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2010年10月

2010年10月27日 (水)

粒々のないツルンとした兜巾(トキン)の実際

兜巾(トキン)についても随分論述してきました。

ふんぺいが拘る“トキン”についてピンと来ていない人が大半だと思います。

頭部は・・・・・・

・端正な顔立ちを良しとする。

・メリハリのある肉瘤の膨隆でなければならない。

・トキンが出ることによって立体感が出る。

・派手に出りゃいいってもんじゃない。

・とっちらかした顔では駄目。(ぶつぶつ頭)

・どっかのブログで読んだんですが、まさに“構築的”でなければならない。

等々と言っても現物を見ないと判らないも~ん!と仰るアナタに少しご紹介。

以下は三歳です。

Dsc_1814
トキンがくっきり綺麗に上がっています。トキンは正四角形でまさに獅子頭になりつつあります。背出しもきっちり低いですよね。派手にフンタンが出るか出ないかは、別にオプション的に考えたらよいのではないでしょうか。まずは顔が崩れないことを良しとしたいですね。龍頭に出ると要注意だと思います。前に派手な分、顔が崩れ出してますから。ツルンとしたタイプでは無くなっているはずです。早く気が付いてほしいです。

Dsc_1813
別の個体ですが、ツルンとしたトキンが印象的ですね。

Dsc_1811
上の個体の横から見た画像です。

三歳秋の姿です。まだまだ発展途上でこれからなんですが、宇野先生が目指した頭に、粒々のないビロードのようなツルンとしたおまんじゅうを乗せたタイプとは、こんな個体なんだと思います。意識して残さないとこのタイプは残らないんでしょうね。このタイプを維持している愛好家をすっかり見なくなりました。
ふんぺいは、色々なタイプを残してはじめて改良のスタートラインに立てるのだと思っています。それをこの魚達を見て頂けると理解出来るのでは?と思います。
※『らんちゅうが進化していない理由』の項の桜井副会長の魚と比較してみてください。
http://ranchurongai.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-1cd7.html

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2010年10月23日 (土)

宇野系ではない宇野系らんちゅう

ふんぺいは、色々なタイプを残しています。

例えば、
Dsc_1816
こんな金魚もその一つです。目幅が無くて鱗が大きくて、背幅はないし峰になってるし・・・・って良いとこなしですよね。

で、横見はってーと
Dsc_1818
背の出だしが高くて、二階建てですね、そして腹が垂れています。

これって『宇野系』なんです。正真正銘の宇野系。他の系統を混ぜたらんちゅうじゃないんです。でも、こんな宇野系と到底呼びたくはないらんちゅうも出るんです。

さあ、判りますよね。残す人によって、要は選別によって、その飼育者のベクトルが掛かるとこんな宇野系も残るんです。

だから、ネットオークションなんかで『宇野系』だからって買っちゃ駄目です。はっきり言って宇野系の要素は全然ないですよ、この個体。でも“宇野系”なんですから。

血統ではないことを判ってもらえたかと思います。

さらに
Dsc_1820
こんなのはどうです?
目下の側が張り出していて宇野系の特徴が出てますよね。面更紗だし・・・・
こういうタイプも出るんですよね。
この角度から撮影すると、背幅が無くて背が高いのが丸わかりですよね。でもさっきの個体よりは『宇野系』っぽいですよね。
Dsc_1821
ほら、横にしたら背が高いでしょ?ふんぺいはこの個体も“宇野系”とは呼びたくないです。でも血統は正真正銘の“宇野系”なんです。

因みにこの2尾は同腹です。

要はどう残すかによって方向が変わってくるということです。現物を見れば良く判りますよね。

宇野先生の重視したポイントを熟知していないと“宇野系”とは呼べないんです。いくら血統だからと言っても色々なタイプが出るのが金魚なんです。どう残すかがポイントなのが判ると思います。

だからネットで“宇野系”って銘打っているらんちゅうのほとんどが“宇野系”には程遠いことが判ると思うんです。素人さんを相手にアコギなことは止めて欲しいです。

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コ、コバエが!!

