« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

2011年2月

2011年2月20日 (日)

何故らんちゅうが“金魚の王様”なのか?

らんちゅう愛好家は、ある意味、他の品種の愛好家を下に見る傾向があることに気が付いた人も多いはずです。そんな権威主義的に見えるプライドみたいなものを嫌悪される方もいらっしゃるでしょうね。

それはさておいて、ざっくりとらんちゅうの改良指標は、フナから最も離れること  ということが根本命題にあるんですね。金魚の中で最も改良された品種の最高峰は何か?という問いの答えをらんちゅうとしたいわけです。

この命題を掲げている品種は他にないんです。ある意味大げさなんですが、それだけ愛好家に委ねられた改良余地が多い品種と解釈するべきなのではないでしょうか。

それが“金魚の王様”と言われる所以なわけです。決して大きいからとか立派だからとか言うのが理由ではないと思いたいですね。(バブル期、洗面器に入れる時、水があふれんばかりに大きい女性のふとももぐらいあるらんちゅうが持て囃されたことを覚えていますが、下品で気持ち悪いだけでした。)

らんちゅうが“金魚の王様”と言われる所以は、フナから最も離れた改良品種としての最高峰だから。

これがらんちゅう愛好家全てが、肝に銘じて首肯しなければならない命題のはずなんです。

この命題を掲げ実践されたのが宇野仁松なわけですが、愛好家レベルで、真に競う項目は、“どれだけフナから離れたか”とふんぺいも考えたいです。ブリーダーは、改良技術の成果として、“どれだけフナの特徴を無くした改良をしたか”がその人の技量となるわけなんだと思うんです。

最も優れたブリーダーは、走り巾跳びで例えると、最も遠くへ跳べる選手ってわけです。(フナから離れる!)

最も優れたブリーダーは、最も上手くフィギュア(一品物)を作れる人ではないのです。

ですからブリーディングってもしかしたら体育会系なのかも?!

じゃ、それ以外の金魚でもフナから離れた品種があるんじゃないの?って疑問もあるでしょうが、らんちゅうほど愛好家サイドの技量による許容される変異幅のある品種はないのではないでしょうか。

他の品種は、らんちゅうほど全国的な普遍性を持って飼育されているわけではないですよね。つまり、らんちゅうは地域特性があまりないんですね。熱帯魚かららんちゅうに宗旨替えされる愛好家が多いのはそういうことなんだと思います。

RPGのゲームみたいに、飼育者のレベルアップと、個体のレベルアップという二重のハードルをどうやって越えて行くかみたいな面白味が、醍醐味になっているのでしょう。

●流体力学的に、泳ぎにくいはずの大きな頭部と肉瘤を持つのがらんちゅう。
                  ↓
頭部が小さくエラが後退しているのはフナに戻る形質

●背が低く、背巾があるのが理想的ならんちゅう
                  ↓
背が高い=体高がある 背巾がない=紡錘形であるはフナに近い形質

●尾が小さいのがらんちゅう
                  ↓
泳ぐための背鰭が無いらんちゅうは、バランスを取るため尾鰭が大きくなりやすいがそのような形質は改良されていないことを意味する

この三つの要素を極めるブリーダーがもし存在するのなら、最も尊敬に値すると思うのです。

フナから離れることをテーマにして見てみると、現在のらんちゅうが如何にフナに戻りつつある形質を、無頓着に残しているかが理解できるのではないでしょうか。

話しが脇に逸れてしまいました。先に結論を書いてしまいましたが、要は『らんちゅうは改良品種としての最高峰である』ということと、それがいつまで経っても完結しない改良であるということが、そう言わしめているのだと思うのです。
                

                  

| | コメント (10) | トラックバック (0)

知ってました?

知ってました?

