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2012年1月

2012年1月30日 (月)

味の考察~蘭鋳秘伝より~

『花札とらんちゅう』で“味”について考えましたが、緑書房の『蘭鋳秘伝』に関連する興味深い部分がありましたので引用しながら見て行くことにします。

「味と言う奴は図解出来ないから困るし、言葉で言っても、やはり抽象的なことばで、説明はしにくいよ。つまり魚の特徴を言う時もあり品位を言うこともあるからね。結局いつ見ても見飽きのしない長所、ランチュウのような不自然な型でいて、何処か自然な所がある。これを味と言うんだろう。
まあ自分の商売から考えてみて、建築で言えば昔から、天平時代のもの、或いは徳川時代のもの、等々枚挙に暇のない程あるが、日光の陽明門を見た時と、天平時代の建築である奈良の唐招提寺の金堂などを拝した時の感じは、前者は単に豪華の一言に尽きるが、後者は何とも言われぬ静寂な、良い味があると思うね。」

「全くだ、僕も古建築を鑑賞するのは好きだが、徳川期のものは金魚ならキャリコ、琉金趣味だ、美しさはあっても含蓄がない。天平期となると専門的な細部手法はとも角、それから受ける大きな感は気韻高古、ちょっと筆舌に尽くしえない。これを卑近な詞で表現すれば、先ずも以って第二次的に『味』の字がやや当てはまると思う。魚の味は全く難しいよ、自然に解るまで待つとしよう」     『蘭鋳秘伝』100ページより引用

「優魚十五の条件」の項で、らんちゅうの見るべき所を列挙していく件で、著者は“味”について触れているのですが、結論は上記の赤い部分に落ち着いているようです。つまり「見飽きない長所」がどれだけ鑑賞個体に存在するかに掛かっているようですね。

私も建築物を鑑賞するのが好きで、著者たちが例として挙げる陽明門や唐招提寺の比較は判りやすい事例と思います。但し、後半の「徳川期=キャリコ、琉金趣味」、「天平期=気韻高古」として徳川期を「含蓄がない」としてしまうのはどうかと思います。

ここでも“味”の所在は「自然に判るまで待つ」としているように、いかに魚を多く見るかという経験が“味”の意味を判らせるという結論になっていることが理解できるのではないでしょうか。

比較対照できるどれだけのサンプル=引き出しを持つことができるかが、“味”が判る決めてになるのだと思うのです。

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2012年1月22日 (日)

見え方について

写真や絵などの立体物を平面に還元して、“対象を見る”または“対象を鑑賞する”という行為について考えてみます。

2_2
上図の左右の図形は、どちらもあなたが見ている平面であるディスプレイ上 から、手前に飛びだしたように見えているはずです。

その効果は縁などに巧妙に陰影が付いているからそのように見えるんです。そして左右の図の見え方が違うもう一つの効果は、左はつや消しに見えて、右はツルっとした感じに見えることです。もし触れるとしたら、左は少しザラっとした感触でしょうし、右はツルツルしていると想像できます。

この感触の違いを生み出しているのは、右の図の上部に白い線が入っていることが主な理由です。上から強く光が当たって対象物に反射しているのを表現していて、我々は光沢があると感じているんです。

Photo
さらにもう少し検証すると、光の当たり具合を白い面で表現することによって、光源が上から当たっているのか下から当たっているのかなども表現できるわけです。

私たちは、その白い部分や陰影を見て、凹凸感や素材感を想像してあたかも触ったかのような触感まで感じ取ることができるのです。

らんちゅうを“見る=鑑賞する”時、このセオリーは同様に適用されています。光の当たり具合によって凹凸感(=背が高い、平たみ感、峰っけ)を感じ、らんちゅうの体表面のざらつき感や光沢感は、柔和な感触や硬質感までもを看守する能力となっているのです。

しかし、光源の方向性や陰影の出来具合によって見え方は変化することになるので、本質的な形から外れることもあることを承知していないといけないと思うのです。

一枚の画像かららんちゅうの本質を見抜くことの難しさや、その限界を感じ取ることを我々は常に意識しないといけないと思うのです。

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2012年1月12日 (木)

