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2010年11月

2010年11月30日 (火)

骨格のお話

実は、らんちゅうの骨格標本は公表されているんです。

『金魚と錦鯉 鑑賞と飼い方』 松井佳一著 昭和43年発行

やはり松井博士です。掲載されてはいますが、この写真は使いまわしで、初出は『科学と趣味から見た金魚の研究』なんですね。ですから撮影されたのは昭和初期にまで遡ることになります。よって現在のらんちゅうとは改良の程度が違うことを十分に考慮して、それを差し引いて見るべきと思っています。

それでもらんちゅうの骨格標本まで作製している松井博士の偉大な功績は、誰一人として今まで注目してこなかったことに悲しむべきでありますし、こんな所にも金魚学の停滞ぶりが露呈していると言えるのではないでしょうか。

もう一つ付け加えると、フィッシュマガジン誌において、井上外喜夫氏(石川更紗らんちゅう愛好会会長)がご自分で撮影されたX線画像が掲載されていたことも付記しておきます。発表時においては、詳細な分析はされていなかったように記憶しております。興味のある方は調べてみてください。(※ふんぺいはどこにしまったか判らないです(^_^;))

Photo

写真(上)をご覧ください。らんちゅう(上)と比較対照としてリュウキン(下)の骨格標本ですね。頭骨から尾に向けて一本通っているのが脊椎骨です。『峰って何』でコメントしていた“神経棘(しんけいきょく)”が脊椎骨の上部に立っている棘(とげ)を言います。

どんならんちゅうでも脊椎骨の上に神経棘がある

というのが見てとれます。この部分を肉と表皮が覆いかぶさっているということですね。

で、ですね。我々の究極の目標は、骨格から見て、背が低くて平坦にするために、“脊椎骨を背中上部に移動させて、なおかつ神経棘を無くすこと”なのだと思うのです。背鰭を無くしたように。

程度の差こそあれ、どんならんちゅうでも神経棘に由来する“峰”はあるはずで、それをどう隠しているかは肉の付き具合の大小と癖になるのではないかと思うのです。

さらに、ここではご紹介出来ないのですが、もう一つ資料があります。『らんちゅうの骨格図※』で、解剖して骨格を詳細に写し取ったものなのですが、近年のものなので、神経棘が癒着しだしているのが判ります。つまり、改良の結果、全般的に神経棘は無くなる方向に少なくともベクトルが向いているということです。
※『鑑賞魚解剖図鑑』 落合明 鈴木克美 編著 緑書房

因みに上の写真のらんちゅうは、櫛型で背出しが高く、背下りがなく、かなり体高があるのが想像できますね。(^_^;) さらに下のリュウキンと比較すると体長が違うのですが、脊椎骨の一つの長さが長手と短手になっていることが理解出来ると思います。

次に下の写真をご覧ください。ここで判ることを少し書いておきます。

頭骨と脊椎骨の位置関係を見ることが出来るのですが、かろうじて背出し部分に第一肋骨?が残っていますね。本当は体半分ぐらいまで残っていないといけないのですが、標本作製時に無くなったのでしょう。(※骨格標本作りはかなり難しい)

この写真では、体幅と頭骨の幅がイコールだということが判りますね。頭骨の幅以上にあるのは脂肪が付いてしまったものであるので差し引いて見ないといけない意味が判ると思います。

さて以上で骨格かららんちゅうを肉付けして生体を想像してみてください。頭の中に出来ましたか? 次にその逆をやってみてください。今ご自分が飼育している個体を頭の中で骨格標本にしてみてください。

これが“骨格から見るらんちゅう学”の初歩なんです。いかがでしょう?

もう一つ、余談ですが、『金魚百華第二号』ピーシーズに深堀氏という金魚絵師が特集されています。表紙に氏の書かれたらんちゅう??が掲載されています。氏が書かれた金魚は大変艶めかしく流麗で魅力的なのですが、このらんちゅう、まさに馬の背なんです。(^_^;)ん~かなり痩せて見えるんです。決して氏の作風を批判しているのではないんですよ、是非活躍して頂きたいのですが、表現されたらんちゅうが、イメージとして氏の頭に定着したものか、それを幻想的に表現されただけなのか、意図は私には判りません。興味のある方はご覧になってみてください。

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2010年11月24日 (水)

峰って何?