鼻の話しなんですけど、鼻って普通、変わりばんこに鼻の穴の空気の通りが良いようになっているって。

左右の鼻の穴で息しますでしょ?その時、どちらか片方がメインで、もう一方はお休みしているんですって。それが二三時間ごとに入れ替わるんだそうです。

ティッシュをあてて鼻息を見てみてください。本当にそうですよ。どちらも同じぐらいの風速だったら右穴から左穴へ、またはその逆になっている最中ってことらしいです。

風邪をひいているわけでもないのに、片方の鼻が詰まるのはなんでかずっと疑問だったんです。私の鼻がどうかしているって思っていたんです。

そのように人の体は出来ているんですね。

鼻風邪なんか引くと、顕著に判るんですよね。片方はスースーしていると思ったらいつの間にか反対の鼻の穴が通っていたりして・・・・

この前テレビで言っていたんですが、それが人の体の仕組みなんだそうです。

やっぱり“仕組み”を知るって大切なんだなって思ったんです。余計なイライラも解消されスッキリするのもあるんですが、情報を知らないことのデメリットを痛感したんですね。

これは全てのことに言えること。今回の情報にたまたま当たるまで、疑問に思ってから40年以上経っているわけです。身近なことでもそれほど判らないことが多いということなんですね。

皆さんもこんな例もあるんですから、知的好奇心を大事にしてくださいね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月14日 (月)

フィッシュマガジン1967年9月号

知人のS氏から貴重な雑誌を譲っていただきました。

当時の雰囲気が雑誌のあちこちから漂ってきます。ちょっとした広告も年代を感じさせます。

Img5
フィッシュマガジン1967年9月号

冒頭に大観らんちゅう会で一世を風靡した、故 槇氏が掲載されています。1967年(昭和47年)当時の槇氏もやはりグッピーをされていて熱帯魚の洗礼を受けてらんちゅうにのめり込んで行ったのが理解できます。

で、当時のご自慢のらんちゅうはどんなかというと・・・

2
槇氏の愛魚

3
“上の魚の上見”と書かれているがちょっと違うかも?

親魚でしょうが、「あれ?」って思いませんか?

どこかで見たフォルム、そして頭の形。今でも宇野系で見ることのできるタイプじゃないですか?日らんのタイプというより、むしろ宇野系。

当時はこのタイプが主流で、なおかつ優魚とされていたはずなんです。

このような資料を見て行くと、いつから袂を分かったか何となく判るんじゃないでしょうか。そして、日らん系やら宇野系やらというカテゴリー分けがナンセンスなのが判るような気がしませんか?

ふんぺいがらんちゅうをはじめた当初、最も好きなタイプは槇氏の魚でした。そして槇氏はこのようなタイプから大観らんちゅうを作られていったというのが理解できるのです。

この写真を見て「な~るほど!!」って腑に落ちた気がしたんです。ミッシングリンクが繋がったような気になりました。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2011年2月13日 (日)

金魚伝承19号~肉瘤ついての記事~

先日、ピーシーズから『金魚伝承19号』が送られてきました。

Img4

今回も日らん系の愛好家の紹介が主で、一部2010年品評会の画像の紹介となっていますが、

156ページから171ページまで
「著名作り手の種魚選び 太く、逞しい魚をつくるために!」という特集があります。

でも何故か種魚の画像は一枚もなく、来年の種魚候補とかの当歳魚の画像だけしかありません。私としては種親を見せて頂かないと納得できないのであまり参考にはなりませんでした。

172ページから175ページまで
「金魚の遺伝学」と題して森文俊氏の一文があります。

基礎的な知見の紹介が多く、中国金魚の肉瘤に関しても、「中国北方型」と「中国中部型」という形状による分け方をされていますが、肉瘤の形状は地域による変異というよりは、好まれてそのタイプが残されただけだと思うので、地域で分けるのはどうかと思いました。

176ページから179ページまで
「金魚の遺伝学 更紗の遺伝、肉瘤の遺伝について」と題して佐藤昭広氏が分担して執筆されています。

佐藤氏の更紗に関しては注目すべき知見は見当たりませんでしたが、初心者の方には理解しやすく書かれているので一読されたらよいと思います。

後半部分を「肉瘤の遺伝」に関して書かれていて、“アカムシが肉瘤増進に良い”という説を以下のように断言されています。

アカムシを与えることによって得られる効果というのは、らんちゅうの肉瘤の発達に不可欠な「良いコンディションに保つ」ということを人口飼料だけで育成するよりも容易にする からだ。