花札とらんちゅう~味の考察

らんちゅうを長年やっているとベテランのこんな言葉を耳にすることが増えてきます。

「この魚は味が足りないんだよな~。」

“味”、“味”っていったい何?  食べてもいないのに何故味が判る? 普通ならそう思いますよね。味覚である“味”で何を表わそうとしているのか?入門者を煙に巻こうとしているのか?そう思っても不思議ではないですよね。

趣味の世界では、それぞれの分野で言葉では表現できない微妙な感覚や見え方をめんどくさいのでみんなひっくるめて“味”って呼んでしまうことが多いみたいなんですね。

ある意味、“味”という言葉は便利であり、ベテランの優位性を担保するためのツールとして存在し、ベテランの逃げ口上の手段と化することを正統化するためあるようになってしまっている感も否めません。

その抽象的な“味”という言葉の一面を、入門者に説明するには何かサンプルは無いかと考えていたら、ちょっと面白いものがあったのでご紹介しましょう。

Img_0002 Img_0003 Img_0004

みなさんご存知「花札」です。そのうちのこの三枚は松ですね。松の内なんでおめでたいんでこんなものも取り上げてみます。

さて、この三枚を見比べてください。

カス-赤短(短冊)-松に鶴ですね。

カス:松が下部を占めていますが、上部の余白は物足りなさを感じますよね。

赤短:下部はカスと一緒。上部は雪でしょうか。細かい点があり、中央に赤い短冊が強力にアクセントになっています。カスと比較すると色は赤が増えていますね。

松に鶴:松が左右に分かれて、中央に鶴が配置されます。丹頂でしょうか、頭部が赤く、細部まで描き分けられてますよね。そして極め付けは右上の赤い太陽ですね。これがあるとないとでは絵の締り具合が全然違うでしょう。

それぞれ絵の解説をしてみましたけど、さあ味があるのはどれ?となると、やっぱり誰が見ても松に鶴でしょう。解説のポイントも明らかに松に鶴が多いことが一目瞭然ですよね。

つまり見るべきポイント数が他と比較して多いしデザインが卓越してますよね。カスは論外としても、赤短と比較しても構図や面白味からして鶴のほうが良いのは歴然です。役が揃うということはこういうことなんだと思うのです。

三枚を見比べると鶴は見飽きないですよね。味わいがあると思いませんか?カスのような不足感は微塵もありません。これが“味”の一側面だと思うのです。

「見飽きない」を追求していけば見えてくるものが“味”なのだと思うのです。「尾味」なども尾のどのような形と動きに魅せられるのか? 尾のしなやかさなどのふわりとした動きに極上の“味”を見出すと言ったふうに、数多くの経験値の上にそれでも見飽きない何かサムシングが“味”として表現されるものなのだと思います。

入門者など鑑賞するという行為が少ない人と、無数の個体を鑑賞することによって記憶としての経験を豊富に持っているベテランとでは、比較参照出来るテーブルの差異が“味”の理解の差を生みだしているとも言えます。

つまり入門者が“味”を理解するには、ある一定量の鑑賞する経験を積み、なおかつ意識的に鑑賞ポイントを自覚的に分析する記憶力と能力が必要で、その経験が飽和量に達した時、“味”が理解できるのではないでしょうか。花札の例で申し上げたように、カスという札を記憶しているがゆえに、鶴や赤短と比較出来るのだと理解しなければいけないのだと思うのです。

ならば具体的に入門者はどうすればよいか?

結局ひたすら比較できるサンプルとしての優良不良個体を見て経験値を上げることに徹するべきという結論に達するのです。

子供には甘みは理解できても苦みが理解できないのと一緒ですね。これが味覚に例えて“味”と表現する理由なのだと言えるかもしれません。

関連記事
『味魚を考える』
『鑑賞眼は進化する』

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2012年1月11日 (水)

犬頭(=獅子頭)の分析

らんちゅうの頭部については多角的に分析してきました。龍頭の考察では龍の頭部を犬との類似性を思わせるポイントとして抽出してみました。

以前にも獅子頭=犬頭という方程式を提案していますが、この際もう一度復習してみてください。
ウエストハイランドホワイトテリア
獅子頭らんちゅうと普通のらんちゅう
龍頭と獅子頭~肉瘤の本当~

