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2011年6月

2011年6月28日 (火)

背なりの実際 その2

てつさんのご所望で少しご紹介。

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頭の質は言うに及ばず、背の低さ(体高の低さ)、背なり、腹の納まりが良い例です。

兜巾頭は背が高く細いと昔は言われていたそうですが、改良度合いによっては、このようにそれも払しょく出来るんだと思うんです。もっともこんなに頭が上がると思って残してませんけど。(^_^;)

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2011年6月24日 (金)

背なりの実際

良く「背は櫛型」などと言いますが、それは昔の話し。

宇野系で言うと“櫛型”は背が高くて改良されていないことを意味しています。確かに“背が低い”と“櫛型”は相反します。

ならばどのような背が理想なのか?

頭の付け根からほとんど一直線に背折れまで来ている個体が良しとされます。背の低さを追求すればそうならざるを得ないんですね。

“背が一文字は駄目”などということは昔の話しで、宇野系では背が盛り上がった魚(櫛型)は改良されていない魚と考えます。ややもすると「らんちゅうは上見なんだからそんな所、気にしてたら魚が残んないじゃん。」という声も聞こえてきそうですが、厳密に見ないとフナに戻っていると言われても仕方がないと思います。

さて、今回の題材は、背が凹型の個体で見て行きます。

背の真ん中部分が凹んでいるように見えます。背出しの部分が少し上を向いているのが判るでしょうか。一旦凹んで腰の部分でやや高くなっています。同時に側線は真ん中が垂れ下がったように見えますよね。これが三歳時です。心なしか頭が上を向いているようにも見えますね。
未確認ですが、このような背を“馬の背”もしくは“駱駝背”とも言うそうです。両端が高くなっていて真ん中が低くなっている。馬の鞍(くら)のようになっていますよね。

“馬の背”は以前解説した峰になっている形状と、このような形状も表現にあるようです。登山用語ではこのような形状を“吊り尾根”などとも呼びます。ロープを渡したような感じですね。

三歳春
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そして四歳時には・・・・

四歳春
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ほとんど背は一直線になっています。少し肉が盛ったのと体長が伸びたのでしょう。その証拠に側線もほぼ一直線になっています。指の大きさとの対比で大きく成長しているのも判りますよね。

このようにらんちゅうは成長するに従って見え方が変化します。変化しない骨格の魚は二歳で形がほぼ決まってしまうようです。よく『黒仔の時期までに骨格を作る』といいますが、そのような傾向の魚を“硬いタイプの魚”などと呼びます。

当歳時に肥大飼育をしないと変化の幅が大きいと言われますが、宇野系の魚は良い意味で期待を裏切ってくれることのほうが多いようです。

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2011年6月20日 (月)

宍道湖の畔(ほとり)に立つ

梅雨の合間を縫って、山陰松江を訪問しました。

宇野先生と早くより交流があった古老が山陰に健在と伝え聞き、直接お話しを聞くために1000円高速最終日ということもあって出掛けました。

途中、コーディネートしてくださった神戸らん友会のH氏と合流、神戸の若い方を含め総勢8名で押し掛けることとなったのでした。

齢80を超えてなお、かくしゃくとされており、この前まで入院されていたとは思えないほど元気に出迎えて頂きました。

宇野先生のこと。

らんちゅう用語のこと。

別所氏のこと、藤井四朗氏のこと。

徒然に色々なお話しをお聞きすることが出来ました。

話しの途中、『金魚三昧2号』の「京都らんちゅうの系譜」の拙文を「良く調べなさった」とお誉め頂き大変嬉しく光栄に思うのと同時に、大いに勇気づけられました。

古(いにしえ)の八雲立つ地の金魚は、今もなお宇野仁松翁の面影をそこはかとなくたたえているのでした。

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2011年6月18日 (土)

『芸術起業論』~読書ノート

『芸術起業論』 村上隆著 幻冬舎 2006

表紙に「超ビジネス書」と銘打っているように、ビジネスマンにも村上氏の考え方は通じるものがあるように感じました。

日本国内だけで通用する“日本美術”という枠組みではなく、グローバルな“芸術とは何か”の問いを見事に具現化されていて明快にして痛快、元気が出てくる書です。

読了すると、お高くとまった“芸術”ではなく、“生身の芸術”を従来とは全く違う視点から、考え行動されてきた村上氏に敬意を表したくなります。既存の閉塞的な日本美術を突破する力をものの見事に体現されているのですごく説得力があります。