猫に対して、我が軍は半島に先んじて徹底抗戦に入っております。

それはさておき、今日は“峰”についてのお話です。

“峰”とは何かと言うと、端的に言いますと背が“二階建て”や“背が高い”というものの総称の意味で“鮒に戻っている”とか“改良されていない”などと否定的な意味合いで使用されます。

で実際の画像を見ながら“峰”の実際を検証してみましょう。

“峰”の判断材料は、上見で胴体の頭部の付け根から中心線で、尾に向けて一本の線が入っているように見えるのを言います。

何故そのように見えるかと言うと、中心線を分水嶺にして右と左に傾斜しているからで、背が平坦ではなく、輪切りにすると切妻の屋根のようになっていると考えられるからです。

中心線が凸になっていると上から見て判断する指標なわけですね。
下の画像を見てください、中心線の鱗が光って一本の線に見えます。この線が“峰”と呼ばれるものです。実際の個体で見比べてください。そのような線の入っている個体は総じて背が高いです。

2

しかしちょっと待ってください。実はこの個体、否定的な『“峰”は背が高い』の方程式には当てはまらない個体なんです。遠目で見ると一本線が入って見えますけど、これぐらいの近くで見ると決して背が高くないのが判ると思います。

要するに、餌で作ってないから、どちらかというと痩せていてガリっているからそう見えていると判断してください。

どのような個体も中心線の肉の下には脊椎骨があるので大なり小なり“峰”るんです。それを見えないようにするには餌付けの方法と個体の成長によって変化します。但し成長しても峰が消えないのは本当に峰っているんです。

幅が出て背が左右に広がって平坦に見えるかどうかは、系統であり血統なので飼育してみないと判らないんですね。

また、鱗に光沢感が無いと“峰”を隠したり、中には中心部に鱗の無い個体や色が薄い個体は“峰”を隠し易いので惑わされないようにしないといけないと思います。

3_2 

当歳時点での、このような鱗の光り方を“峰”と判断するのは時期尚早だとふんぺいは思います。先行きを見るだけの忍耐が必要だと思います。二歳になったらこの個体なんかは巾に来て線は消えますよ。

ですから“峰”と言っても判断材料であって、機械的に選別作業の一貫にしてしまうのではなく、明らかに主体的に考えながらの選別作業が必要ではないかと思うのです。

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2010年11月21日 (日)

【!WARNING!】ここ以外で質問しないで下さい

このブログで得た知識を、既存の愛好家や先輩方に無闇にぶつけないでください。(^_^;)

先輩方を困らせないでくださいね。して良い質問と悪い質問があるんです。入門者の方は判らないからか、不躾な質問をしている場面に私も良く出くわします。らんちゅう愛好家は誰しも自分の魚が一番だと思ってずっと飼育をしてきたんです。それを知らない初心者が、さも知ったかぶって質問をぶつけるなんて失礼以外ないです。そんな質問をする人はKYですよ。

『どこぞのネットでこんなこと書いてましたけど、あなたはどう思いますか?』なんて質問は愚の骨頂ですよ。

ベテラン愛好家は得てしてネットは大嫌いです。

質問は良いとしても、意見は問うべきものではないです。ましてや、一般的な、らんちゅう飼育の常識とは違うことをここでは書いてます。従来の常識とは違う次元の話しをしているのですから、そのベテラン愛好家は答えに窮することはあっても、質問したあなたには良い印象は持たないでしょう。

だからこのブログに書いてあることは、ここで解決してください。ここに書いてあることを他でぶつけても答えは戻ってきませんから!

