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2010年9月

2010年9月29日 (水)

アメショーからの伝言

NHKが放送している『いのちドラマチック』は、示唆に富むことが多いです。毎回楽しみにしています。遺伝学のいろはや、分子生物学の初歩の手ほどきを、具体的事例で教えてくれます。

以前、猫のアメリカンショートヘアーについての放送でも大変勉強になりました。

アメショーってあのグレーの縞縞模様(シルバークラシックタビー)だけかと思ったら、随分と種類があるんですね。その模様の遺伝的な組み合わせも解明されていているんですね。

金魚の模様に応用できるのかなと思いながら見ていましたけど、ちょっと違うようでした。

アメショーも人の好みでどんどん寡占化してしまって、一番人気のシルバークラシックタビーばかりが持て囃されているようです。らんちゅうではどうかな?なんて考えちゃいますね。

放送の中で、シェーデッドって柄でしたかね、薄い品のあるグレー一色のタイプで今では飼育する愛猫家が居なくなった柄があるそうです。

その柄を絶やすまいと保存維持をしている愛猫家がいるのですが、如何せん飼育する愛猫家が少ないと近親交配などで弊害が出る。なのでメンデルの法則の実践の如く、違う柄の猫を使って繁殖の中で出てくるのを苦労して残しているそうです。

ふんぺいは、シルバークラシックタビーを更紗、シェーデッドを薄い色の黄金色のらんちゅうに重ね合わせて考えてしまいます。

または、大阪らんちゅうの境遇と類似していませんか。愛好家が居なくなれば絶えてしまうということ。要するに愛好家に依存しているわけですが、居なくなったとしても誰も困るわけではない。ただただ、それを愛する人間が残るのみってことなんですよね。

福岡氏も仰っていましたが、「絶えたものは二度と同じものは出来ない。」と。そうなんです。だから愛する者は残そうと努力するわけです。この言葉から復元というものの難しさも痛感させられました。

そりゃ、恐竜なんかでも、二度とこの世に生れないその一回性というものが、進化なんだとつくづく思うわけです。

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2010年9月28日 (火)

肉瘤は作るものか?

『肉瘤は作るもの』

肉瘤の出ていないもの(あまり出てないもの)同志を掛け合わせても、後天的なものだから、飼育方法と餌で肉瘤はなんとでもなる、というのが従来流布している考え方だ。(これは宇野系、協会系を問わず)

果たしてそうか??

以下は語弊を恐れずに論述してみたい。

慎重に肉瘤の形質を吟味しているからこそ、以下のような個体が残るのではないか?
普通のらんちゅうなら、どうあがいても、どのような魔法の餌があったとしてもこのような肉瘤は出来ない。因みにこの個体はマス餌のみの給餌である。
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つまり、肉瘤の形状は遺伝する!ということだ。※『金魚三昧創刊号』の『肉瘤考』でさんざん書いてますが。豊富な画像はそちらを参照してください。

魚は、もともと持っていたポテンシャル(潜在能力)を出すだけ。
飼育者はその魚の持っているポテンシャルを引き出してあげるだけ。
そのコツとは、『健康に飼う』ということだけ。

ここで問題になるのは、ポテンシャルを引き出せるか引き出せないかだ。

飼育方法が適切ではなかったら(健康に飼えなかったら)、持って生まれた形質は素直に発現しないだろう。それを愛好家は“イジケル”という。

発育不良である“イジケル”ことが種親としての見極めを困難にすることを、どれほどの愛好家が意識していることだろう。健康に飼育しなければ骨格も発育不良になる。

①飼育者が健康に飼育出来なくてポテンシャルが発揮できない個体。
②飼育者の技術に問題が無くても、もともとポテンシャルが無かった個体。

この判別が難しい。真逆なのだが個体としては同じように見える。これが一番厄介だ。潜在的に因子を持っていたとしても、それに気がつかなければ、いずれその因子は消失するだろう。今まで飼育者が意識して残してきたものなのだから、意識しなくなれば無くなるのは当然の帰結といえる。