要するに、人口飼料だと水にエサが溶けたりして水を悪くするが、アカムシはその率が少ないので水の調子が保てるということ、つまり健康に飼育出来るということです。

ふんぺいも同感です。いつも言うように『健康に飼う』=『良いコンディションを保つ』だと思うのです。

さらに、
いくら飼育水の管理を完璧にしてコンディションを最高に保ったしても、肉瘤が出にくい系統からは良い個体が得られる可能性は低い。つまり親から引き継がれた素質、遺伝形質による影響があるのはほぼ疑う余地はないので、親魚の選択はとても重要

と書かれています。

そして、
良い肉瘤をもつらんちゅうを得るには、得たいとする肉瘤の表現をもつらんちゅうを親に用いて、より理想に近いとされる個体を残していく、という作業を繰り返していく以外近道はなさそうである。

と結論付けられています。

1.“肉瘤は作るもの”という考え方・・・・・・×

2“.肉瘤はエサで作る”←良いコンディションを保つことによってポテンシャルが発現しただけ

3.肉瘤の表現を吟味して親に使う←何故か?←遺伝するから

というようにまとめられると思います。

佐藤氏の言は至極的を射ています。

興味のある方はご一読ください。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年2月12日 (土)

経験に裏打ちされたらんちゅう論を考える

良くこんな話しを聞きます。

『君の言いたいことは判った。ならば現物を見せてくれ。』

そこで今まで滔々と述べていた彼の言葉が止まり、ぐうの音も出ない。またはいつのまにか話しがすり替わっている。

持論を展開しながらのらんちゅう論を、愛好家同士で戦わせながら、色々な話しをするのは実に楽しいことです。これもらんちゅうの愉しみ方の一つですね。オフシーズンである今の時期は、集まると専ららんちゅう論議に花が咲くというものです。

このような話しは、エキサイティングで良い刺激になる場合と、どこまで行っても平行線で終わってしまい、疲労感と脱力感だけが残る場合と二通りに分かれます。

最終的に、話しが煮詰まると、上記のように“現物論”になることが多いのですが、すなわち、らんちゅうは、とどのつまり『百の理論より目の前の現物』が優先されるんですね。言いかえれば、『千の言葉も一つの実物によって覆る』んです。

しかしながら、現物論に帰着するのは、まだ見ぬ夢を語ることを忘れ、そしてまだ見ぬ絶世の美女との百年に一度の恋を成就させるがために、我々が毎日の研究と飼育実践を積んだ上での理想を語ることの重要性を、忘れてしまっているからだと思うのです。

ただ、その議論の際は、前提としてのらんちゅうに対する基本的考え方の擦り合わせが出来ていなければいけません。つまり話しのレベルを合わせるということ。現状、それが出来ないからいつまで経っても理想は、現物論に帰着する堂々巡りになってしまうのでしょう。

理論もさることながら、経験と現物を実践できている愛好家に、私たちは最も敬意を表すべきだと思います。それに経験に裏打ちされた理論こそ最も私たちが尊ぶべきものと考えたいですね。

実践とか闘争論といっても経験とトレーニング抜きに言葉だけで理解しても仕方がない。(中略)
高野山で修業する阿舎利は千日間、山を走り続けます。言葉に書けばこれだけのことだが、実践するのは精神的困苦を抜きにはできない。(※高野山は比叡山の間違いでは?)
(中略)
コンセプトでは偉そうに言っても実践できなければ意味がありません。
『芸術闘争論』村上隆 まえがき 9P

村上氏の言をこちらに引きつけて引用させていただきましたが、何事においてもこのスタンスが大切なのではないかと思うのです。

少なくともらんちゅうを愛し、らんちゅうとともに生きることを選択して、趣味として心を豊かにする糧をらんちゅうに求め、生涯、おのが命と同等ぐらいにらんちゅうを大事にしたいという人と議論をして、少しでも判りあいたいというのが心ある愛好家の本当の願望のはずです。

ですから、“教えてあげる”などと上から目線の啓蒙主義で、物事を考えているわけではないし、謙虚に受け止めてくださる既成概念に囚われない、自由な考え方が出来る、熱意のある方を探し求めるのは、私にとって必然性があるのです。それが仲間であり、技術も理念も共有できる友としていつまでも、ともに心豊かでありたいと願う理由です。