情報として、間違ったことを書いているとは思いませんが、風当たりが強くなれば理不尽であっても、いずれこのブログも閉鎖しないといけなくなるかもしれません。

ふんぺいが足と手弁当で知りえたことを、無償で不特定多数の方に提供していることに甘んじないでください。

こんな注意も書いておかないと、うつけ者が居て、楽しく趣味をしている人たちを怒らせないとも限りません。

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2010年11月20日 (土)

エボルタ君家の前通る

Dsc_1923
    水換えをしていると、家の前の道を白いジャンパーの一群が、「こんにちは~」って声を掛けて通りました。足元でカタカタと何か動いているのに気が付き、??!!!

エボルタ君かえ???

おお、なんたるちあ、さんたるちあ!

Dsc_1922_5

うちの前の道を何故通る???狭い道なのに~って

「道ずれました~」ってことだそうです。何たる偶然!

がんばれ!あと少しだぞ!エボルタ君!!

Dsc_1924
http://panasonic.jp/drycell/evolta/challenge/53/

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種魚と会魚

拙ブログを読んでこう思っている方が多いようです。

ふんぺいは『尾は付いてなくてもいい。』と言っている・・・・と。

それを『尾はどうでもいい。』と言っている・・・・・・と理解している。

私の真意はそうではありません!!

そのような方は、誤解しています。会魚と種魚というものの違いを頭の中で混同されているんだ思うのです。失礼ですが、種魚の真の意味を理解できていないのだと思うんです。

会魚と種魚は厳密に違いがあります。宇野系らんちゅうのブリーダーはその辺の違いを整理して考えていないと思います。私も現にそうでしたから。

優等魚=優秀な種魚ではない ※優秀な種魚のポイントは、このブログに一杯書いてます。是非読み返してみてください。

品評会で優等に上がった個体が優秀な種魚か?そうではないんです。実はふんぺいも品評会の優等の個体が最も種魚に向いているのだと思っていました。しかし、色々と各地の愛好家を訪問しながら検証していくうちに、そうではないということに気が付いたのです。
実は、気が付いてもそんなこと言わない人が多いんです。敢えて口に出して言う必要もないですよね。損得勘定で言えば損しますから。(^_^;)それにわざわざ理解してもらうと都合悪い人も一杯いるみたいだし・・・・(笑)
もし種魚の品評会が世の中にあったなら、見るべきポイントは変わるんです。順位は全然別のものになるはずですなんですね。

品評会で、キズが無い金魚が良いところに行くことが多いですね。魚のクォリティー以上に、無難な魚が上位に上がる傾向があるというのは良く聞く話です。または色の綺麗なだけの魚とかね。そのように、徹頭徹尾コンテストを目指す金魚を、“会魚”と言います。減点されない金魚は、キズが無い金魚ですよね。単なるキズで足切りがあるんなら、一部に抜きん出たところのある金魚は残らないですね。少しでもキズがあったら評価の対象にすらならないということですよね。

目が肥えてくるとそのような会魚(長所の無い魚)に飽き足らなくなったりします。

もちろん尾は重要な判断材料になろうかと思います。でも尾がちゃんとした個体は、どうも頭や胴が寂しい傾向があるのに気が付きませんか?
そのような表現形の無難な個体で仔を採れば、それ以下の仔しか出ない確率は、格段と上がる計算になろうかと思います。それを何代も続ければ・・・・品質はどんどん落ちますよね。頭が硬くなる、あるいは崩れるとはそういうことなんです。

Ss3
こんな尾のスボケで仔を採っても・・・・・
Dsc_1919
こんな尾の開いた仔が出ますよ~

何故そうなるか?何故クォリティーが落ちるのか?良く見れば、ただキズが無いだけで、どのパーツもレベルが低い個体が多いことに気が付くはずです。ふんぺいは年々増えているような気がしてならないんです。それは微妙な差なんで、多くの意識しない愛好家は気付いていないかもしれません。

それは、種魚の質が落ちているからなんだと思うんです。あるいは、会魚と種魚の本当の違いを判っていないからそのような現象が生じるのだと思うのです。

種魚を会魚の基準で選別していませんか?それでは種の質はどんどん落ちると思うんです。遺伝しないキズでハネてはいませんか?尾がまくれていても、尾が弱くても、最低限しっかりとした尾付けを守っていたら、次世代は尾の開いた個体は出ます。(ふんぺいは実証・実践しています。)ここは強調したいです。