1.肉瘤に無頓着か、または飼育が下手でポテンシャルを引き出せないと形質の有無が判らなくなる。

2.何世代も続けると顔が崩れる、画一的なありふれた肉瘤になってしまう。

3.肉瘤が消失する。

このような段階を踏んで肉瘤は崩れて無くなってしまう。

それはそうと、目安であるトキンが出るか出ないかで頭部の表情は劇的に変化する。トキンが萎むと要注意→単なる龍頭になってしまう(龍頭は枝葉と考えた方がよい)。これはベテラン愛好家の方でもあまり意識されていないようである。

頭が四角くなると肉瘤が上がったと勘違いする愛好家がいるが、それは前方の隅にフンタンが乗っただけで、頭部全体としては肉がうっすらと付着したにとどまっている。

宇野系や京都系(呼び方はさまざまだが)らんちゅうを愛好するものは、頭にこだわりを持たないと嘘になる。なぜなら宇野先生がこだわっていたから。宇野先生はなぜこだわったかを考えてほしい。おのずと答えは出てくる。

上にも書いたが、“肉瘤は作るもの”と認識している愛好家が大半なのが現状だ。(それは宇野系、協会系問わず)

確かにある程度は飼育方法(餌などで)で改善するようだ。アカムシを大量に与えるなど。しかしそれは限度がある。フンタンを出したりする程度。プラスアルファ程度のこと。根本的な改善にはなっていない。

親魚で形質が発現していない個体を種親に使用し続ける。※飼育方法が下手なのは論外
                ↓
形質を持っていない仔が輩出される、その危険性を認識しているブリーダーがいるのか?このことが形質が消失する主因だ。

らんちゅうはパンドラの箱。何が出るか判らない。出てきた(生まれてきた)ものをどう残すか、または見極めるかのはず。

隔世遺伝するなどと考えるのはあまりにも不確実過ぎる。系統を追っている愛好家としてはそんな冒険はできない。場所もないし、それだけ辛抱して飼育を継続するのは不可能に近い。だから採った仔に肉瘤が出てこないのなら一大事だ。F3で隔世遺伝(劣性遺伝)として発現しなければ、もうかなり鮒に戻っていることになる。この後戻りを挽回するのには5年から10年かかることになる。

つまり、次世代で、その遺伝形質が残っていると考えたとしても、掛け合わせで、多くても継承される遺伝子の50パーセントに満たないその遺伝形質は、見落とされるのが関の山だ。仮に親の遺伝子を二分の一持っていたとしても、飼育者の選別(尾による選別)という理不尽な振り落としによって、パーセントは微々たるものになっているはずだ。だから形質が残らない可能性が高いと言っているのだ。

らんちゅうほど『純系』などという個体を分離できない生物はない。だからこそ形質が発現している個体から仔を取るのがセオリーなのだ。らんちゅうでは『純』とか『純系』などはあり得ないのだ。(仮にそのようなことを言う愛好家があったとすれば、言葉の響きを採用しただけで、遺伝学を勉強していないか何かの間違いだろう。)

だから
1.胴の質が残っても頭の質が劣化したら意味がない。(獅子頭らんちゅうとは言えないのでは?)
2.尾の張りだけが良くても、頭の質が劣化したら意味がない。(獅子頭らんちゅうとは言えないのでは?)

1と2を追求しても、肉瘤が無かったら頂点眼でも水泡眼でも良いことになる。程度の問題だと言う議論があっても、獅子頭らんちゅうであるなら、獅子頭らんちゅうらしさを追求するべきなのは理の当然ではなかろうか。

頂点眼なら、出目の眼球が、より天を向いているものを、水泡眼なら、目下にたゆとう袋をより大きくて優雅にぶらさげているものを追求すれば良い話しと同等だろう。

肉瘤の遺伝性を、今一度愛好家諸兄においては見直してほしい。そうで無かったら獅子頭らんちゅう自体が絶滅してしまう。

獅子頭原理主義に戻ろう。

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2010年9月20日 (月)

らんちゅうが進化していない理由

桜井良平氏の著書『金魚の飼い方入門』は、京都にお住まいである地の利を活かして、関西の当時の写真がふんだんに使用されています。
Img 『金魚の飼い方入門』昭和54年発行(1979) 金園社