本記事では、もう少し具体的に犬の頭部の名称とともに見て行くことにします。調べてみると、愛犬家も頭部の名称にこだわりを持っていることが理解できます。

Photo

1:【頭蓋(ずがいorとうがい)】

2:【額】

3:【額段】

4:【口吻(こうふん)】

ブルドッグのような顔がペタンと押しつぶしたような犬種は別にして、大半の犬は上記画像のような頭部の形状を呈しています。

ドーム状の頭蓋から目の上が額、そしてそのままその線は額段で角度を変えて口吻に至るわけです。この4点が際立っていなければ、立体的な顔の形状とはならないのです。

らんちゅうにおいてもこのような形状を呈しつつ、メリハリの効いた肉瘤が表現されている個体を優品としたいですね。目が付いていれば良いぐらいの気の使い方ではこのような頭には絶対なりません。慎重に種親選びをしないと、顔が崩れるのは火を見るより明らかでしょう。多分大半の愛好家は意識していないことだとは思うのですが。。

顔は昆虫顔ではダメ。気持ち悪さというか、グロテスクと感じられる要素は排除していかなければならないのだと思うのです。犬の顔に嫌悪感を感じる人はいません。そこが“可愛らしさ”の原点ではないでしょうか。

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2012年1月10日 (火)

見出しから記事を探す

このブログもかれこれ3年ほどになります。記事の数も400を超えて膨大なものになりつつあります。「あの記事はどこかな?」とか「見出しで記事が探せないものか。」というお問い合わせもあったりしますので、これまでの記事の見出し一覧を作成しました。どうぞご活用くださいませ。※時系列で並べています。

2009年1月から2011年12月までの記事の見出しを抽出しました。月ごとに記事に飛べるようにしています。(例、2009年1月をクリック)

2009年1月
謹賀新年

桜井良平氏のこと
読了した書籍
宇野仁松がなぜスゴイか?
冬はこんな感じ
なぜ??
らんちゅうはゴムひも
背びれのない魚・・らんちゅう
A氏の魚
K氏の魚
「肉瘤考」裏話
金魚を健康に飼うということ
冬越しと焼き物
アルビノから類推する
論外の取り扱い方法
目を肥やすということ
宇野仁松を追う
盆栽とらんちゅう
金魚三昧 第二号
顔認識技術
ふな尾は出るときゃ出る!
血統も大事だけど・・・
科学的鑑賞術はあるか?
気付いていたY氏

2009年2月
人なくしてらんちゅうなし
大阪らんちゅうと宇野仁松
更紗の謎
大同団結
オランダシシガシラ
閑話休題
更紗オランダの極み
宇野仁松の青磁
らんちゅうと剣道
自然治癒力って
風邪その後
言いたかねーけど
シンメトリーの呪縛
色を社会科学する
チビ尾礼賛派
伝言ゲーム
鑑賞眼は進化する
宇野仁松に会いに行く
肉瘤考ノート
らんちゅうは小判に尾ひれ
まめらんちゅう
継続は力なり
金と銀の色彩学的考察
シーマンとらんちゅう
魚に聞け!
Cool(クール)とCute(キュート)
らんちゅうの神様
下部構造と上部構造

2009年3月
ブログ雑感
糠漬けと池管理
金魚の日
需要と供給
目は見ていない
一人前ということ
会の遊び方
師弟制度
『気付き』について
現物の意味するもの
自分の魚が見えない理由
遺伝学入門メモ
ストレスフリーの飼育方法とは
飼育のポイント10か条詳細
宇野仁松研究 その前に・・・
稀少性の頂きに
造形物としてのらんちゅう
出ないものを出す
明け三歳
親と子比較
死魚を観察する
死魚を観察する2
形質を見る(私の鑑賞方法)
ミッキーマウス
種を考える
肉瘤考ノート(ウチワエビ類推)