『らんちゅうを芸術と言わしめるためには何が必要か』

この問いのヒントがこの書にはあるように思います。
巷間、「らんちゅうは芸術だ」という好事家の言を聞くことはありますが、何も根拠は示されていません。これでは芸術にはならないことがこの書を読むとよく判ります。

先達が「らんちゅうにも“権威”が必要だ」ということで宗家をこしらえたように、「らんちゅうは芸術である」の根拠を示す努力をしなければならないのです。そのために必要なことはまず歴史を紐解くことなのだと思います。

それでは、らんちゅうに引き寄せて、以下この本を抜粋して考察していきます。

芸術家の提出した謎に対して、美術批評家がある種の客観性を与える p52

(欧米の美術批評家は)芸術という非論理的なものに興味を持ち「わけのわからないものを論理で語ること」に挑戦p153

今私たちとかがやろうとしていることです。らんちゅう愛好家が芸術家なら、批評家も愛好家であらねばならないと私たちは思っています。らんちゅうなんてわけのわからないものを文章にして語ることが必要なんだと思うのです。“語り部”という言葉があるように、ストーリーがあって判り易くしゃべることが心の豊かさと深みを与えるのではないでしょうか。

芸術家は歴史を学ぶべきp159

そうなんです。歴史を学ぶべきなんです。何故かというと・・・・・

美術の文脈や歴史とつながりながら作られるものが芸術なのだから。p179

一生の間、歴史を学習し続ければ、どんどん自由になれる。
芸術の世界だけではなく、どの業界にもどの分野にも特有の文脈がありますが、「文脈の歴史のひきだしを開けたり閉めたりすること」が、価値や流行を生み出します。ひきだしを知らないまま自由自在に何かができることは錯覚や誤解に過ぎません。p158

らんちゅうの歴史に私たちがこだわっているのはそういうことなんです。実に的確に表現してくださっています。まさに“文脈”が重要なんですね。全てが繋がっているはずです。それを俯瞰できる視点を持つことによって未来が見通せるんだと思うのです。

宇野系らんちゅうの歴史はどうなっているのか。どのような文脈で今まさにこうなっているのか、ということを知らなければならないのだと思うのです。そうすると文脈が途切れていることに気が付いたり、こんなところで断絶していたりとか、正当に継承がなされていないことがわかったりするんです。

日本人の造形美への執着は、アジア諸国でも中国などとは別の文脈で特殊で深いものがあります。日本的な感性が際立つもの一つに「かわいいキャラクター」の創造があります。p181

一般常識や色々な世相などにアンテナを張っていないとこのことには気が付かないでしょう。「かわいい」の文脈を掘り起こす作業をしていないと判らないことなんだと思うのです。

かつて行われたことを現代に正しく合せることでオリジナルが生まれることも知っておいたほうがいいでしょう。

上の意味において、ふんぺいがトキンに拘る理由も判りませんか?

価値のプレゼンテーションをやらなければ認められることはありません。 p106

そしてトキンについてのプレゼンテーションをすること。→価値の創出 ですね。その根拠はトキンというものが、遺伝的な特性として、保存維持する愛好家の姿勢なしでは消失してしまうのであって、その点が真贋を一番見分けやすいマーカーである、と考えたいからなんです。

価値観の違いを乗り越えてでも理解してもらうという客観性こそが大切なことなのです。 価値観の違う人にも話しかけなければ、未来は何も変わらない。p54

だから、プレゼンテーションを執拗にしているんです。別に私の利益にもならないことなんで他人から見れば要らぬお節介かもしれませんが・・・・(^_^;)

日本の戦前の美術は言ってみれば、貴族の抱えたもので、それなら世界の美術にも通じていましたが、戦後民主主義の世界には「美術はすべての人の理解できるものであるべき」と認定されてしまいました。p110