朝から水換えしてたんですけど、この時期だというのに体を動かすと汗ばみます。

そんな気候だからか、、、、、

Dsc_1800

コバエが大発生です!!水面に群れをなしているんですけど、追い払うとモワ~ンと飛び立ってまた水面に。。。。。

Dsc_1801

すごくうざいです。こんなこと初めてです。室外飼育はいろんなことがあります。

どこから湧いたんでしょうねえ。駆除するってコバエホイホイみたいなの買って来て効果あるんでしょうか。無害とは言えど面倒くせー!!

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2010年10月19日 (火)

当歳近況

やっと寒くなってきましたね。

金魚もボリュームが出て一番魚が見えやすい季節です。

この頃耳に入るのに、「ふんぺいはどんな金魚を飼ってるねん!」というお言葉。

「うちは見せる金魚なんかおまへん~」って言いたいんですけど、ふんぺいもいっぱしのらんちゅう飼いなんですし、少し見てもらうとこんな感じです。
当歳で意識的に数を減らして従来の飼い方をした群を見てもらいましょう。この兄弟の尾の付いた個体を持って帰ってもらって、京都のある会に出してもらったら入賞しました。その残りの個体群です。だから尾の付いたのは残ってませんけどね。

Dsc_1799
巾が出ました。側線の上のエクボも埋まって胴は丸胴に見せてます。

こんな感じで3尾はどうですか?
Dsc_1793
やっぱ真ん中が一番良い感じです。背の抑えた感で言えば。当歳のこの時期は尾を除けば胴と、あるもう一つのポイントしか見るところはないです。尾からいけば一番上の個体でしょうね。で実は真ん中は上の画像と一緒の個体です。

それから
Dsc_1792_2
この個体は、峰の線が消えて巾を見せていますよね。頭も既にトキンの形が見えてきてますけど、これはこれからどうなるか判りません。

今このように巾を見せているからと言って二歳、親とどうなるかわからないんです。判っていたらその個体だけ飼やいいんですから。沢山残すのは、細い個体でもいつ巾に来るか判らないですし、そのように宇野系は変化しないと嘘になるんですよね。当歳の一瞬の美しさに目を奪われて親になる資質を見ないと筋はどんどんズレて行くんでしょうね。

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2010年10月17日 (日)

日本愛らん会にて

本日は日本愛らん会の見学。

会報用の撮影を依頼されているので10時過ぎに会場入りしました。

Dsc_1765
参考魚をご紹介。さすが一級品です。That's  Uno line ! いかがですか?

同じく参考魚。
Dsc_1766
昼の陽光に、たわわに実る果実の如く肉瘤が映える。

Dsc_1789
品評会終了後の懇親会にお誘いいただき歓談。
左からにしき氏、犬伏氏、ふんぺい(別名シャープ兄弟A)

懇親会には50有余名の会員さんが参加。和気あいあいとあちこちでらんちゅう談義の花が咲いておりました。熱心な会員さんばかりで、それもこれも魚はもちろんのこと、会長の人柄が人を引きつけているのだと感じさせられました。ありがとうございました。

いつもながらこのブログへの辛口のコメントありがとうございます。これからも宇野系の為に頑張る所存であります!!またお邪魔します。(^_^;)

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2010年10月15日 (金)

獅子頭らんちゅうと普通のらんちゅう

このブログには聞きなれない“獅子頭らんちゅう”なる用語が頻繁に出てくることに入門者の方は戸惑いを感じられるのではないでしょうか。

普通一般に“らんちゅう”としか言わないのに何故?って素朴な疑問をお持ちではありませんか?

ふんぺいは何に拘ってそんな用語を使うのか?そう思われたあなたは、らんちゅうをもっと勉強するべきです。偉そうに言ってすみません。m(_ _)m でも本当なんですよ。勉強って何を?、、、ですよね。(^_^;)

近代らんちゅうの始祖は石川亀吉翁というのはご存知ですか?いわゆる石川宗家が茶の家元みたいにあるわけなんですが、宗家襲名に際しても宇野先生は関係していたみたいですね。
さらに日本らんちゅう協会創設時には、宇野先生の尽力が無かったら別物になっていたかもしれないんですね。協会とは袂を分かった形なんで、ほとんど先生の功績は抹消されています。当時の写真の中央に、先生の姿を見ることが出来るのは何よりも先生がどれだけ協会設立にご尽力されたかの証拠ですね。

話しが脇に反れましたが・・・・ヾ(_ _*)ハンセイ・・・

何故『獅子頭らんちゅう』と言うのか?

古今の呼び名を少し見てみると、

マルコから分かれた“らんちゅう”と総称される品種には二つの種類があったんです。それは、、、、、

関東らんちゅう    と    大阪(関西)らんちゅう    です。

関東らんちゅう大阪(関西)らんちゅうとの違いは、大きくは肉瘤があるかないかです。
明治時代には、関東らんちゅうは『無地魚』と呼ばれ、大阪らんちゅうは『模様魚』として品評会が行われていました。※関西で二部門並立で品評会が催されていました。

主に、姿かたちを楽しむものが関東らんちゅう大阪らんちゅうは色柄を楽しんだと言われています。

要するに、「関東らんちゅう」の関東という地名が冠せられているのは、「大阪らんちゅう」と区別するべく呼称されていたと考えられます。

大阪らんちゅうは、一旦絶滅したので置いといて、今ではらんちゅうと言えば、「関東らんちゅう」であり、またの名を「獅子頭らんちゅう」を言い、さらに「獅子頭」の冠はいつの日か取れてしまって「らんちゅう」とだけ言い習わされてきたんです。

頭に瘤が出る金魚が「獅子頭らんちゅう」で大阪らんちゅうが絶滅した後は、らんちゅうと言えば獅子頭らんちゅうが代名詞となり、“らんちゅう”とだけ呼ばれるようになったんですね。

かくして、私たちが飼育しているらんちゅうは、正式名“獅子頭らんちゅう”なんだということを判っていただけたかと思います。ですから目指すは本当は“獅子頭”になるらんちゅうなんです。

そうやって筋道立てて考えてくると、“獅子頭”になっていないらんちゅうは“らんちゅう”とは言えないのではないか、という素朴な疑問も浮かんできますので、この際しっかりと区別する意味で“普通”または“ただの”のらんちゅうと言うべきではないかと思うんです。ですから単に肉瘤があるだけのらんちゅうは“普通のらんちゅう”と呼んで区別したほうがスッキリします。

獅子頭らんちゅう=らんちゅう

獅子頭ではないらんちゅう≠らんちゅう

獅子頭にならないらんちゅう=普通のらんちゅう or ただのらんちゅう

以上のように整理出来るかと思います。

ということは、私たちが今見るらんちゅうのほとんどは“普通のらんちゅう”だということが判るのではないでしょうか。決して本来の“らんちゅう”とは呼べないとまで言ってしまえるかもしれません。

なんと逆説的なんでしょう。でも本当のことなんです。“らんちゅう”と呼ぶに相応しい“獅子頭らんちゅう”はどれだけ存在するのでしょう。全てのらんちゅうのうち、どれだけのらんちゅうが“獅子頭らんちゅう”かといえば、実は宇野系の一部のらんちゅう以外は、“普通のらんちゅう”に入っちゃうんですね。残念ながら・・・・全ての~系、~筋ってカテゴリー分けすることが無意味なことが判ると思うんですよね。

またまた極論しちゃうと、意識してそのような肉瘤のらんちゅうを残さないと“らんちゅう”と呼ぶには相応しくないということです(※肉瘤が遺伝するという大前提がありますが!)。
嗚呼、着地点がここだとすると、ん~そら恐ろしいほど遠いことが理解できますよね。今まで慣れ親しんだ考え方が、根本から問い直されていることが判りませんか?