立場を異にしても、それぞれを尊重しあいながら、同じ“らんちゅう飼い”としての悩みや技術論を率直に話しあえる関係を築き上げ、その仲間とともに色々なアイデアを出し合い、考え方のヒントを貰い、そしてヒントを渡す。仲間内なら、思いついたことを率直に披露しあえる人間関係を第一としたいと思うのです。多くの人に、より判りあえる環境を提供するほうが得に決まっています。少しずつダムを崩す努力は、やがて奔流となって一大ムーブメントになることを夢想しながら。

らんちゅうの改良は、寄ってたかってグループで推し進めることが大事であると気が付いたからには、それを着実に実行すれば良いし、賛同する入門者は諸手を挙げて歓迎されるはずです。そのような個人主義の限界を理解しあえる良き友との出会いこそ、宝としたいと思うのです。その際、それはまさしくギブ&テイクの情報の共有化が最も重視されるはずです。実のところ、多くの知見が既知であってオリジナルはほとんどないんです。先達の知りえたことの、寄せ集めであり受け売りに過ぎないんです。

深くらんちゅうを考えるということを気付かせてくださった先達がいたからこそ、今の自分の位置があるのではないかと思っているんです。私のアドバンテージは、ただ単に情報を吟味できる環境にいたということだけなのだと思うんです。玉石混淆のネットだけの偏った情報ではなく、たまたま他人よりも色々な角度から見れる情報のネットワークを構築できたからなんだと思うんです。決して、自分の力で出来たとは思っていないんです。ですから、出来る限りの情報を分け隔てなく公開すれば良いと思っています。それでもなお、実はこのらんちゅうという代物はそれ以上に、ブログで表現できないことのほうがずっとずっと多いんです。

ですから、傲慢に聞こえるかも知れませんが、惜しみなく情報を公開しても、アドバンテージはゆるがないという自信も実はあります。情報を公開しても、経験の差は埋まらないし、情報以上の貴重な生の体験を誰よりもさせて頂いている強みは、決して埋まらないと思うのです。たまたま金魚が好きで、人よりも熱意を持ってらんちゅうと向き合っているという自負だけがそう言わせていると思っているのです。

引き続きふんぺいは、色々なところから吸収して、いつまでも自分の知識に安住することなく、“教えてもらう”という謙虚さを持ち、絶えず知的好奇心を忘れずにいたいと思っています。そして根底にあるのは、多くの愛好家に理解して欲しい、知らないのなら知って欲しい。知っていて興味が無いのなら別に無視してもらったらよいと思うスタンスです。

表現することの難しさをブログで確認しながら、自分の文章力のトレーニングのつもりでこれからもやっていくつもりでいます。

すみません、後半は、決意表明みたいになっちゃって違う方向に筆が進んだようです。文脈を読んでくださいね。(^_^;)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年2月 9日 (水)

高齢化とらんちゅう趣味の関係

読売新聞 12月27日付 朝刊

“「日本鶏」の絶滅を防げ~広島大が研究センター設立”

記事の要旨は、

主に鑑賞用に飼育改良されてきた“日本鶏”が危機に瀕している。「オナガドリ」「トウテンコウ」「シャモ」など全34品種!もあり、「美しさに加え、良質な卵を産み、暑さに強いなど、有用な遺伝的性質の種が多」く「これほどの品種を抱える国はない」そうだ。

なぜ危機が叫ばれるのか?
1.農村部の都市化
2.愛好家の高齢化
3.鳥インフルエンザによる鶏離れ

平安時代以降、営々と続く日本鶏の遺伝子が、愛好家の高齢化!!?の為に途絶えようとしている。このようなことを他山の石として見過ごすことが、私たちらんちゅう愛好家に出来るのか?そのようなことを考えさせられました。

僅か40~50年の社会変化に翻弄される日本鶏と、私たちが愛してやまないらんちゅうの状況とそんなに違うものとはふんぺいには思えません。

我々があまり意識せずに楽しんでいるらんちゅう趣味も、同様に種を維持しているブリーダーが居てはじめて楽しめるものと気が付かないと、日本鶏と同様に絶滅の危機は去らないと思うのです。日本鶏はその有用性ゆえにこのような話題として絶滅を免れることと思いますが、果たしてらんちゅうはどうでしょう?
ハタと気が付いた時、後継者が居ない、ということが普通に起こるように思うのです。これは今に始まった問題ではありません。伝統芸能の世界では後継者不足が叫ばれて随分と久しいですね。それと同様ではないでしょうか。

