、優良な遺伝因子を数多く持ち、仔に安定的に遺伝する優良な形質を保持している親魚を言います。

「仔出しが良い」とはスムーズに産卵する親や、卵数が多い親を言うのではありません。あくまで優良形質を持った仔を数多く出す親を「仔出しが良い親」と言うのです。

らんちゅうの場合、“会用魚or会魚”という括りがあります。種としては不向きだが会に出陳するには適当であるぐらいの形質を持ち合わせている個体。

種魚と会魚を比較すると、ブリーダーとしては種魚を持っていないと継続して繁殖は出来ないと言えます。種魚を持っていれば会用魚はいつでも作ることが出来るという理屈です。

故に種魚は表現型として優れたものを表出している個体でなければならないはずです。

Photo_3   

上図は、手持ち画像から比較図を作成しました。

ご覧のように二つのポイントを図示しています。黄色い矢印は“背出し”の部分を表わしています。赤い矢印は、背中から腹までの“体高”を指し示しています。

二つの個体を比較すると随分と違うことが一目瞭然です。らんちゅうとしての資質を見極めることを絶えず意識していると、この相違点が次第に理解出来ることなのだと思うのです。

会魚のほうは系統(宇野系とか協会系とか)関係なく良く見られるタイプのもので、どこも悪い所はありませんが、種としては劣ると思われます。

会魚としては申し分ないが種魚としては劣る・・・・判ったようで判らない表現方法ですよね。つまりこうです。

図の会魚は、種魚と比較して背出し部分が頭の高い位置から始まっています。高い位置から始まっているので背から背下りが深くなり、尾は高い位置でバランスを取っています。さらに腹は食い下がり気味になって体高があるように見えます。事実、体高があるのですが・・・・背は決して低くは無いが、エサを付けてその背の高さが目立たなくなるので、普通気が付かないとこれを種魚としてしまいます。これ以上先に進もうとするタイプではないので資質としては種魚としては向いていないと思います。

しかし、会魚として欠点はありません。むしろ背なりは良いですし上見なら太く立派に見えることでしょう。背下りも上見なら太く見えるはずです。「会魚として上見が良ければ良い」と極論される愛好家が居るぐらいですので会で遊ぶには良いでしょう。

翻って図の種魚はどうでしょうか。背出しの部分が頭の低い部分から出ているのがお判りになるかと思います。比較すると頭部がはっきりと区分されていて土台から違うことが判ります。低い位置から背が始まっているということは、体高がなく腹の付き具合も適度なのが見てとれるかと思います。上見だと太い棒のように見えるはずです。背なりも尾付けまで破たんなく続いています。理想の体型とはこのようなものだと言えるのではないでしょうか。らんちゅうであればこのような個体を種魚としないと先には進みまないでしょうし、形質の保存維持は出来ない言えます。

種魚の頭の質も同時にご覧ください。トキン部分の膨隆が全然違うことに気が付くことでしょう。会用魚は顔が体の一部となってしまっていますが、明らかに種魚は顔の部分が分離したように見えます。

ただ単に仔を採るから種魚ではないのです。厳密に仔を採る親の質を見極めることが大事で、愛好家の独りよがりで親を選択していては、次第にいつの間にからんちゅうとしての資質が消えた個体ばかりになってしまうのだと思うのです。

客観的に魚の質を見極めることの難しさを説明してみましたがいかがでしょう?

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