極論と書きましたが、これまでの歴史的事実を顧みた場合、そのような結論に達するのはあまりにも自然なんですけど、恐らく認めたくない愛好家もいらっしゃるのでしょうね。そのような方は、それで良いと思います。趣味なんですから、何ら考え方や生き方を否定しているわけではないので目くじら立てないでくださいね。

まず地図を作らないといけないんです。自分の立ち位置がどこなのか?辺鄙な田舎なのか街のど真ん中に居るのか?それが歴史であり、未来の方向を見通す力になるんだと思うんです。

あなたの“らんちゅう”“らんちゅう”ですか?それとも“普通のらんちゅう”ですか?

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2010年10月12日 (火)

日本らんちゅう愛好会品評会にて

10月10日に天王寺公園にて「日本らんちゅう愛好会」の品評会がありました。

本年は手ぶらで、専ら一年に一回お会いする人達との会場でのお話のために参加です。ほんと七夕みたいですね!その他知人も多数来ていたので話し込んでばっかりで、魚をおちおち見ていないんですよね。

で本年は知り合いの魚のご紹介にとどめます。

Dsc_1698
二歳魚で、このブログでもコメントを入れて頂いているにしきさんの持魚です。

頭の目下からの張り出しが前に向けて派手ですね!以前親で優等を獲った魚を彷彿させますね。

そして
和歌山のYさんの入賞魚
Dsc_1700_2
和歌山では優等だったそうですが、こちらは少し順位が下でした。このあたりは審査員のさじ加減なんでしょうね。順位を下げたからと言っても良魚には変わりありません。

Dsc_1701
こちらも二歳です。ある会のY先生の仔だそうです。なるほど面影がありますね!
種としての資質が判ると思うんですよね。

みなさん、また来年会いましょう!! ってまた他の品評会で顔を合わす人は今度は勇気を出して声を掛けてくださいね。

来週は日本愛らん会のカメラ係を仰せつかっているので見かけたらどうぞ~

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2010年10月 9日 (土)

用語の混乱を超えて~“宇野系”にまつわる用語の変遷~

もう今年も最終コーナーを回った感じで、落ち着いてブログ更新する時間が取れるようになりましたので、少し頻繁に更新をしていこうと思っています。

入門者をまず最初に混乱に陥れることは用語の乱立です。何故こんなに乱立しているのかは少し歴史的に順を追ってみてみないと判らないことだと思います。整理する意味で少しお付き合いください。

宇野先生がご存命時は、『宇野系らんちゅう』という言葉は使用されていませんでした。

先生はもっぱら“『京都式』らんちゅう”という用語を提唱されていました。つまり京都の風土から生まれた、らんちゅうの飼育方法と鑑賞方法を、総じてそのように呼んだんですね。

考えてみてください、自分から「宇野系らんちゅう」なんて言いませんよね。この言葉は先生が亡くなってから、一部の先生を慕う愛好家が、先生の業績を後世に遺すために、尊敬の念を込めて言いだした言葉だと思います。

最晩年において『宇野らんちゅう保存会※』という名称を聞くことが出来ますので、一概に、名前を冠することが憚られたとも言えないようです。
「京都らんちゅうの会」の発足当初はこのような名前だったそうです。

晩年は個人崇拝を嫌う一部の京都金鱗会の有力幹部から、不当にも個人名を名乗ることに対するクレームがあったようにも聞いています。要するに宇野氏は晩年軽視されるようになったんですね。これは忘れてはならない重要なことなんです。

「宇野系らんちゅう」を世に知らしめた方はどなたかというと、日本らんちゅう愛好会の寺崎氏だと思います。会報にも名称にもサブタイトル様に「宇野系らんちゅう」と明記されています。同じく「宇野系らんちゅう」と明記されているのは犬伏氏が率いる「日本愛らん会」が代表されるでしょう。

もう一つ触れておかなければならない用語があります。それは『京都筋』という用語です。

これはフィッシュマガジン誌上で石川更紗らんちゅう愛好会の井上外喜夫氏が提唱した用語です。井上氏が昭和50年代に『京都筋らんちゅう飼育考等の一連の寄稿文で『京都筋』なる造語にて詳細に紹介されて鑑賞魚界で宇野仁松の名前を知らないものが居ないという風潮を作り出したのでした。※平成1年(1989年)より順次掲載

良く「宇野系京都筋ってどう違うんですか?」と質問されます。

私は、そのたびに「どっちも一緒ですよ。呼び方の違いだけです。」と申し上げています。それぞれ個人のらんちゅうに対する考え方の違いなどでその後の呼び名が変わっただけで、あとはどれだけ宇野先生が目指したらんちゅうに近いか遠いかの違いだけだと思います。

要は血筋だけでは駄目なんです。金魚なんて変幻自在な形態が出るのだから、どれだけ宇野仁松を理解して魚を残すかを考えないと、DNAは消失するということです。

やんごとなき血筋だからと言ったって、血統書も何もないんです。もうすでに掛け合わせをいくらやっても目的の個体が出ないなら、やんごとなき血筋の遺伝因子は無くなったと考えてよいでしょう。ましてや固定種じゃないんだから形質は絶えず揺れ動いているんです。タイトロープな品種なんです。綱渡りなんですよ。慎重に綱を踏みしめないと、いつ奈落に落ちるかわからないってことなんでしょうね。奈落って鮒に戻るってことなんですよね。

宇野系らんちゅうも、もともとは関東らんちゅうまたは獅子頭らんちゅうだったんです。それを京都に持ち帰って普及させたのが宇野仁松だったと思ってください。

日本らんちゅう協会を脱退したのは昭和55年、御歳79歳の時なんですね。つまりこの年まで協会系と宇野系というカテゴリー分けは無かったんです。たったの30年前です。

宇野系らんちゅう
宇野らんちゅう
京都らんちゅう
京都系らんちゅう
京都筋らんちゅう
京都式らんちゅう

これだけ宇野仁松翁のらんちゅうには別名があるんですね。私はそのような愛好家それぞれの思いや思惑からニュートラルな立場で、仁松翁を再考するために、新たな用語を提唱しています。

全てひっくるめて

宇野式らんちゅう って(*゚ー゚*)

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2010年10月 7日 (木)

雑感

こんばんは。

9月10月は、らんちゅう飼いも気分が高揚するのでしょうね。

拙ブログのアクセス数が先日などは1000を超えました。

9月ぐらいからは毎日500以上のアクセスしていただいています。

ご贔屓にありがとうございます。

入門者の方は書き込み辛いかもしれませんが、内容が内容だけに、それでも基本的な部分など判らないことはそのままにしないで是非質問してください。恥ずかしくないですよ。多分、多くのベテラン愛好家さんも質問したくても出来ずにいるようなことを一杯書いているはずですから。

勇気を出してコメントお願いいたします。

一人で悶々とするより仲間と情報交換をしながら趣味を楽しむほうが良いです。おちおち趣味も出来ない世の中になってきていますが、浮世を忘れて打ち込むことがある人のほうが精神衛生上きっと良いはずです。

ふんぺいはそう思っています。

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2010年10月 6日 (水)

鱗並み(コケなみ)のお話

前々から気付いていたんですが、鱗の質や形状に関して明らかに違いがある個体がいるんですね。このことに気が付いているのは北陸の愛好家だけです。

鑑賞魚である以上、身に纏っている鎧のような鱗の形状は、魚の見え方に多大な影響を与えているはずで、そのことに気が付かないのは愛好家としては魚を見ていないにも等しいと思うのです。

宇野系は鱗並みが良いと一般に言われていても、実質何となく印象だけで言われてきたことで、実際の鱗を比較対照したわけでもなく、従って鱗並びの分析は誰もしていません。誰もしないんだったら、しなきゃしょうがないんでしますけど、さも自分が提唱したみたいに言う愛好家が居ますけど、そんな受け売りはみっともないので止めてくださいね。
堂々と『あいつはあー言ってるが、わしゃこーだと思う。』とご自分の意見を足せば済むことです。

それでは、鱗のタイプについて少しお話したいと思います。

下の画像をご覧ください。何か気が付きませんか?

Dsc_1681
上の画像の拡大画像
Photo 

吉田さんが指摘されているのはこの鱗のことと思いますが、人によって表現方法が違うのですが「ぶつぶつ」に見えるとか「立体的」に見える鱗だと思います。このような鱗を北陸の愛好家は“玉鱗(たまうろこ)”と言って区別しています。明らかに普通の鱗と違う見え方をしているのが判りませんか?

もう少し詳しく見ていきましょう。

扇型の鱗
Dsc_1683

上の画像とともに拡大画像もご覧ください。この面被りの鱗の形状は扇型なんですね。普通に見かける形状をしています。代表的な鱗形状です。
2_3

で、上の画像を図式化して見やすくしたのが下図です。

鱗図
Photo_3

左が頭方向。右手が尾方向となっていて半円状の鱗が左部分が皮膚に突き刺さったように半ば重なりながら並んでいるわけです。

普通の金魚はこのような扇型の形状を見せながら体を覆っているわけなんですね。ですから鱗並びが良いというのは、この一枚一枚の鱗の大きさが均一で、なおかつ整然と並んでいる時に美しさを感じるわけです。

急激に過大な負荷を掛けて大きくすると、皮膚の成長と鱗の成長が追いつかなくなって、鱗が不揃いになって汚く見えるわけですね。

さて、最初の“玉鱗”に戻ると、一枚一枚の見え方が扇型ではないことに気が付くと思います。おしなべて六角形に見えるんですよね。それも扇型だと上下方向に幅がありますが、玉鱗は正六角形に近いんですね。明らかに比較すると「なんだ??この違いは。」となり訳は判らないけど「違う。」となるわけですね、普通の愛好家は。

良く見ると皮膚から一枚一枚浮いているようにも見えます。そして六角形を貼り合わせたような見え方になっています。立体的に見える原因は、鱗の表面に浮き出たカルシウム状の物質だと判ります。恐らく鱗の成分が表面から溶出して来ていると推測されます(鱗の成分はカルシウム)。※このカルシウム成分がサビに見える原因の一つのようです。

この玉鱗が他の金魚と違うように見えるのが判ってもらえたかと思います。確かにこれで胴体の見え方に影響が出るのは良く理解出来るのですが、だからと言って何か傾向があるかというと、あまり法則性は感じられません。

何かの指標となるかと言えば、概して体色の薄いタイプに多く見受けられると言うぐらいで、あえて法則性云々は個人の感覚だけになるのではないかと、ふんぺいは思っています。

ま、色々と表情を見せるらんちゅうですが、このような鱗のタイプも残していければいけないな?と思います。

いかがでしょうか。

 

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2010年10月 5日 (火)

“宇野系らんちゅう度(仮)”という基準を考えると

語弊を恐れずにさらに続けよう。

尾で選別する癖を付けると、胴や頭部の質を見ないようになる。

いくら頭や胴の質が良くても、尾の先がまくれているだけで思考停止する、これでは次の世代の仔は親よりも良くなる確率を、自分からみすみす放棄しているようなものだ。

真のブリーダー(プロもアマチュアも)は言葉にして言わないが、気付いているはず。

以前、こんなことがあった。

ベテランの愛好家に、頭と胴の質が図抜けていて、それでいて尾にキズがある個体を見てもらった。頭は、端正な獅子頭に出来ていて、胴は良く抑えられ低く巾を見せる胴であった。

それを見てその方は、
「尾がまくれているね。」・・・で?・・・・。

????それで終わり?

私の欲しかった答えは、
「尾にはキズがあるけど、頭と胴は良いね。」だ。

要するに、多くの愛好家が尾を見て思考停止しているのだ。見る順番が違うのだ。

尾→全体のバランス→ちょっと胴→ちょっと頭

だから尾を見てキズがあったら、それ以上は見えなくなっているということだ。いくら頭や胴が良くても、もう見えないのだ。

本当は、らんちゅうを見る順序は、

頭→胴→尾 そして全体だ。それを実践してはじめてらんちゅうが見えてくる。

目幅より胴幅があるらんちゅうなど改良されていない証拠。それが見抜けないのは尾だけを見ているから。但し、頭だけ見て胴の質を見なければこれもまた一緒。

大きく見て宇野系らんちゅうが宇野系らんちゅうとして存在している理由。これを突き詰めれば見えてくるはず。

消去法で考えてみる。

宇野系は

色柄が優れて美しい

→協会系でも良く見かける
=宇野系の専売特許ではない

鱗並びが良い

→小振りな個体は概して良い
=宇野系だけの特徴ではない

尾が良い

→協会系には客観的に劣る(好みの問題で片付けられるか?)
=尾の柔かい味は否定しないがそれが 宇野系だけの特徴とは言い難い

胴の質が良い

→この部分はあまり触れる宇野系愛好家を知らない
=いくら骨格が良く胴の形質を保持してもそれだけでは宇野系特徴とは言い難い一般らんちゅう でも餌で作った胴を見ることができる(餌で作ることも可能)

味がある

 →“味”の定義が用語として確立されているとは言い難い尾味については以前にも書いたのでここではそちらを参照

頭が良い

→頭の形質が保存されている(顔がある)
=普通のらんちゅうでは頭の先端に豆粒が出るか出ないかの差でしかない。 立体的なメリハリのある肉瘤は宇野系しか遺伝的形質を保存維持していない(餌で作れない)  ※この部分は前項で詳述しました。

ふんぺいが考えるに、この一つでも欠けると、それは宇野系(京都系)とは言えない。または、全てが相まって初めて宇野系または京都系らんちゅうと言えるはず。さらに極論すれば、普通のらんちゅうと区別できる唯一の特徴は、『頭の質』の維持である。または頭の形質の純度である。頭を疎かにしては宇野系らんちゅうとは言い難いことが判るだろう。

こうやって突き詰めて考えると、宇野系の残された道は何か?ということが判ってくる。

そう!普通のらんちゅうと最も違うものとは、頭の質を追求することだと答えが導き出されるのが理解できないだろうか。無論、その他の項目も、高度なレベルで追求しつつであるのは当然だ。

前項でも書いたとおり、“頭は餌で作るもの”という考えでいる限りにおいては、宇野系らんちゅう、または京都系らんちゅうから程遠くなると結論付けられはしないか。

極論すれば、顔がないらんちゅうは、いくら尾が良くても、いくら胴の質が良くても宇野系らんちゅう(京都系らんちゅう)とは言い難いという結論が導き出されるのではないか。

そうやって考えてくると、頭の形質が保存されている度合いで“宇野系らんちゅう度”が計れるのではないかとふんぺいは考える。
但し何度もお断りしておくが、頭ばかりではなく胴の質も忘れてはならない。頭を残しつつ胴の改良を推し進めるべきだ。

“獅子頭らんちゅう”を見る時は、まず『頭ありき』だということを誰もが忘れている。

この考えで推し進めると、選別方法はこうなる。

頭の良くないものをハネる。(顔のないもの)
      ↓
その中で胴の良くないものをハネる。
      ↓
残ったものの中で尾の良くないものをハネる。

となるはずだ。
もうお判りだろう。頭でハネるとなると、出来るだけ多くの個体を、頭の出来あがる親まで(最低3年)は持っていなければならないということだ(全てが頭が良くなるわけではないから)。親は判別可能な大きさ以上にする必要はないし、密飼いになるので物理的に大きくはならないだろう。

この時はじめて、良質な『種魚』が出現することになる。種魚という魚としての品質の向上の上に、会用のらんちゅうは高品質で輩出されるべきなのだ。

その種魚を作る作業をしていた先駆者は誰か。

言うまでもない宇野仁松だったのだ。小さい当歳の意味はそういうことだったのだ。当時、それを理解出来た人は居たであろうか。ほんの一握りの若い愛好家だけが、理解できたことだったのだろう。現在も宇野系愛好家が当歳を数多く飼育するその方法の源流は、ここに端を発すると言える。

そして現在はどうか。。。。多分そのようなことを考えている人は、一人もいないのかもしれない。今一度『種魚』の意味を問い直さないといけない。

宇野仁松はまだまだ遠い。

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2010年10月 4日 (月)

おめでとう!F氏

鶴来の会の速報が入りました。

名前出しちゃってもいいんでしょうけど見事なんで紹介しちゃいます。

Photo_2

いや~近年まれに見る良魚ですね!「二歳魚会長賞」だそうです。

頭のメリハリといい、胴の質も一級品。尾もちゃんと付いています。これが二歳??って感じですよね。事前に見せてもらっていたんですが、かなり良い線行くでしょうって言ってたんですがやっぱり評価されたんですね。良かった良かった。

四角いトキンがどこまで大きくなるのでしょうね。今から楽しみですね。いずれにしても種をしっかり守られた成果なんだと思うんですよね。面影としてK氏の魚にも似ていますね。同腹の兄弟も良いのが出てるんですよね。

会用の魚のレベルがこれぐらい高いと、種がどれほどか窺い知れますね。

このレベルの魚はほんと見ないですよ。

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“選別”のコペルニクス的転回

会で遊ぶ用の稚魚を早い時点で抜けばいいんです。それを会用に育成します。

要するに、左右のバランス良く申し分のない尾の個体は、出陳魚として育てるのです。

一腹1000尾が生まれたとして、キズの無い尾の個体はせいぜい50尾に満たないでしょう。ならば早期に会用の個体として選抜すれば良いのです。

今までは50尾だけ残してあとの950尾はハネて捨てていたはずです。

確率論で考えてみましょう。

頭の良い個体は、全体の10パーセントとします。

会用50尾の中には、頭の良い個体が残る率は、運が良くても僅か5尾に満たないということですね。5尾にしても遺伝しないキズ、つまり会用としては我慢できないキズが必ずあるものですから、その5尾も残らないことが多々ありますよね。たまたま残ったとしても頭の重要性を軽視していたらそれを種として使わないでしょう。だから形質は残らないと言えるのです。

50尾→5尾 限りなくゼロに近づく 遺伝形質は残らない

残った950尾の中には95尾、頭の良好な個体が残るはずです。その95尾を如何にして残していくか。

950尾→95尾 どうやってその形質を残していくかが課題になる

普通の愛好家は形質が消失していっていることに気が付かないのです(50尾→5尾)。幸運にも現在もその形質が残っていたとしたら、その愛好家は、普通の愛好家と違う考えのもとに選抜をしていたはずです。

ある愛好家は、会用と“趣味の金魚”という言い方で種を意識しておられます。常々“趣味の金魚”を作らないと駄目だと仰っています。その趣味の金魚とは、人と違う金魚であり、キズがあってもそれ以上に良い金魚なんですね。

そのような考え方があったればこそ、かろうじて形質が維持できたのでしょうね。

話しを戻します。

95尾を残すためにはどうするかですね。

今まで以上に育成するための場所が必要になってくるんですね。それを一人でやろうとした場合は、限界がありますが、少なくとも20面の水槽が必要になってきます。個人で5面ほどの水槽で管理していくのでは残らないのです。お判りですか?それほど大変な作業のはずなんです。冷静に考えれば考えるほど判ることです。

容易く『改良』などと言う愛好家が多いですが、果たして面数を確保出来ているでしょうか。20面の池があったとしてもせいぜい『保存・維持』が出来るぐらいだと思うのです。

ふんぺいは今、限界を感じています。

それこそ『改良』などは並大抵では出来ないんです。簡単に『進化』とか『改良』という言葉を発する愛好家が、どこまでらんちゅうを知っているか、見極めなければいけないと思うのです。

さて志がある愛好家はどうするか・・・・池数を増やさないと無理なんですよね。自分一人ではできないということです。個人でやっている方も、本当にらんちゅうが好きな人は、同志を探すべきです。それが既存の愛好会なのか、まだ表には出ていない新たな仲間なのか・・・もう少し様子を見た方が良いかもしれませんよ。

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