琵琶湖金鱗会に所属しているふんぺいは、未だに若手です。入会して15年ほどになりますが、果たしてどれだけの有望な若手が現れたと言えるでしょうか。私より若い方が何人居るかというと今でも数が少ないんです。これは由々しき問題と認識する必要があるのではないでしょうか。

愛好家の高齢化、日本鶏と同様に、今逆に愛好家が『絶滅』しようとしているのではないでしょうか。社会環境の変化は、愛玩動物に対する人の興味の方向性までをも変えようとしていると言えるのではないでしょうか。

数多のらんちゅう愛好会の集合写真をご覧になってみてください。50代60代の方ばかりではないですか?20代30代の方がどれほど居ますか?

“らんちゅうなんてオヤジのやる趣味だ!だから若者が興味ないのも当たり前”なんて悠長に構える時代ではないのです。社会は折しも高齢化が叫ばれています。日本社会は、今後どんどん活力を失うであろうことを喧しく言われているのです。

ほっといても愛好家が増える時代は過ぎ去ったのです。人口が今後、減少傾向にあり、日本社会が今以上に停滞していくかもしれないということは、経済を見れば一目瞭然ですね。国全体を見れば、経済的余裕が無くなれば、次第に趣味の範囲は限られてきて、衰退の一途を辿ることになるのでしょう。

はたや戦後教育は、“個性”なるものを重視するあまり、逆に若者の活力を奪ってきたのかもしれません。この国の歴史を知らない、この国に生まれたことを誇りとも思わない“地球市民”なる人々を、大量に教育は産みだしてしまったようです。そのしっぺ返しが昨年の相次ぐ領土問題でしょう。かろうじて保たれていた“日本”という国家の有り様を融解させたがゆえに、起こるべくして起こった事件でした。これも根で通底していることを理解しないといけないのです。

らんちゅう趣味の愛好家の構成は、団塊の世代を中心に逆ピラミッド型になっているんです。今後30年、40年とらんちゅうという品種を維持できるブリーダーがどれほど居ると言えるでしょうか。次の世代は育っているのでしょうか。到底安閑とできないように思えてなりません。

鑑賞魚の世界は、土着の金魚からはじまり、熱帯魚の黄金時代がありました。グッピー、エンゼルフィッシュ等の第一次ブームは水槽に熱帯の魚を手軽に飼育する楽しさを教えてくれました。そして次第に規模は大きくなり、海水魚や大型魚の飼育へと発展してきました。高度成長期とともに、らんちゅうも投機対象になるのではないかと思われるぐらい高値で取引されたこともありました。

そして今、若い人の、伝統や物事を継承するということに対しての無関心さは、色々な日本の文化の息の根を止めようとしていると思うのです。

生活環境の変化も、現代の若い人に、小鳥や金魚を飼うという幼少時の体験をしない人を増やしているように思われます。熟年になってそのような体験が無ければ、生き物趣味に回帰することが極端に少なくなるのではないでしょうか。

さて、以上のような諸々の時代の変化は、我々らんちゅう趣味人が積極的に環境への働きかけをしなければならないということを理解していただけるのではないでしょうか。次代を担う若い愛好家をどう育成していくかは喫緊の課題なわけなんですが、どうやって行けば良いのか?誰も考えていないのが現状でしょう。

そのような問題提議と今後に対する提案も、微力ながらこのブログで出来れば良いのにと思っている次第です。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2011年2月 8日 (火)

予防的飼育法と・・・

青水を上手く使いなさいって言われますよね。

これほど抽象的で判りにくい水の使用方法はないと思います。

青水と言っても、良い青水と悪い青水があります。

でもはじめは判らないんです。

じゃ、どうすりゃ判るか?