種魚の選別に関しては、最低限の遺伝しないキズは許容範囲とします。それよりも親の遺伝形質をしっかりと継承している個体を見極めます。例えば尾に関しては、尾形が無くても尾付けの部分がしっかりした個体は残します。もちろん差しは遺伝しやすいのではずします。ですから種魚である限り、厳密に尾はきっちり開いている必要はないと考えます。もちろん尾まくれも許容範囲です。会魚ではハネですが、種魚ではそのような会魚の選別基準を採用しません。ここが宇野先生の仰った言が発揮される部分だと思うのです。

そう!種魚を会魚基準でハネれば種魚は居なくなるんです。

これが『あなたが捨ててる金魚に良いのが居るに決まっている。』の意味です。

これをもっと噛み砕いた言葉に直すと
『あなたが会魚基準で尾や遺伝しないキズでハネた金魚の中に、種魚として頭の質、胴の質の良い個体が居るに決まっている。』 となるのです。

遺伝しないキズを無視しても、その仔にはちゃんと尾の開いた会魚は必ず出ます。その会魚は今までの会魚よりクォリティが確実にレベルアップしているはずだとふんぺいは考えるのです。

遺伝するキズと遺伝しないキズを見極めよう

また宿題です。種魚とはどんなものなのか。もっともっと考えていかなければいけないことなんだと思うんですよね。次世代に繋ぐものとは?の問いを考えてみてください。

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猫来襲!!

いや~ショックです。

水槽の上の網がズレていたんでしょうか。朝起きたらやられていました。

Dsc_1914
上のFRP水槽と手前のプラ舟が被害に遭う。

犯人は判ってるんです。近所の飼い猫。欲張りなキジ猫だ。

一番大切にしていたのから順番に10尾ほどやられてました。

メガテン君も柳出目金も餌食になっちゃいました。とほほほ~

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鱗が散乱、、、オレンジ色の肉瘤の塊が!!!

対策はしてたんですけど、ほんと腹が立つ~!!

いずれにしても油断してたんですよね。飼育者が悪いんです。

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2010年11月16日 (火)

昭和のらんちゅう

標準原色図鑑全集17
『熱帯魚・金魚』 牧野信司・松井佳一 共著 保育社 昭和45年発行(1970)

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今では見られない頭をとくとご覧ください。四角く隆起したトキン。そしてビロードのように平滑な肉瘤の表面。

私たちは、何を捨て、何を残そうとしているのか。

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2010年11月14日 (日)

龍頭と獅子頭~肉瘤の本当~

何度も書いてますが、頭部は獅子頭が基本で枝葉として龍頭があるんです。兜巾頭(トキンガシラ)は種として池に居ないと、万が一、トキンの形質が落ちてきたときに戻す用に残しておくべきと考えています。

ですから、バリエーションが無かったら頭の形質は維持できないんです。派手に前方にフンタンが出て喜んでいるようでは駄目なんだと思います。派手なだけで顔が崩れていることに気が付かないと、いずれ形質が消失する前兆と思った方が良いはずなんです。目安はトキンの形が崩れてきたら要注意ということだと考えています。

下の画像は2歳時に撮影しています。トキンの位置をご覧ください。目より少し後ろに位置しています。そして正方形。これが正しい位置です。このトキンがずれたり長方形になると掛け合わせを再考しないといけないと思っています。
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2歳時と5歳時

5歳時はこのように変化しました。見事にトキンが膨隆したことが見てとれます。このようにトキンが発達するかしないかは、4~5歳になるまで判りません。二歳時には普通の獅子頭になると予想していましたが、見事にはずされました。だから金魚に聞かないと判らないんです。その素質が判らないうちにハネることの無意味さを判ってもらえるでしょうか。ですから遺伝しないキズで選別をなるべくしないようにするべきではないか、と申し上げている意味が、根拠がないことを言っているのではないことが判ると思います。