2009年4月
胴を検証する
肉瘤考 外伝
福寿草を観に
山崎節堂氏の審美眼
肉瘤考ノート(エビを食らって愚察す)
7歳のらんちゅうを愛でる
胴の検証(転んでもただでは起きない)
胴を味わう ―美の再発見―
どうなるんだ?おまえは
青水より出でたるもの
肉瘤考ノート ~おかめ・お多福~
金魚伝承16号発売
黄頭(きがしら)と白頭(はくとう)

2009年5月
シーズンインだな~
稚魚の様子

2009年6月
お口汚し ―モノトーンの世界―
中国金魚を考える
『四大地金魚のすべて』発売
煎茶道
梅雨本格化

2009年7月
肉瘤考ノート ~補遣~
やっぱりエラになるなあ
アカデミズム傍流の大家
梅雨明けはまだ?
頼むし梅雨明けて~
犬のお話
天気とにらめっこ
長手と短手(丸手)の考察

2009年8月
当歳魚研究会
当歳魚研究会(画像あり)
横見の検証
梅雨明け!で事故!!
金魚に肖像権はあるか?(愚問)
更紗の仮説
青ハゲ
脳科学が哲学に追いついた話
メガテン君通信

業務連絡
初代宇野仁松
メガテン君通信
書店に立ち寄る
らんちゅう撮影の基本
タタキヅラの研究
京都人としての宇野仁松
メガテン君通信3
らんちゅう撮影の基本その2~こぼれ話~
この時期気をつけたいこと
選別を放棄するということ
品評会に行こう!!
芋金魚とボラ胴

2009年9月
宇野系らんちゅう品評会日程(改さらに改)
メガテン君通信4
尾島系のこと
柳出目金
【告知】琵琶湖金鱗会 研究会
琵琶湖金鱗会第2回研究会
早熟にして早死
水槽では肉瘤があがらない理由(ワケ)
来年の会用
閉鎖も一つの選択肢
『知のらんちゅう学』を標榜する
メガテン君通信5
九州の地に新しい会が
まめらんちゅうを考える
品評会の楽しみ方
実物を見たこと無ければ話しにならないという話

2009年10月
メガテン君通信6
琵琶湖金鱗会品評大会
個としてのらんちゅう飼育の限界
金木犀の薫る頃
日本らんちゅう愛好会品評会
200の筋のこと
日本愛らん会見学
沈黙は金か
メガテン君通信7
細菌を排除するという考えはどこから来たのか
お山の上は
らんちゅうをパラダイムシフトする

2009年11月
Ya!Ya!Ya!YanagiDemekinがやって来た!
美術館のはしご
山は静かだ
人形浄瑠璃に学ぶ
『違和感のチカラ』を読んで
趣味と道楽の狭間に
柳出目金再び
五条坂を行く
インフラ整備!!
メガテン君通信~本年最終~

2009年12月
五条坂ラプソディー
肉瘤アラカルト
比叡山に登る
『日本の国宝、最初はこんな色だった』(読書ノート)
オフシーズンはない
痒いところに手が届く?
ルーツを探せ
変わり朝顔とらんちゅう
青水の実際
落ち穂拾い
祝一周年

2010年1月
謹賀新年
霧氷
流体力学的らんちゅう考
寒い!!
叩き池とFRP池
誰も知らない宇野仁松
東洋陶磁美術館
冬の一日
ゲテモノと本物
せっせと登ってます~
大正時代のらんちゅうの絵

2010年2月
大正時代のらんちゅう~歴史的資料の考察~
雨過天青 雲破処
らんちゅうの語源
アバター見に行きました
『金魚大鑑』を読む~その1~
『金魚大鑑』を読む~その2~
『金魚大鑑』を読む~その3~
『金魚大鑑』を読む~その4~
『金魚大鑑』を読む~その5~
『金魚大鑑』を読む~その6~
床直し
ビジネスマンのための「発見力」養成講座~読書ノート~