金魚を殺すか、調子悪くしないと判らないんです。それではじめてあの色のあんな青水は魚に悪いと判るわけです。

で、ちゃんとその時の水の色や諸々の環境を覚えておけば、次回同じ状況になる前に気づいて対処できるわけです。

そうこうしているうちに、半年ほど良好な青水を使いながら健康に飼育できるようになると、魚が明らかに一味違う出来になることがわかったりします。

要は、水槽中に良質な植物プランクトンを繁殖させて、濾過サイクルを作り出せば良いわけですが、日射量や風通しなど色々な環境の変化で、それを維持するのは困難を極めるといわれます。熟練が必要なんですね。

短絡的に考えてしまうと、『いっそのこと年中更水飼育すりゃいいじゃん』ってことになりますよね。先回りの水換えなら、ずっと更水で良いって論法ですね。

絶えず新水にしておけば餌の食いも判るし、魚の調子も手に取るように判るじゃないかってことですよね。

一般にそのような飼育方法をされている愛好家もいらっしゃいます。なんら問題はないんです。絶えず新しい水ですから、アンモニアや亜硝酸が増えることは回避されますので、魚が調子を崩すことも少なくなるでしょう。それを“予防的飼育法”と呼ぶことにしましょう。

確かに、確かにそうなんですが、でも最終突き詰めると何か足りないということが次第に判るようになったりするんです。一冬越すと劇的に金魚が変わったりすることを経験すると、水換えとは何ぞや?って思っちゃうわけです。

会用に仕立てるギチギチと詰めていくその“予防的飼育法”の金魚と、鷹揚にかまえてあなた任せの青水飼育の金魚は、多分対極にあるんじゃないでしょうか。“味”の違いがここにも窺い知れるのかもしれません。

ふんぺいが口酸っぱく言っている“健康に飼う”とはちょっとニュアンスが違うんですよね。

造形はディテールに宿る とはどこかで聞いた言葉。

そう!そのちょっとした違いが判るあなたは、造形作家に近い感性をお持ちなのかもしれません。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年2月 7日 (月)

『いのちドラマチック』を視て~福羽イチゴ~

先日放送の、NHKBSの『いのちドラマッチック』はイチゴがテーマでした。

イチゴも金魚と同様、日本には江戸時代にオランダから入ってきたそうです。もとい!金魚はオランダじゃないですよ!オランダシシガシラって名前はありますけど!

それを、今の“とちおとめ”“あまおう””女峰”等々に、時代のニーズに合わせて品種改良されてきたんですね。その数は50品種ぐらいあるのかな?

明治時代、福羽逸人博士の手によって、初めて品種改良が行われて“福羽イチゴ”が出来たんです。いわば日本の品種改良イチゴのルーツなんですね。

形は少し細長いタイプなんですが、今でも十分美味しいそうです。昔、子供の頃、果物屋に木枠に入れられセロハンが掛けられていたイチゴってそう言えば細長かったような気がします。

で、驚いたのは、番組内でその“福羽イチゴ”の実物が出てきたんです。ちゃんと残っているんですね。ネットで調べてみたら何軒かの農家が作っているようです。どんどん新しい品種が作られて福羽イチゴは忘れ去られて消失したわけではないんですね。延々と保存維持されている。

「あ、これだ!」って思いました。

世の中の趣味嗜好が変わっても品種として残すこと。その多様性が必要なんじゃないかと。らんちゅうの“トキン頭(トキンじゃないですよ)”が今では見られないのは、らんちゅうの多様性を保持する上で、マイナスなんじゃないかと。誰も気が付かないで現在に至っているとしたら、取り返しのつかないことを愛好家はしてしまったのかもしれないと。

フナに戻りつつある形質を追いかけても意味は無いんですよね。いかに“らんちゅうらしさ”としての多様性を保存するか?これが肝なんじゃないでしょうか。

いずれにしても、『いのちドラマチック』毎回考えさせられます。いのちを扱っている我々こそ是非見るべきと思うのです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年2月 6日 (日)

宇野式飼育法~池にあわせて魚を飼う~

宇野先生が晩年確立された飼育法を、以前訪問した古老の言を借りてお話します。

その古老は、忠実に飼育法を真似ておられたようです。以下をご覧ください。

1.小さい時、出来るだけ抑える。金魚のいい悪いを選るより、池に比例した金魚を置く。

2.明け二歳、120センチ角の池 150尾から180尾置く。最低120尾なかったら駄目。

3.二歳秋で80尾。

4.三歳春で40尾。

5.三歳秋で25~30尾。

極意はどこにあるのか?