貴重な当時の“京都らんちゅう”が収録されていますので少しご紹介します。(※桜井氏より画像掲載の了承を頂いています)撮影時は恐らく70年代ですので、京都金鱗会は日本らんちゅう協会から脱退していない時です。当時はもちろん宇野先生ご存命で、“宇野らんちゅう”やら“宇野系らんちゅう”という言葉はありませんでした。“京都らんちゅう”、“京都式らんちゅう”、あるいは単に“京都の魚”と言われていました。

更紗らんちゅう
Img_0001
すでにこのような個体が居たんですね。腰白でメリハリの効いた頭が見てとれます。上に掲載した個体のカラー画像が以下と思われます。

桜井副会長の魚
Img_0003
写真のキャプションには「体形は小判型で尾は小振り。体色は黄金に輝き頭部は太神楽の獅子舞の獅子にそっくりである。」とある


鮮明なカラー画像で、これだけの個体が収録されているのに驚かされるのですが、これほどの個体を現在、見ることが出来るでしょうか。頭の形質に加え、当時としては異例なほど背が抑えられている2尾は、恐らく桜井副会長ご自慢の、最新鋭のらんちゅうだったのだと思います。無論、この個体は宇野先生のらんちゅうだったに違いありません。

本書には、『ランチュウ今昔』と銘打って宇野先生が一文を寄せています。

昔は、トキンという金魚があった、はじめに述べた「天授」「籠釣瓶」などはトキンの面影を残す魚であった。この型の魚は晩成で、頭も幅もなかなかでてこないが、三、四歳になると、美しいビロードのような粒々のないおまんじゅうを頭の頂にのせて、ハナヒゲもふさふさと大きく立派になる。体形も胴長で、背下りも深く、長持ちにはもってこいの型である。

宇野先生が理想とするらんちゅうが、上記の写真の個体であったことが、この一文で理解できることでしょう。さらに、

これからは近代型のランチュウの長持ちをはかることに目標をおいて、親魚を大切にするとともに、魚の選び方、育て方についても、考えていくのが正しいあり方であろう。

宇野系らんちゅうの遊び方の大本は、このお言葉に全てが表現されています。まさに『京都式』または『宇野式』らんちゅうとはそういうことなのだと思うのです。

なにはともあれ、親魚を楽しみながら、五歳、六歳とよくなった金魚の子をとり、また、その子魚を七歳、八歳と楽しむというのが、本当の愛好者である。

真の愛好者とは?という問いには、先生は以上のように言いきっていらっしゃるのです。

今では、ご紹介したような個体を見ることがあるでしょうか?少なくとも、宇野先生が求めたらんちゅうの一つに、『美しいビロードのような粒々のないおまんじゅうを頭の頂にのせ』たらんちゅうが居たはずなんですが、我々はほとんど見かけることが無くなってしまいました。

そのような形質を保存維持しつつ、その他の部分を改良してきたのなら「進化」と言えるのでしょうが、その形質が消失してしまったとしたならば、それは「劣化」または「退化」と呼ばざるをえないように思うのです。

ふんぺいが思い描く“らんちゅうの理想”を少し書いてみました。果たしてどれほどの方が共感してくださるでしょうか。少なくとも、宇野先生から続く、正統な“断絶無き継承”をふんぺいは望んでいるのです。ですから、正しい宇野仁松像の構築と、これまでの歴史を再考することに拘っているのは、そういう理由からなんです。    

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2010年9月18日 (土)

らんちゅうのアハ!体験

長年らんちゅう飼育をやっていて結構気がつかないことが多いですね。

人間というのは、少しずつ、徐々に変化するものに弱いようです。アハ!ムービーってご存知ですか?

茂木健一郎氏が提唱する脳活性の為のツールですね。
http://www.sony.jp/ahap/ahamovie/index.html

これは脳の特性を利用したものなんですが、ふんぺいは逆に脳の癖を良く表わしている例だと思います。

周辺視野の少し動いただけでも認識できる鋭敏なセンサーのような目と脳。これは太古の昔にサバイバルの為に必要だった能力なんでしょう、それが現在も遺伝継承されているものです。

しかし、少しづつ変化するものに関しては、ことのほか鈍感なのはそのような現象の認識は生きるために差し迫って必要なかったのでしょうね。

このような脳の癖を知っておくことは大切なんだと思うんです。

これもまたらんちゅう飼育に応用出来るのだと思うんです。

つまり、らんちゅうの遅々とした変化には飼育者は気がつかないということです。
また、質が毎年少しづつ劣化していたとしても気が付きにくいっていうことです。何年も前の写真を見て、その時初めて気がつくということが起こるのではないでしょうか。

この脳の癖を知っていて、意識的にその変化を自覚すること、これが一歩先に進む力になるのだと思うのです。

今、昔のらんちゅうの写真を見て、アハ!(@茂木健一郎)って気がつくことがありませんか?らんちゅうは決して進化なんかしてませんよ。

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2010年9月15日 (水)

メガテン君通信ハイパー3

朝晩やっと涼しくなってきました。いや~ほんと今年は夏の間トラブルが多発しました。

エアレーションはずれたり、異常水温と餌のやりすぎで夕方何匹も転覆していたり・・・・

これから1週間ごとに金魚が出来上がってくるのが判ると思います。水換えが楽しみですね。

さてメガテン君のご様子は、というと
Dsc_1621
上の魚ですが、あんまり変わってません。(^_^;) むしろ同腹の兄弟がどんどん良くなっている感じです。

Dsc_1622
上の画像は同腹の個体ですが、タイプが違いますね。右が更紗中間色。左は濃い紅に出た更紗です。どちらが良いという判定は価値観の問題で、それよりも同腹で多様な個体が出てくることを、どのように受け止めるかが大切じゃないかと思うんですよね。

ふんぺいは、同じような個体ばかりが残るのは、らんちゅうが袋小路に入っているように思います。つまりそれ以上先に進まない。突然変異個体が出る隙間が無くなっているんじゃないかと思うんです。

らんちゅうは砂場で砂金を探すこと

ある方の言葉です。深いなあ~

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2010年9月12日 (日)

グロテスクを考える

一般人にとって崩れた肉瘤は、“気持ち悪い”という感覚で表現されることが多い。しかし肉瘤の出方の純度を高めていくと、肉瘤に美しさが見出せるようになるとふんぺいは考えている。それが宇野先生の『可愛い』という感覚に通じているのではないかと考える。
Dsc_1610
この頭を可愛いとは言わない。むしろ「気持ち悪い」だろう。

“女、子供のほうが魚を判っている。=可愛いものが良い。”と仰ったのは、それは宇野先生の、当時の風潮に対するアンチテーゼだったと考えられる。

当時、魚がどんどん大きくなり、頭の質が落ち、京都式らんちゅうの良さを備えない個体が増えたことに対する警鐘と受け止めるべきだ。

泳ぎや尾という鑑賞基準は、女性や子供には判らない(※あくまでも当時の方の言い回しです。女性を侮蔑する意味は一切ありません。素人という意味)つまりそんな玄人受けすることよりも、もっと大事なものがあるだろうと、先生は仰っているように思う。尾まくれを数ある金魚の中から優等にあげるということをされたお方である。先生の鑑賞基準には、厳然として質を見抜く目があったことを如実に表している逸話であろう。

つまり、鑑賞基準の上位に位置するべきものは、フォルムであり色であると受け取った方がよりしっくりくる。だから、宇野先生は、極論として、らんちゅうを当時の主流であった大味で長手の魚から、三頭身に改良すべきとまで仰っているのだ。(※三頭身は、漫画のキャラクターを見れば判るように、人は『可愛い』と感じる)但し、現在においては、それを金科玉条の如く、宇野系らんちゅうの進むべき方向であるというのはどうかとは思う。

この頃良く聞く言葉に『ブサ可愛い』がある。“不細工(ブサイク)”と“可愛い”を一つの言葉にした造語だ。愛らしくてちょっと不細工。例を言えばブルドッグのような姿態。この言葉はらんちゅうにも通じる言葉と感じる。
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丸いトキンの乗った個体。端正な『顔』を表現している

しかし、ブサ可愛いとグロテスクは違う。

グロテスク=不体裁・醜怪・醜悪・不格好。要は不快感を表現する言葉。

こう考えると判りやすい。
グロテスクとは、“内臓感(@ふんぺい)”だ。生物の内臓を見るような嫌悪感を言う。その嫌悪感はどこから来ているかというと、太古、人に危害を加える生物である爬虫類や軟体動物や虫を想像させるものを、忌避する回路が生理学的に人間に備わったのではないだろうか。
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顔が崩れた個体。ぶつぶつとカリフラワー状の肉が付着したようにしか見えない

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意見の分かれる個体。肉瘤が崩れた個体だがインパクトがある。目の下には水泡眼のような水泡を持っている。いたって中国的な珍奇性が窺える、昆虫顔だ

内臓=気持ち悪い 内臓を連想するものを人は気持ち悪いと思う。

本来包むはずのスキンが無くてむき出しになっている感覚。だから中国の“翻鰓”という鰓蓋の無い赤い鰓葉が見えている個体に嫌悪感を感じるのはそれだ。もっとも中国では受け入れられているところを見ると、感覚には国民性があるのかもしれない。
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鰓蓋が生まれた時からない個体。本来なら淘汰される。このように赤い鰓が見えているとグロテスク

中国的珍奇性を追うな。日本的希少性を追え!

国民性云々に関してはあまり触れたくないが、その内臓感をらんちゅうの頭部の肉瘤に感じると“気持ち悪い=グロテスク”となるのではないか。それを感じさせないような肉瘤は上にも書いたようにふんぺいは有り得ると思っている。

肉瘤が付着しただけでは獅子頭らんちゅうの名を冠することはできない、とは何度も言っていることだが、いわゆる頭部がグロいらんちゅうは、どうしても気持ち悪いという言葉で表現されてしまうのではないだろうか。

だから、頭部を爬虫類や虫などを想像させる形状から、哺乳類の頭部を連想させるものに改良するのが本当ではないか。それが獅子頭なのだと思う。といっても、それは昔から意識されていたことである。古老は、おしなべて肉瘤の形状の重要さを知っている。関東の尾島系の愛好家を訪問した時、『トキン』という言葉を出すと、随分驚かれたことを思い出す。それだけ忘れられているということだ。
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日本的希少性を追い求めると哺乳類的な頭部が一つの理想となりうるのではないか。このような種としての個体がいなければ本当の龍頭は維持できない

可愛い犬のような頭部を持った魚。これが理想の獅子頭らんちゅうの進むべき道だといえるのではないか。

これを忘れたらんちゅうには未来はないと言ってしまっても良いのかもしれない。

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2010年9月 8日 (水)

藤井四朗氏のこと

藤井四朗氏のことに関しては、『金魚三昧第二号』の「京都らんちゅうの系譜」に詳しいのでそちらをご覧ください。

先日、研究会で藤井氏のご存命の頃をご存じだった方とお話したのですが、藤井氏は宇野先生と同様に次第に当歳魚を小さく飼うことを実践された一人なのですが、何故小さく飼うかを仰っていたようです。

小さく飼うのが目的ではなく、数多く残すために小さく飼っているということだと仰っていたようです。つまり、当歳の時に無理に減らして将来性を見ることなくハネるのではなく、数多く残してポテンシャルを見る、ということなのだそうです。

「当歳でそんなもん、わからへん。そやからぎょうさん(沢山)残すねん。」

良く言われるのは、らんちゅうはどんどん変化するものだと。ならばある時点で良否を判断するのではなく、親まで持って行ってはじめて判断できるというものなのだということです。変化するものを、その時点での出来不出来や単なる感覚でハネることほど馬鹿げていることはないという理屈ですね。

現に細い金魚も成長するに従って、骨格が出来てきて幅が出ることも往々にしてありますし。

宇野先生が「あなたのハネた金魚に良いのがいるに決まっている。」を実践されたのが藤井氏であり、私の知る限り宇田川氏ぐらいではないかと思うのです。

さあ、そうなると魚の良否をどうやってみるか。これが何よりも突き詰めていかなければならないことだとみなさん、お判りになるでしょう。

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2010年9月 7日 (火)

ニシキウナギ!!??

朝日新聞朝刊「青鉛筆」欄に飛んでもない記事が載ってました。

2010年9月6日朝刊。同様の記事がネットにも。http://www.asahi.com/national/update/0905/TKY201009050228.html

ニシキウナギ!!

驚愕です。どう考えてもすごいこと。

白いグラウンドに朱が入り墨がちりばめられています。まさに錦鯉ならぬ錦鰻です。

専門家は“色素がないアルビノ”とのこと。

アルビノぢゃありませんよ!!この白さはアルビノの白さじゃないですよ(アルビノはどちらかというとクリーム色の発色が多い)。白色素がありそうな色です。オレンジだって黄色素ですし、黒色も黒色素じゃないですか!アルビノは色素が欠如した個体ですよね。そんな個体と一緒にできませんよ。

金魚でいうキャリコ柄ですよ、これは。オレンジ一色のウナギも聞いたことないし、墨色のウナギも聞いたことない。それを通り越していきなりキャリコ柄って、想像を超越しています。あり得ないです。

さらに言うと、ウナギは鱗がないはず。ということは表皮に直接色が載っていることになります。まさに不思議!不思議!!

この柄を見て金魚のキャリコ柄もある時突然、出るべくして出た柄なのだと想像してしまいます。

ウナギは人口産卵出来ませんから、この個体が天寿を全うしたらもう二度とニシキウナギにはお目に掛からないのかもしれませんね。

いや~いいものを見せていただきました。こりゃツチノコ以上にすごいことかも?!

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2010年9月 5日 (日)

宇野系らんちゅう品評会日程

まだまだ暑いですが、ちょっと気をゆるしていたら品評会シーズンです。

以下告知しておきます。ふんぺいは仕事の関係でどこまで行けるか未定です。見かけたら気軽に声を掛けてください。

【宇野系らんちゅうの品評会日程】
※判る範囲でご紹介します。

9月19日『播磨愛らん会』 姫路市 大塩天満宮(※記載間違えてました)

9月19日『和歌山錦鱗会』 和歌山市 紀三井寺球場

9月26日『小倉金鱗会』北九州市 小倉城

9月26日『守口らんちゅうの会』守口市 大宮中央公園

9月26日『京都系らんちゅうの会』門真市 弁天池公園エントランス

10月3日『琵琶湖金鱗会』 滋賀県 琵琶湖ホール左横公園

10月3日『鶴来らんちゅう友の会』石川県 パーク獅子吼 ふれあい館広場

10月10日『日本らんちゅう愛好会』大阪府 天王寺公園

10月10日『京都金鱗会』 京都府 藤ノ森神社 ※同名の愛好会が存在しています。

10月17日『京都らんちゅう会』 京都府 六孫王神社

10月17日『日本愛らん会』 大阪府 弁天町オーク200

10月17日『京都金鱗会』 京都府 梅小路公園

10月17日『京都愛らん会』 京都府 水火天満宮

10月24日『全日本らんちゅう愛好会』 大阪府 吹田メイシアター

10月24日『宮崎らんちゅう会』 宮崎市宮崎中央公園文化の森

10月31日『九州愛らん会』 大分県

10月31日『神戸らん友会』 神戸市 和田神社 

こんなところでしょうか。日程など若干変更があるかもしれませんので事前にご確認ください。

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2010年9月 4日 (土)

既刊の書籍のご紹介

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『宇野系らんちゅうの魅力』2005年発行ピーシーズ 定価¥780

拙著『宇野系らんちゅうの魅力』は、多くの愛好家に親しんで頂いて、ある意味“宇野系”の地位の向上のために一役買った書籍だと思っています。

その反面、知名度があがったにも関わらず宇野系らんちゅう愛好家はアマチュアを主体にしているだけに、手軽に入手したい入門者はネットオークションに走り、大半が宇野系と呼ぶに値しない個体を買わされるという傾向になってしまったようです。
需要の掘り起こしをしたが供給の仕組みがないのですね。既存の愛好会が受け皿になっているか疑問ですね。

いずれにしても、それまでは宇野系や京都系などという言葉は、マニアには知られていましたが、一般の方を対象にした入門書等の書籍や情報が無かっただけに大変好評をいただきました。

初版4000部は完売して、現在は再版の2000部が販売されています。ふんぺいの当時の情報を全て詰め込んでいますので48ページほどの冊子ですが、読みごたえは多分かなりあると思います。宇野系のらんちゅうを飼育したいと思っている方には是非手にとっていただきたいものです。お値段も780円と大変リーズナブルになっています。

実は、ピーシーズにはせめて1500円ほどで売ってもらうように話しをしていたのですが、プロファイルシリーズとして発行するため、値段が安く設定されたといういきさつがあります。
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後半部分の“宇野系の理想とする魚とは”等々の解説部分は、今読んでも核心を突いているのではと自負しています。

是非とも買って読んでみてください。ピーシーズは気まぐれなので2000部が売れたらいつ再版するか判りませんので、あるうちに買ってくださいね。再版されるまでヤフオクで3000円以上で売られていたんですよ。(^_^;) 因みに、下世話な話ですけど著作権料なんて微々たるものなんですよ。餌代ぐらいなんです。ですからお金じゃないんですよ。
ここに改めて紹介するのも、ネットの断片的な情報よりしっかりとした体系的に整理された情報にあたってもらったほうが絶対に良いからなんですよ。

いつでも訂正したり削除が可能なネット情報より、時間をたっぷりかけて裏を取った確実な情報としての活字に是非あたってください。損はしませんよ。きっと。

Photo_3 『金魚三昧 創刊号』旭東企画¥3000 2007年

突如発行されたのが金魚三昧ですね。すごくマニアックでびっくりするほど内容が高度なんで入門者は付いていけないと評判になりました。発刊当初からふんぺいは関わっており渾身の“肉瘤考”を寄稿したんです。

ところが結構知らない方が多いようで、この際きっちりブログでもご紹介しておかないと、このブログの一貫した主張も理解できないと思われるんで取り上げておきます。
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この“肉瘤考”は、らんちゅうの存在理由からひもとき、宇野系やら協会系などのカテゴリーを抜きにして最重要ポイントが肉瘤であることを詳細に解説しています。

肉瘤がなければらんちゅうとは言えないということを、大半の愛好家は軽視しているんですよね。獅子頭とも言えない龍頭でもない崩れてしまった肉瘤は、いくら肉瘤がすごいと言っても評価出来ないんです。そして遺伝であることを皆さん忘却しているんですよね。

必ずや入門者からベテランの方まで知的興奮を覚えることと確信しています。
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そして次にご紹介するのは『金魚三昧第二号』2009年 旭東企画¥3000

第二号も益々専門的に愛好家の知識欲に過激に挑戦する内容になっています。
創刊号と同様に10ページほどの内容ですが書かせていただいています。
『京都らんちゅうの系譜~忘却の宇野式らんちゅうの会派を振りかえる』ですが、宇野仁松に肉薄した亡くなられた藤井四朗さんを中心に、歴史を振り返っています。
コラムに力を入れ、
・当時の関西の動き1960年代~現在まで
・らんちゅうの改良について
・宇野氏が生み出した「京都式らんちゅう」とは

と題して宇野系らんちゅうの位置づけをしっかりと定義しています。特に「当時の関西の動き」などは、情報に乏しい中国で勝手にパクられて中国語に訳されたりなんかしています。

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金魚三昧は現在休刊中です。リーマンショック以降愛好家の知識欲も減退した関係で、少し時間を置いているようです。

次回は宇野仁松ご本人に関する研究を公開する予定でした。11年の12月発売を予定しているそうなんで、今しばらく発表は控えることにします。

どれも愛好家には刺激的な文章になっていると思います。少し高い本ではありますが是非ご一読ください。

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