2010年3月
鶯が鳴くころ
『日本流』を読んで~読書ノート~
味魚(あじうお)を考える
熱意あるもの来たれ
常識を疑え・「更紗の美学」~覚え書き~

2010年4月
更紗のラビリンス
らんちゅうを相対化する
峰って何??~胴を考える~

2010年5月
メガテン君通信ハイパー
『ランチュウ中心 金魚の飼育と繁殖』を読もう
続『ランチュウ中心 金魚の飼育と繁殖』~宇野仁松関係~
『いのちドラマチック』を克目せよ!~番組告知~

2010年6月
結『いのちドラマチック』~感想(星三つ)~
山門水源の森
近況報告
好きであるということ~『ルリボシカミキリの青』より~

2010年7月
塩の効用
蛍の群舞を見たお話
『金魚伝承18号』
トド師匠に捧ぐ!
大阪らんちゅう異聞
ナンキンに思う
エラ病と昇温処理
らんちゅうと番付の関係
質量保存の法則

2010年8月
メガテン君通信ハイパー2
近況報告

2010年9月
既刊の書籍のご紹介
宇野系らんちゅう品評会日程
ニシキウナギ!!??
藤井四朗氏のこと
グロテスクを考える
メガテン君通信ハイパー3
らんちゅうのアハ!体験
らんちゅうが進化していない理由
肉瘤は作るものか?
アメショーからの伝言

2010年10月
“選別”のコペルニクス的転回
おめでとう!F氏
“宇野系らんちゅう度(仮)”という基準を考えると
鱗並み(コケなみ)のお話
雑感
用語の混乱を超えて~“宇野系”にまつわる用語の変遷~
日本らんちゅう愛好会品評会にて
獅子頭らんちゅうと普通のらんちゅう
日本愛らん会にて
当歳近況
コ、コバエが!!
宇野系ではない宇野系らんちゅう
粒々のないツルンとした兜巾(トキン)の実際

2010年11月
トキンの実際2
更紗の柄~遊び方~
吉岡龍次氏の想い出~追悼~
丸胴が基本
登山再開
反らんちゅうしか興味のない人~らんちゅう至上主義宣言~
龍頭と獅子頭~肉瘤の本当~
昭和のらんちゅう
猫来襲!!
種魚と会魚
エボルタ君家の前通る
【!WARNING!】ここ以外で質問しないで下さい
峰って何?
骨格のお話

2010年12月
らんちゅうとトラフグ
神経棘をさらに考える~らんちゅうの骨学~
痩せると・・・~らんちゅうの骨学~
冬眠の準備
淘汰圧
水換えは続くよいつまでも&トキン
鑑賞とはなんぞや?~書棚リスト~
琵琶湖の縁より
冬眠中の試み
大晦日異変

2011年1月
2011年謹賀新年
“馬の背”という用語で気が付いたこと
盆栽・盆石・錦鯉・らんちゅう~芸術からこぼれ落ちたもの~
体色のお話
また雪
四歳まで飼うという意味
頭と尾の関係
寒波ネタ 再び
図解『らんちゅうを分析する』~その1~

2011年2月
陶磁器のお話~宇野仁松 周辺情報~
体色のお話~朱鷺色(ときいろ)について~
峰について~馬の背~
図解『らんちゅうを分析する』~その2~
宇野式飼育法~池にあわせて魚を飼う~
『いのちドラマチック』を視て~福羽イチゴ~
予防的飼育法と・・・
高齢化とらんちゅう趣味の関係
経験に裏打ちされたらんちゅう論を考える
金魚伝承19号~肉瘤ついての記事~
フィッシュマガジン1967年9月号
知ってました?
何故らんちゅうが“金魚の王様”なのか?

2011年3月
鶯の鳴く頃
読書ノート~『芸術闘争論』~
東北関東大震災~お見舞い~
春はそこまで
まだ寒いですけど・・・

2011年4月
本日を持って更新を停止いたしますm(__)m
ブログ再開します!!
頭部の遺伝の実際~肉瘤はエサで作るは本当か~(改)
“魚が見えない”とお悩みの諸兄へ
病的な?身と健康的な肉付き

2011年5月
魚の顔の重要性について
何故ふんぺいはトキンに拘るのか?
そろそろみたいですよ~
兜巾(トキン)の実際
ランヲタに捧ぐ
お池拝見 in石川
狛犬との類似性
月の魔力
種魚という概念〔備忘録〕
携帯ストラップ自慢
自己治癒力
梅雨入り