判りやすい言葉ですよね。戦前のらんちゅうは、お大尽、旦那といわれた人達の“道楽”だったんですよね。「貴族の美術」でありイコール「貴族の趣味」であり「貴族の遊び」だったはずなんです。

今は変容してしまったんですね。だかららんちゅうも錦鯉も盆栽も芸術から切り離されてしまったんです。

結局のところ、らんちゅうが芸術に昇華できるかどうかはまだまだ先の話しなんだと思いますね~

村上氏の『芸術闘争論』とともに大変刺激的な書物でした。

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2011年6月16日 (木)

近況報告~らんちゅう以外~

今年一月に、我が人生史上最重量を更新してしまい、「これはイカン!」と一念発起。

頑張ってやっても一週間に一回の山登りでは追いつかないことを痛感。

毎日ジョギングをすることにしました。

それと、“朝晩体重を量るダイエット”を並行してやることにしました。これは意識することによって自制心が働くんですよね。これも結構効いています。

はじめて一カ月で、重い体重に膝が耐えられず故障。それから一カ月間、整形外科に通うハメに陥りました。

で、現在8キロ減量に成功しました。あと8キロ減らす予定です。煙草止めてから激太りしてそれだけ減って平常の体重なんですよ~

110327_074704 ジョギングコース(琵琶湖岸)

毎朝、4キロ走っています。NHKの「ためしてガッテン」のサイトに「スロージョギングの勧め」があります。体重の記録表なんかも完備されていて無理せずできました。

継続は力なり!!

ホントしみじみこの言葉の偉大さを感じますよね~

ところで、らんちゅう飼育はもうとっちらかして雑然としています。

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余裕全然ありませ~ん。(^_^;)

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2011年6月13日 (月)

いのちドラマチック~名古屋コーチン編~

いのちをテーマにしたこの番組、毎回大変示唆に富んでいます。

今回は名古屋コーチン。

名古屋コーチンも戦後ブロイラーの普及で絶滅の危機に瀕したそうです。因みにブロイラーって品種名だったんですね。(^_^;)

名古屋コーチンは卵用に改良されてきて肉質が落ち、養鶏家が居なくなって農業試験場の300羽のみとなったそうです。しかし、その時にはもうすでに形質が消失してしまって戻すことが不可能になったそうです。

どうしたと思います?

奇跡的に富山の愛鶏家が飼育していたんです。残っていたんですね、血統が。

そして名古屋コーチンは復活したわけです。

形質が一旦失われたら最後なんです。偶然が無ければ美味しい名古屋コーチンは我々の眼前には存在しなかったんですね。

形質の喪失。
流行に左右されて珍重される形質が変化した時、多様性が無くなった時、たまたま富山の愛鶏家のような物好きが居ない限り、永遠に形質は無くなってしまうのです。らんちゅうも同様であることに誰も警鐘を鳴らさないのなら、らんちゅうには未来はないということになるのではないでしょうか。

因みに“比内地鶏”ってFIだということ知ってました?比内鶏とロードアイランドレッド種の掛け合わせだそうです。薩摩地鶏もそうだそうです。

種鶏なんですね~ 興味深いですよね~

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2011年6月12日 (日)

DVDデータ完成(但し非売品)

ある方のご厚意で京都金鱗会の会報である『金鱗』を借り受け、全号PDFファイル化プロジェクトが完成をみました。

各号をスキャン後PDFファイル化してDVDに焼いたものです。各号約20回スキャンして50号ですから中々の作業量でした。

これで貴重な資料が散逸することなく、後世に受け継ぐことができます。愛好会の会報などは本当に残している人は稀です。改めて読んでいると、実に当時の様子が時代背景とともに良く理解できます。今後の研究者にとっては、大切な資料になることと思います。

ただ残念なことに創刊2号が欠落しています。どなたか所有されている方がいらっしゃったら是非ご連絡を。

それとあくまで私的な研究用資料です。名簿など個人情報も全て収録していますので今後一般に流通することはありません。

単なる興味本位での入手は一切できませんのであしからず。

伝統のある会は是非とも会報の電子化を考慮されてはどうかと思うんですけどね。

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2011年6月11日 (土)

産卵のスイッチ

産卵のスイッチはどうやって入るのか。

今朝は朝から土砂降りです。雄雌入れて放置しておいた産卵槽で産卵が始まりました。先日もレインスーツを着て人工授精を試みたのも朝から雨でした。

月齢は小潮です。バイオタイド理論は惨敗ですね。これだけを捉えてみればですけどね。

フナの習性。“雨後の産卵”説のほうが濃厚のような気がします。そしてどんよりとした天気。何故雨後かというと、

○水位が上昇する→産卵しやすい藻が増えるor有機物が河川に流入して餌になるミジンコが増える

雨が降ることによって産卵GOのスイッチが入るのかも。

曇りのほうが産みやすいと思うんですがどうですか?

以前カンカン照りの時に産卵させましたが受精してませんでした(何回か経験済み)。精子は紫外線に弱いと言われますよね。

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2011年6月10日 (金)

塩はケチるな~『健康に飼う』を実践する~

梅雨時期になると、空はどよ~んとして、魚もどよ~んとすることが多いです。

こういう時、「むむ!!??なんか変」アンテナがビビンと来たりします。

そんな時は、水換えアンド塩を入れて様子を見ます。昨日水換えしたところなのになんか調子悪いなんてことも良くあります。そんな時は思い切って水換えして塩を入れたりします。何故そのようなことが起きるかというと、もうすでに水換えする前から調子を崩していたということが多いですね。濃い青水なんかだと気が付かないことが多々あります。

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画像は500リットルの叩き池の水換えと入れる為の塩です。

親池なので0.5パーセントの塩浴とします。塩は2.5キロですよ。かなりの量です。

1尾調子が悪いのが出たら、その池は大なり小なり全ての個体にダメージがあると思って間違いないです。そんな時は上のように池ごと塩浴とします。

1尾だけどうしても治らない場合は、別の水槽で管理が必要でしょう。ここでいう管理とは、ヒーターで昇温治療と頻繁な水換えが主になります。

塩は安いものです。一通りの薬を試しましたが塩で治す方法をマスターしたら要らないです。

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2011年6月 8日 (水)

慶派の秘伝

産経新聞6月7日夕刊を読んでいてハッとしました。

『写劇’11』 慶派の“秘伝” ~「真似できない」からこそ師から弟子へ惜しみなく~

鎌倉時代の仏師、運慶・快慶に連なる“慶派”の松本明慶氏の工房の特集記事です。

黙々と木に向かう弟子の様子をみながら、「ここ、もうちょっとこうせな」と声をかけ、代わりに彫ってみせる。教える内容は、受けての習熟度により変えるが、決して隠すことはしない。

同じ造形作家であった宇野仁松は同じスタンスであったのではなかったのか?
人によって微妙に先生は言うことを変えていたと聞きます。当時の受け手のレベルに合わせた言い様が、今となってはまるで違うように伝わってしまった。決して隠すわけではなく、聞いていた本人の習熟度の問題。なるほど。

そして

「勘違いしている人多いけど、秘伝は隠すもの違う。やって見せても真似できないのが秘伝なんですね」。自身の言葉、一挙手一投足が慶派の秘伝。伝授は、今この瞬間も、行われているのだ。

まさにそうなんです。一つ一つ教えて、受け手の感受性が試されているんです。“秘伝”とはそういうものなんだ。どれだけ宇野仁松から薫陶を受け同じ地平線を見たか、それが問題なのだと。

鰻屋の継ぎ足し継ぎ足しの“秘伝のタレ”とは違うんです。何も隠してはいない。聞いた時の聞き手の習熟度が問題なのだと理解できるのではないでしょうか。

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2011年6月 7日 (火)

チウリストってなあに?

いや大した話しじゃないんですけど、私、レッテルを貼るのが好きなんです。

『チウリスト』なんて言葉はありません。ふんぺいの造語です。

察しの良い方はもうお判りですね。

エゴイストとかエゴに『~イスト』を付けると『~主義者』って意味ですよね。

『ランチュウ』の『チュウ』を『チウ』に読み替えてね。古来日本語の表記で『チウ』と書いて『チュウ』と読みますよね。『チョウチョウ』を『てふてふ』と書くように。それだけを抽出してランは省略して『チウリスト』。

つまり、『ランチュウ至上主義者』=『チウリスト』なら『ランチュウ至上主義』は『チウリズム』なんてね。

ちょっとカッコイイかも。

チェロを弾く人をチェリストなんて呼びますよね。似てますね~。

そんじゃ『らんちゅりあん』なんてどうです?

『エイリアン』みないな感じですけど。(^_^;)

なんかそこらじゅうからぞろぞろと湧いて出てくるようなイメージですよね!

ま、こんなお遊びも一興かと。。

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2011年6月 6日 (月)

前兆を見逃すな!

いつまで経っても魚を殺しているようじゃ愛好家とは言えません。

魚が調子が悪くなってから右往左往してもそれは後の祭りというものです。

入門者の方たちに、一番判らないのが“程度の問題”なんだと思います。

すなわち、今現前する現象あるいは状態が果たして正常なのか異常なのか?その境界線が判らないのだと思うのです。

この判断はひとえに多くの経験を積まないと判らないことなんだと思います。

普通金魚という生物は、胃が無いので始終摂餌行動を取っているはず。生物学的常識から、魚が浮いていたり動きが止まっていることが“異常である”という判断を飼育者ができるかできないかに掛かっているんです。

金魚飼育のコツとは、そのまま異常を見過ごせば発症するけれども、その時点で何かアクションを起こせば何事もなく過ごせるというギリギリの判断が出来るかに掛かっているんだと思うんです。

経験を積むと、その異常の兆候を「あれ?なんか変。」というように気付くことが出来るんです。ほとんどの場合、そう思った時“塩を打つ”と回復するんです。この感覚を掴めるようになるかならないか、これが運命の分かれ目なんですね。

その兆候というか前兆は、飼育者が遭遇したケースが増えれば増えるほど、適切な判断が出来るようになります。但し漠然と飼育しているとやり過ごしてしまいますよ。

健康に飼う秘訣は、“絶えず先回りする”なんですが、その“あれ?なんか変”体験なしで先回りをしても意味がありません。ネットなどの知識だけで頭が一杯で、事前に情報を持っていてもナンセンスなんです。だから魚には可哀そうな話しなんですが、どれだけ死なせちゃったかとその分析が問題になるんだと思うのです。要は体験して体感しないと身に付きません。

“羹(あつもの)に懲りて鱠(なます)を吹く”

と格言であるように、ちょっと魚を殺したからと言って先回りばかりしていても本当の経験とはなりません。単に結果を先延ばししているだけで、大事な時に致命的なミスを犯してしまうことになることが多々あるようです。 

ロールプレイングゲームを例にとって考えると、

剣などの装備が魚として、勇者が飼育者としましょう。
剣がたとえLEVEL15でも、勇者の経験値がLEVEL1なら大抵雑魚キャラにやられちゃいます。ゲームを進める上で、まず勇者の経験値を延々と上げないといけなかったりしますよね。そして経験値を上げる作業ってすごく単調で退屈だったりします。攻略本(それをネットとしましょう)を買って知識を得るのも必要ですが、コツコツと勇者の経験値を上げることがまず第一であるのには変わりはありません。

攻略本を読んでゲームをやった気分になっている人は居ませんか?

勇者の経験値を上げて、前兆を見逃すことなくボスキャラを倒すことが出来るようになったら、勇者に相応しい幻の剣と宝を手にすることが出来るのではないでしょうか。

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2011年6月 3日 (金)

荒選りしました

鬱陶しい天気が続きますね。

今日は天気がマシのようです。

朝から水換えと一緒に選別をしました。

まだまだ小さいのですが荒選り(あらより)して少し空かしたほうが稚魚も大きくなります。

Dsc_2406 ハネた稚魚

この時点の選りは尾ぐらいしか見るとこないですよね。

明らかに遺伝するであろうものはハネても良いです。上記の画像のような個体は一番選りで減らします。

成長して会用で遊ぶ魚以外は尾でハネないのですが、この時期の個体はハネます。ハネる程度を見てくださいね。

あとは腹ごとに傾向があるのでそれを覚えておきます。

 

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