しかし、トキンがある個体でも掛け合わせでこのような個体が1尾でも出なくなったら要注意なのではないでしょうか。

龍頭は、トキンが収縮しだしていることに、つまり、出にくくなっているのだと気が付かないといけないのではないかと考えています。頭にちょこんと乗ったトキンしか出なくなったら悪い兆候であることを意識しないと、いずれトキンが崩れて上記のような個体は消滅してしまいます。この個体が出ている間は、龍頭も出るし色々なタイプの頭が残ります。

頭を意識しないと出なくなるという意味はそういうことなんです。このような遺伝因子は消滅すれば最後、作れと言われても作れないことを愛好家の皆さんは誰も自覚していないと思います。

ですから龍頭は、肉瘤の一バリエーションであって基本とするものではないことを知っておかなければならないと思います。好みだからと言って龍頭を追えば、逆に龍頭さえ出なくなってフンタンだけ大きな“龍頭モドキ”しか出なくなります。狙って出すというより、出たら儲けもの的な感じで、基本としての獅子頭をはずさないことだと思います。そうしないといずれ頭の質は劣化するのだと思います。

何故ふんぺいがこのように言い切るのかと言えば、宇野系愛好家を隈なく訪問して色々な方からのご教授を受けたからです。決して根拠の無いことを強弁しているわけではないんです。一切自分の都合の良いように、人を利用したり理論をねじまげたりはしてないんです。

らんちゅうらしいらんちゅうとは?という問いをこの冬、じっくりと考えてみてください。

ふんぺいは、一介の愛好家で地位や名誉やお金という利害とは無縁な世界で、純粋に趣味を楽しんでいるんです。だから本当のことを全方向から情報を収集して、そして総合して宇野仁松に肉薄しようと努力しているのです。

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2010年11月12日 (金)

反らんちゅうしか興味のない人~らんちゅう至上主義宣言~

良く言われるんですが、“らんちゅう愛好家はらんちゅうしか好きではない”って。

つまり、金魚愛好家ではないってことです。らんちゅうしか興味が無いから他の金魚については、下手すりゃ蔑んだりするんですよね。厄介なことに品評会に入賞することしか興味のない人もいたりして、本当にらんちゅうが好きなのかどうかさえも怪しい人がいたりなんかもします。

このような方々は、概して多角的に物事を見る目を養っていないので、すごく狭い範囲で判断をしていると思うんです。所詮らんちゅうも金魚の一品種に過ぎないということを見過ごしているんです。金魚の中の一品種として見ることを、これを“相対化”と言います。大きく金魚全体を見渡しながら、らんちゅうを論ずるのが筋というものです。というかそうしないと盲目過ぎるということです。

金魚の生態から、歴史を精査する知識があった上でらんちゅうを位置づけると、今まで見えなかった部分が見えてくるはずです。

要は、らんちゅうしか語らない愛好家は狭いと断言しても言いすぎではないと思います。引き出しが少ないってことです。金魚の生理から到底あり得ないことを、らんちゅうだけ特別視して夢想して吹聴するのは、入門者には害悪であるとまでふんぺいは言い切りたいです。

改良の方向性は、経験と実証を踏まえてはじめて判ること。あまりにも出鱈目な“進化”なんて用語を安易に使用する愛好家は信用できません。金魚の歴史を振り返れば少なくとも“進化”なんてありえないのはすぐに判ることです。たかだか100年から200年で進化などはありえないです。ただの“変移”であり“改良の途上”でしかありえないはずです。

もっと謙虚な姿勢でらんちゅうを楽しむべきではないでしょうか。傲慢にも他の品種よりらんちゅうは格上であるような思いあがりは、“らんちゅう至上主義”の精神には程遠いんです。

金魚の中の一品種としてのらんちゅうを自覚した上での(相対化)、らんちゅうを哲学することこそが“らんちゅう至上主義”を謳えるのではないかと思うのです。そしてそれは宇野仁松の精神にも通じていると確信するのです。

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2010年11月10日 (水)

登山再開

この時期になると途端にすることが少なくなって毎日が物足りなくなって来ます。

朝は寒くて水を触る気が失せますし早起きしてもまだ外は真っ暗。

休みの昼間も池の魚をたまに掬うぐらいで水換えも必要ありません。

なまった体を引き締めるべく山登りを再開です。

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今日は近くの堂山(384M)へ。低山のくせにアップダウンが多くててこずる山なんですが久々に良い汗をかきました。これから週に二日ぐらい行くことにします。

実はこの時期、ほっといても水が出来るのですが、魚を見るのをさぼると、しっぺ返しは春に来ます。冬眠前は魚の調子を崩さないように、十分なケア(水換え)が必要なんです。早めの対処を心がけてください。

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2010年11月 9日 (火)

丸胴が基本

改良の方向性は宇野先生の時代から変わっていません。

胴だけをとらまえてみると

胴は 丸胴 が基本と言えるのではないでしょうか。

頭は獅子頭が基本であるように、胴の形態は丸胴が基本と考えるべきだとふんぺいは考えています。改良の段階で背が高くなったり低くなったりすることはありません。一貫して高い→低いにならなければ改良とは呼べません。

背幅は 細い→太いにならなければ嘘です。一貫して太くならなければならないはずです。改良の正常な方向性とはそういうことだと思います。

戻ろう戻ろうとする遺伝形質を封じ込める、これがらんちゅうの改良のポイントなのではないでしょうか。

上に書いたように“丸胴が基本”という物差しを持っていれば、それよりも進んでいるか戻っているか良く判ることでしょう。

Dsc_1913

さて上記の画像をご覧ください。丸胴とは例を出せば上のような形状ですね。輪切りにすれば真円に近いもの。

さあ、ここで問題です。

【問い】右と左ではどちらが“太い”でしょう??
         ↓
         ↓
         ↓
【答え】どちらも太みは一緒

でした。

言っている意味判ります??右と左とでは直径が違いますよね。右が大きい円を描き左は小さい円を描いています。左の直径を増やしていけば右と同じになりますよね。
要するに“太み”は一緒なんです。

ならば、何故左が細く見えるのでしょう?それは直径に対して体長が長いからです。ただ単に比率の問題だけだったんです。ですから体長が長いからと言っても太みがある個体は太みがあるんです。見るポイントを間違えているだけなんですよ。

どこで胴の太さを見るか?それは首根っこです。この部分の輪切りを頭の中で想像してみてください。それを他の個体と比較する作業の積み重ねが、個体の優劣を判断するポイントだと思うのです。

パっと見、細長く見えても、実は丸太ん棒のように太いらんちゅうを見逃していませんか?

要は縮尺と比率に惑わされたら駄目ってことです。

ここでもう一度、前に戻りますが、丸胴を基本にしていれば、上下に楕円を描けば小判型。二階建てはひょうたん型になるわけです。どちらも丸胴と比較して、上から見れば細いし幅がないのが判ると思うんですね。

丸胴より改良された胴は・・・・・あるんですけどここでは必要ないですね。理想形なだけですから。別に言及しないでおきます。

さあ、アナタのらんちゅうはどうですか?より改良されたらんちゅうか、それとも旧態依然としたらんちゅうか。これから冬に向けて熟考してみてください。

そうそう、これを忘れたら駄目なんですけど、丸胴などの胴の質は、頭の質が前提だと思います。頭の質を維持しながら胴の質を追求するべきとふんぺいは考えます。さらに言えば、逆に頭の質ばっかり追っても意味が無いってことです。胴の質は第二段階なんだと思うんですけどね。これも異論があるんだろうなあ。(笑)

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2010年11月 8日 (月)

吉岡龍次氏の想い出~追悼~

吉岡龍次氏が43歳の若さで逝去されていたことを知りました。

ふと思い出して連絡が無いことに気づき、2009年の3月にお亡くなりになっていたことを知ったのです。随分経っていたんですね。不覚でした。

吉岡氏は、金魚愛好家であり、和金(錦)の普及に熱意を燃やし、そして生業にしていた方なのですが、私はお会いしたことはありませんでした。

『宇野系らんちゅうの魅力』を出版してしばらくして、筆書きの封筒が届いたんです。

便箋には決して達筆とは言えないまでも、拙著を読んで熱い思いに感動したということが切々と書かれていたのを思い出します。そして何度も何度も枕元に置いて読み返してくださっていると書かれていました。大変ありがたい思いと、そこまで惚れ込んで熟読してくださっていることに対して、嬉しいとともに頭が下がる思いだったことを今でも思い出します。

三つ尾の更紗和金に対しては信念を持っておられ、その執拗なまでの思いはブログを和金単独で本が出来るほどの情報量としていました。今も残っているのは彼の遺志からなのでしょうか。
http://blogs.yahoo.co.jp/wakinjou

金魚に対する造詣は金魚全般に渡り、特に大阪らんちゅうに対する思いも強く、彼の幅広いネットワークから、四国の旧家に赴き、未だ誰も見たことのない往時の大阪らんちゅうの写真探索をすることを、私に嬉々として伝えてきてくださりました。「田中さん!写真が見つかったら歴史が変わりますよ!」と携帯の向こうの吉岡氏の興奮ぶりが今でも想像できます。探索に向かわれたのでしょうか。今となっては確認のしようもありません。

『宇野系らんちゅうの魅力』出版から交流が始まった吉岡氏は、従来のハウツーものの書物から逸脱した私の著述を、正当に評価してくださった最も熱き良き理解者だったのだと思います。

金魚に関わる人は見方によれば夭逝する方が多いような気がします。まだまだ活躍して欲しい逸材が失われるのは残念でなりません。

遅ればせながら吉岡氏の心からのご冥福をお祈りいたします。

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2010年11月 2日 (火)

更紗の柄~遊び方~

素赤同志で仔を取っても色々な柄が出ます。

やっぱり更紗の金魚が池に泳いでいると華やぎますよね。

腰白などは普通に出ます。全てが揃っているものは中々出ませんが少なくとも以下の個体なんかは見てて楽しいですよね。

Dsc_1902
二歳

いくら柄が良いからと言っても、尾にキズがあれば会には持っていけません。自分で悦にいるだけのためのらんちゅうになってしまいます。尾にキズがあるからと言って、他に見るべき鑑賞ポイントが沢山ある、こんな個体をハネるのはもったいないですよね。この個体なんかは、二歳になってからメキメキ面白くなってきたんですよ。規格品を再生産しても仕方ないですよね。

残せるスペースがあるのなら出来るだけ残したほうがこんな遊びも可能です。

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2010年11月 1日 (月)

トキンの実際2

もう少しサンプルを提示しながら見ていくことにします。

Dsc_3027
二歳です。普通ならハネている個体です。どこでハネるか。尾ですよね。こんな尾の個体を残すこと自体従来では有り得ないですね。頭と胴の質は非常に良いと思います。頭は頭頂に四角いトキンがすでに出ています。

で、この個体が4歳になると。
Ss2a
まさに丸いおまんじゅうのようなトキンを頭に搭載したらんちゅうの完成です。このような金魚が宇野先生のお宅にも居たそうです。二歳の時点で上記のような個体がこんな個体になると誰が想像できるでしょうか?

画像を、尾から見ないように尾をカットすると尾に気が回らないので、この圧倒的な頭の質と胴の質が見えてくると思います。

ならば何故このような個体を今見ることが出来ないのか?
会魚としての選別が厳しすぎて形質が消失したのだと思うのです。(昭和50年前後、既に宇野先生は色々なところで警鐘を鳴らされていました。)

ほんの20~30年前には、結構種としてこのタイプの個体が居たと聞きます。今このような個体が居ても、昔に戻っていると思うのは早計です。この形質を残しつつ、尾が付けば圧倒的な会魚になるのではないでしょうか。

このような4歳の個体を、先入観を抜きにして、素直に受け止められる感受性が愛好家に求められているのだと思います。

獅子頭らんちゅうとは?の問いは、頭の形質を維持しつつ胴を、そして尾の改良を進めていくのが本当なのでは?とつくづく思う今日この頃です。

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