2011年6月
荒選りしました
前兆を見逃すな!
チウリストってなあに?
慶派の秘伝
塩はケチるな~『健康に飼う』を実践する~
産卵のスイッチ
DVDデータ完成(但し非売品)
いのちドラマチック~名古屋コーチン編~
近況報告~らんちゅう以外~
『芸術起業論』~読書ノート
宍道湖の畔(ほとり)に立つ
背なりの実際
背なりの実際 その2

2011年7月
CAUTION!!酸素不足
真正“面被り”??
育種学における用語
鑑賞者の態度
梅雨明けただぁ??!!
数字で考える飼育規模と経験差の関係
シンポジウム
色の濃淡
ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ・・・・・・
ウィルスにご注意!!

2011年8月
はじめてこのブログ見る人へのヒント
ウエスト・ハイランド・ホワイト・テリア
赤虫パニック
明日テレビ出ます?!!

2011年9月
らんちゅうの体形を考える~ピンポンパール比較論~
『金魚春秋』~読書ノート~
“日本製パソコン輸出拡大”~日本経済新聞~
?身(そうしん)のらんちゅう~病魚で考察~
不正魚~何故“差し”が駄目なのか~
2011年度 宇野系らんちゅう品評会日程
美の法則
尾島系のこと
『いのちドラマチック 第1集』~読書ノート~
用語の混乱を超えて~宇野系らんちゅう?宇野らんちゅう?京都系らんちゅう?

2011年10月
琵琶湖金鱗会品評大会
少し独り品評会を開催
肉瘤考的エサ論
日本らんちゅう愛好会見学そして祝!Y氏
日本愛らん会見学そして祝K氏
らんちゅうの顔
お池拝見~遺伝の実際~
『蘭鋳花傳』を読み解く~1~“形あっての色”
らんちゅうと肥満の関係

2011年11月
好きなことと学ぶこと
『蘭鋳花傳』を読み解く~2~“背について”
『蘭鋳花傳』を読み解く~3~“匁と大きさ”
宇野先生の肉声より~馬の背ほか胴について~
『蘭鋳花傳』を読み解く~4~“選別の真実”

2011年12月
『蘭鋳花傳』を読み解く~5~“『匁』再考”
アハ!体験の教訓
種魚の考え方
『金魚百科』を紐解く
『金魚百科』を紐解く~肉瘤について
『金魚百科』を紐解く~二階建ち~
『金魚百科』を紐解く~蛙目の検証~
鱗並びに関してのふとした考察
蔓牛(つるうし)
進化と改良
しんかい6500

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2012年1月 5日 (木)

アハ!チェンジ

先日の「アハ!体験の教訓」についての記事をもう少し詳細に説明します。

ふんぺいの説明ではまだまだ判りずらいので、丁度良いサイトがありましたので追加説明とします。

PSPのソフトにセガの『茂木健一郎博士監修 脳に快感アハ体験』というサイトがありました。

アハチェンジとは、二つの画像を交互に見せて、その間に大きな変化があるのに、なかなか気づかないという大変面白い刺激です。

なぜ、変化がわからなくなってしまうのでしょうか? 脳には、一時的に記憶をたくわえておく
「ワーキングメモリ」とよばれるはたらきがあります。変化がわかるためには、最初の画像をまずはワーキングメモリにたくわえておいて、それを次の画像と比較しなければなりません。ところが、途中に均一な色の画面をはさみこむと、ワーキングメモリが「リセット」されて、比較ができなくなってしまうのです。そのため、変化に気づかなくなってしまうのです。

ものすごく
大きなことなのに、気づかない。気づくと、もう元に戻れなくなる。これは、まさにニュートンがリンゴが落ちるのを見て万有引力の法則に気づいたのと同じ、不思議な脳のはたらきなのです。

別々の洗面器に入れての品評は、脳科学的には理にかなっていないのではないかという疑念を、アハチェンジという現象から考えてみました。何故そうなのかということを、前回は“脳の癖”と書きましたが、こちらのサイトにその理由が掲載されていたので引用させていただきました。

SONYのサイトにもありますのでアハチェンジを体験してみてください。

一つの洗面器の魚を見て次の洗面器に目を転じる。ワーキングメモリが目を転じる時にリセットされるのではないか、とふんぺいは考えるのです。洗面器ごとの品評は、品評盥に多数の魚を泳がせて品評するのとでは、根本的に違いがあると思うのです。品評会の溜め池に自分の持ち魚を放つ時、1尾づつ見ているのとでは全然違うという感覚を体験したことありませんか?やけに自分の魚がみすぼらしく見えたり、逆に際立って良く見えたりするんです。

一同に魚を集めて品評する従来のやり方が、病気の蔓延で忌避されるとしたら、品評方法にも工夫が必要なのだと思うのです。

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2012年1月 4日 (水)

龍頭の考察

辰年に因んで“龍頭”について考えてみたいと思います。

“龍頭”は一般にタツガシラと読みます。他にリュウトウと読んだりリュウヅと読んだりします。読み方はタツガシラでよろしいかと。

京都の有名なお寺の龍の絵をご覧いただきます。

1
2

この二つの絵に共通しているポイントを抽出してみます。

【1】頭蓋がある。

【2】額がある。

【3】目は人の顔のように頭蓋に対して前向きについている。

【4】目の下から口吻が前方に突き出している。

【5】口吻の先端部分に鼻があり、髭がある。

【6】目幅はあまりない。

実は、龍も前方から見るアングルであることに気が付きます。この角度で立体的に造形されていると考えられるのです。

さて、らんちゅうの、一般に言われる“龍頭”の定義とはどんなものでしょうか。
上記のポイントを押さえていなければ龍には程遠いように思われますが、実際は随分と曖昧に規定されています。

(1)目先が長いこと。

(2)フンタンがあること。

この二点で全てを龍頭と呼ばれているようです。

目先があると、見た目派手でさらにフンタンと呼ばれる豆粒がアクセントになり魅力的に見えますので人気があります。しかしこれだけでは平面的でフンタンの豆粒だけでお茶を濁すことになります。あの龍の絵のような立体感は出てきません。

この二点を満たしたものが果たして龍に見えるのかというと、私の価値基準からはやはり龍からは遠いと言わざるを得ません。龍の絵で見るような【1】頭蓋とそれに伴う【2】の額が重要視されていないのはいただけないと思うのです。

つまり、らんちゅうでは造形的に【1】頭蓋をトキンで表現し、トキンの前方部分を【2】額として、その下に目を配置したいのです。同時に目先が長い口吻とともにフンタンを配置すれば満点です。そうすれば先人の絵のような龍頭が表現できるのではないでしょうか。

例図の如く、らんちゅうの龍頭はこれを忠実に表現しようと思えば、自ずと目幅は狭く、頭幅が無いことが判ります。目先にかけて長くなればなるほど幅が無いことに気が付くことでしょう。つまり龍頭は幅が無い個体になりやすいということです。獅子頭と比べて目幅がないことが判るかと思います。そのようなバランスで言うと、龍頭は諸刃の剣のようなものと認識したほうが良いかもしれませんね。

以上龍頭について見てきましたが、私はトキン部分が萎縮すると龍頭としては戴けないと思っています。

真の龍頭(私がそう思っている)と言える個体は、今はほとんど見ることはありません。注意深く保存維持改良を施さないとそのような個体は出ないのでしょうね。龍頭を追いかけている愛好家には、是非ふんぺいの規定する龍頭を現出させていただきたいと思うのです。まさに初夢ですね!

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2012年1月 1日 (日)

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

新年早々このブログを見ているあなた。あなたはきっと、本当にらんちゅうが好きで好きでたまらないランチュウバカなんでしょうね。そしてシーズンオフで、しかものんびりと新年を迎えりゃ良いものを、ランチュウに心を囚われて、最も来てはならないこのブログを見ちゃうあなたは、同じ穴のむじなであられると、真から尊敬するべき御仁なのでしょう。

今年一年も地獄の底の底までともに行こうではありませんか!

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