1の“金魚のいい悪いを選るより、池に比例した金魚を置く”にあると思います。これが出来ない! そうでしょ?このブログをご覧になっているベテランも、されていないのでは?

当歳を小さく飼うのは、会用に当歳時50尾を切る数まで減らしてしまうより、格段に飼育法が難しいです。嘘だと思うなら試しに実践してみてください。

ということは、当歳では最低限の選り仔(フナに戻るものをハネる)以外はしないことになりますよね。そして当歳時点で“いい悪いを選らない”んです。池の大きさに合わせて飼うだけなんです。その真意は、魚が変わるから当歳時点で勝手なバイアスを掛けないということだと理解しています。『決めつけない!』ってことなんでしょうね。

古老曰く、“宇野系は三歳にならないとランチュウにならない”

なんと含蓄のあるお言葉!

で、そうだとすると、私たちが出来るように飼育法をアレンジしてみると・・・・(池に比例して置くを)

1.1メートル角の水槽で、当歳時100尾を基準とする。(容量200リットル)

2.二歳秋 50尾

3.三歳春 40尾

4.三歳秋 20尾

ぐらいと考えてはどうでしょうか。

100リットルなら二分の一なんで当歳時、50尾を基準にしては?
但し!水量が減れば水質悪化も急激ですよ。全滅させることが増えます。十分お気をつけて。

古老は三歳秋を完成とされていましたが、普通は四歳で良いと思いますよ。

いかがでしょう?目から鱗でしょ?

何故今、このようなことを申し上げるかというと、ふんぺいがある程度実践して実感したからなんです。『小さく飼え』の真意を、皆さん相変わらず誤解されている方も多いようなんで、少し目安を出しておけば、この春、新しい試みをして気付かれる方も少なからずいるのでは?と思うのです。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2011年2月 5日 (土)

図解『らんちゅうを分析する』~その2~

前回は、一般的ならんちゅうを題材にしましたが、今回は宇野系で良く見るタイプを題材としてみます。

Photo_5   
1.エラの位置はズレていない

このサンプルはエラの位置が後退していないので頭骨の巾も大きさも十分あります。従ってフナから遠ざかるように、改良のポイントを押さえていることが見てとれます。同時に、トキンの上がりも十分で土台はしっかりしています。しかしながら、龍頭に出ているので、目巾が少し足りません。もう少し横巾に出る獅子頭なら、理想的な背巾も期待できます。

2.目巾と腹巾と

目巾に比較して腹巾が著しく広いのはいただけません。エラの位置で体巾が一番狭くなっていて“とっくり型”になっています。腹巾をエサで太く見せても個体の素質は細いと判ります。

3.胴の付け根に注目

胴と頭部の付け根(首)に注目してください。エラの前端部の渡りが本来の背巾です。“背巾”と図示しているのがそれです。それ以上の巾はエサでふくらましていると考えられ、本来の巾と勘違いしないようにしてください。

4.腹じまいを見る

このタイプは、中寸以下(どちらかというと短手)なので前後に圧縮された分、横方向に内臓が押し出されている形になっているのでしょう、腹巾が極めて不自然に左右に出てしまっています。腹の部分は肋骨のように収納する骨がないので、ダイレクトに膨らみとして出てしまいます。エサで加減しても、どちらかというとこのタイプは遺伝するようです。

5.腹じまいと尾筒の関係

メス腹を差し引いても、腹じまいがおむすび型なので尾筒への流れが破たんしています。筒伸びに出てしまうと腹巾が最も広い部分からの比較になってしまうので、必要以上に尾筒が細く見えてしまいます。中寸の弊害がここにも表れています。

6.実は背巾はこれだけ

背巾と図示した部分が本来の背巾です。エラのズレが少ないので背は十分に低いと判断出来ますが、中寸以下なのでバランスを取るために、腹は下に垂れていると思われます。柔和なフォルムなので『カワイイ』という印象はありますが、三頭身の限界も露呈しています。

以上色々書かせていただきましたが、これも決してふんぺいがオリジナルで考え付いたことではないんです。ほとんどが仲間、あるいは先達から教えを受けたことを総合しての見解です。狭い範囲での偏った情報を、スタンダードと勘違いしないで全体を見る目を養って欲しいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月 4日 (金)

峰について~馬の背~

本日はトレーニングで比叡山に登ってきました。

その際、以前書いた“馬の背”のことを思い出しました。

山登りをしていると“馬の背”は良く聞く言葉で主に以下のような地形を言います。
110204_134926
木が倒れていたりで見難いかもしれませんが、真ん中が道でその左右が谷になっている地形をそのように表現します。真ん中が“峰”なんです。

110204_1337001_2 
これぐらい背がなだらかですといいんじゃないですか?

110204_133849_2
おお!これぐらい真ん中の背巾があるとなかなかじゃ??

110204_133402
わっ!らんちゅうだったらすごいぞ!踊りができそうだな!

って、あたしゃ山登りしている時も、らんちゅうのことを考えているということですな!(^_^;)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

体色のお話~朱鷺色(ときいろ)について~

先般、朱鷺色(ときいろ)のお話をしました。

I6
M/Y/D/S 動物のイラスト集

その後、仰っていた愛好家の方から訂正のお電話をいただいたんです。

どうやら、朱鷺色の認識が違ったようなんですね。

どういうことか?

その方がイメージしていたのは、上記のイラストにあるような朱鷺の顔面の朱色をそう呼ばれていたんです。

実は、“朱鷺色”とは、羽の内側の飛翔している時に見えるピンク色を言うんです。つまり←こんな色ですね。

濃い朱色とピンク色とでは、これこそ全くイメージが違ってきます。

ここでもまた用語からのイメージの違いが奇しくも明らかになった形です。

常滑焼の土瓶の濃い朱色と朱鷺の頭の朱色は、実は同じだったのではないでしょうか。これで納得がいきました。

ことほどさように、言語は曖昧であるだけに、厳格な用語の擦り合わせが必要となってくるんです。このままこの件も放置していれば、次第に尾ひれが付いて全然違う方向に認知されていたのかもしれませんね。

勘違いや誤認は付き物です。こうやって一つずつ、つぶしていくことがらんちゅう学にとっては、必須なのではないかと痛感しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月 3日 (木)

陶磁器のお話~宇野仁松 周辺情報~

初代宇野仁松の四男が宇野三吾氏。

戦後の書籍をあたると、しばしば三吾氏の名前を見ることがあります。

どちらかというと、長男宋甕氏は、いわゆる長男肌で、地に足をつけて地道に行くタイプなら、三吾氏は、やんちゃな四男坊的な位置づけになるのでしょうか。作風もトルコブルーなど斬新な色と唐三彩風の明るいものが多いです。

当時、京焼が最も活気があって戦後のアバンギャルドを先鋭に牽引されたのは三吾氏だったようです。三吾氏に関しても当時の文献をあたったのですが、京都の美術家、華道家等々の方たちとの華麗なる交流があったことが書簡などで判ります。

オブジェとしての“前衛陶芸”は、八木一夫氏らの走泥社が先駆と言われていますが、実は宇野三吾氏率いる四耕会が先んじていたことが近年見直されています。

『日本のやきもの 京都』 淡交社 昭和38年初版
Img3
この書籍には、宇野三吾氏の「京焼の伝統と技術」という、京焼の歴史を一望できる文章を上梓されているのには、誠に驚かされます。三吾氏の前衛陶芸に対する思いは、京焼の歴史の上に重層的に構築されたものと判ります。

Img_00021_3
『NHK 美の壺 青磁』 NHK出版 2008年発行

初代宇野仁松の青磁を、正統に受け継いだのは宇野宋甕氏なのですが、青磁を理解する上で、青磁を判り易くまとめた冊子は、これをお勧めします。

掲載写真も美麗で、青磁の特色である色も十分に再現された印刷になっています。この上品な味わいを本で見て、そして実物を是非美術館にて鑑賞されると良いのではないでしょうか。

らんちゅうと陶磁器、どちらも鑑賞するものです。接点が見いだせるはずだとふんぺいは確信しています。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »