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2010年2月

2010年2月24日 (水)

ビジネスマンのための「発見力」養成講座~読書ノート~

なんでもそうなんですが、ふんぺいはどうしても「らんちゅう目線」で物事を見てしまうみたいです。つまり、ビジネス本をらんちゅうに応用しようなんてヤらしい考えをしたりなんかします。ま、その逆も大いにあったりするんですが・・・・

たとえば、こんな本などは仕事にも役立つし、らんちゅうをやるにおいても役立つんですよね。

『ビジネスマンのための発見力養成講座』
小宮一慶  ディスカヴァー携書

ふんぺいが前から言っていたことを、見事に纏めて言葉にしてくださっているんですね。説得力があるし簡略に要点を纏めてあるので読みやすいです。ハウツー本としては出色の出来です。新書にしては少し高いし、紙の質はもっと落としてもらってもいいんですけどね。是非ご一読を。

帯にもあるように「見えてるつもりで、見えていない」、これなんですよね。

何万回見ても、見えない人には見えない。
        ↓
ものというのは、ちょっとしたきっかけで見えるようになる。
        ↓
     関心を持て
        ↓
まず、関心を持てば、全体像なり何かが見えてきます。少なくとも見ようとする。次に重要なのは、「何を見るか」がわかってくる。

その関心を持つための動機などを具体的にこの書は伝授してくれるんですね。
あと、なるほどと思ったことを二三列記してみます。

見える力の大原則
1.気にしていると、ものは見える
2.思い込みがあると、ものは見えない
3.人は、自分に必要なことだけ選んで見ている
4.人は、本当に必要なことを見ていないことも多い

らんちゅうの尾ばかり気にしていると他の部分が見えませんよね。本当のらんちゅうの質的評価とはという問いに繋がりますね。

対比するもの、多くの平凡なものを知ってはじめて、優れたものの価値がみえてきます

優れたものは比較の上に成立するんですよね。これはらんちゅうも美術作品も一緒ですよね。

思想があれば、物事の原理原則を見極めることができます。原理原則から、ものを見ることができるようになる

寄って立つところの思想とは、そう、らんちゅうの本質を見極めようとした宇野仁松のらんちゅう哲学ですね。

ってな具合でまだまだこの書を読めば発見がありますよ。まさに発見力。

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2010年2月23日 (火)

床直し

少し調子の悪い魚が出だしているので、思い切って床直ししました。
本日は本当に暖かいです。みなさんもマネしてどうぞ!なんて言えませんよ。それぞれの飼育環境は違うんだし、魚の調子も違うわけですから、おいそれとマネして逆に調子を崩してしまうこともままあります。くれぐれも自己責任において・・・・(^_^;)

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こんなになっているわけです。底はとろとろなんです。こうなってくると、なんかドブ川や硫黄に近い臭いがするわけなんですね。底のほうはほぼ無酸素状態になっている可能性があるわけです。

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エアーが沸き立つ場所の茶色い苔と、そのほかの苔の色の違いに注目してください。この緑のとろとろは如何にも魚に悪そうですよね。

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かくして、このお池は綺麗になったのでした。

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『金魚大鑑』を読む~その6~

(5)メスとオス
メスは早く親びて立派になる。だから2~3才魚では品評会で上にいくのはメスが多い。ただ、時期によって容姿にさしひきが見られる。
オスは頭の発達がメスよりも半年はおくれるが年令を加えるほどよくなる。腰太で泳ぎ調子もよいものである。

この項は、雌雄による違いも十分考慮しなさいよ。傾向を知らないと将来性を見誤りますよと仰っているのでしょうね。

割愛しようかと思ったのですが、ここまで書いてきたので全文の紹介としました。
いかがだったでしょう。実は飼育に関しても先生は詳述されているんです。それは別の機会にでも解説したいと思います。

金魚大鑑のこの文章は以前より知っていたんですが(『宇野系らんちゅうの魅力』に参考文献として掲載しています)、この内容から大きく離れたことを仰る愛好家は、ご自分独自の理論を、多かれ少なかれ採用しているということに気が付いておられないとふんぺいは判断していたんですね。人間の性なんですが、段々と記憶が融合してしまうのでしょうね。よい勉強をさせていただきました。各愛好家においては、ここまでは先生の仰ったこと、ここからは個人的な意見というように自覚して分別して頂きたいものです。

ま、そんなことはどうでもよいことなんですが、こうやって見ていくと、今まで教えてもらったことやネットで流布している情報とのギャップに悩まれる方が多いのではないでしょうか。

ならばどうすればよいか?

少なくともこのブログにもう少しお付き合いくだされば結論が出るかもしれません。ふんぺいも同じように悩んでいるんです。同じ悩みを共有しながら少しでも先へ進めるといいんじゃないか、なんて思っています。

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2010年2月22日 (月)

『金魚大鑑』を読む~その5~

(4)うろこと色彩
うろこがあまり細かく美しく並んだものは、きゃしゃすぎてよくない。膚がきれいなのに越したことはないが、ランチュウはどちらかといえば、うろこの並び方が少し不自然なのが本当のように思われる。うろこが金、銀に光って、見た眼に荒くうつるものがよい
色彩は素赤よりも更紗の方がよい。更紗では腹模様がよく、面かぶりも美しい。ひれには赤が残るものは遺伝的に更紗性が高い。(※下線 ふんぺい)

さて、これを読んで「あれ??」と思わない宇野系らんちゅう愛好家はモグリです。(^_^;)この文章が物議を醸すと同時に、賛否両論を巻き起こすこと必至の文章であるのは、一読すれば火を見るより明らか。

日ごろ宇野先生が仰っていたという鱗の観方と正反対に読めてしまうんですね。
単に字面を追うと・・・・・
①鱗並びが細かく美しいものは、よくない。
②金銀に荒く光って見えるのがよい。

そう読んでしまったら先生の真意は伝わっていないことになります。時代性を無視して現在の尺度で読むことの問題がここに収れんしているんです。

これが書かれたのは昭和47年当時。時、あたかも面かぶり!などの更紗が先生の池にでき出したころなんです。この事実を鑑みて初めて書かれた真意が判ると思うのです。「膚がきれいなのに越したことはない」と、先生が普段仰ってきたことを一旦肯定して、さらに本音を吐露されていると読むべきではないでしょうか。

つまり、鱗並びや膚が綺麗なのは良いに越したことはないが、らんちゅうというものは、本来、背の鱗が多少乱れているもので、胴の質的なものを優先せず、『華奢(きゃしゃ)』な個体を好むようでは本末転倒だと逆説的に仰っていると考えるわけです。

「金銀に光る・・・」の部分は、前にも申し上げたように、金と銀は光の反射するツヤがなければ輝かないものです。つまり健康的な色つやを優先すべきと解釈するのが妥当なのではないでしょうか。

さらに「面かぶり美しい」の「も」に注目してほしいですね。面かぶりが宇野系の代名詞のように言われがちですが、先生のなかでは多様な色彩の美しさの中の一つに過ぎないと、まるで言いたいが如くに、ふんぺいは深読みしてしまうのです。

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2010年2月21日 (日)

『金魚大鑑』を読む~その4~

(3)尾
尾は小さめがよい。大きいのは退化型と考えられる。成長とともに尾は伸びるから、長く鑑賞するためにも、若魚の時は小さい方がよい。丸い体には小振りの尾こそ似つかわしい
しかし、小さいといっても貧弱なのはいけない。適当にはりがあって、泳ぐときはしぼり、止まるとパットと開いて、賑やかなのがよい。
尾型、尾付きともに変化が多いが、尾は泳ぎ調子を左右するので、均整がとれていることが特に大切である。(※下線 ふんぺい)

チビ尾と称してこのブログでも書いてきました。まさに宇野先生や先達の美意識は、現代のらんちゅうではほとんど触れられない核心を仰っていたんですね。

尾の観方はいかがでしょう?現在の尾の観方とは相違があるのではないでしょうか。「泳ぐとき絞り、止まるとパッと開く」これが従来からの尾の観方なんですね。これは以前よりふんぺいは折に触れて言っているんですが、あまり理解されないようです。これが「宇野系らんちゅうは、尾が弱い。」という原因になったひとつではないかと思うんです。

尾張りがあって尾型が崩れないらんちゅうは、ある時期開発された随分と新しい観方であって伝統的な尾の観方とは異なっているということを十分理解していただきたいと思うのです。泳ぎ偏重の観方が主流になると、尾の味わいというものが捨て去られる傾向にあるようです。

他の金魚の従来の尾の観方を一望してみてください。らんちゅうだけが違うのです。それはある意味異様でもあるわけです。オランダシシガシラしかり、ナンキンしかり、地金も全て「泳ぐときは絞り・・・・」なんです。どの時点でらんちゅうだけが従来の尾の観方から変化したのかを自覚する必要があるのではないでしょうか。尾の観方の変遷を知らなければいずれまた理由なく変わることもありうることになるのですから。

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2010年2月20日 (土)

『金魚大鑑』を読む~その3~

(2)背巾と尾筒
背幅、尾筒とも無理なく太いものがよいが、ここで気をつけないといけないのは、太く見えるものが必ずしもよいとは限らないことである。
近頃のランチュウは、俗に2階だちといって、背中に余分の肉がついたものが多いが、これが背幅が広く見えるために、幅をきかしている。このような魚は、尾が高い所につき、腹が垂れ下がって見苦しくもあるし、また、泳ぎもまずい。これの極端なものを「いも」というが、近頃は大方の魚が大なり、小なりこの傾向が見られるから注意しないといけない。
ランチュウはやはり、上下が離れずぴったりとして、腹から下のまとまりのよい魚でないとけない。
なお、背骨の節が肉でまいたようなものもよくない。たとえ品評会で成績がよくても、親としては使えない。(※下線 ふんぺい)

宇野先生は、胴の太みについても見抜いていたんですね。背中の余分な肉を背幅と捉えるのではなく、そのような餌で作ることの本来の意味を理解されていたのだと思うんです。太く見せるだけが魚の形質を左右するものではない。会用としては我慢できるが、種として使用するにはもっと本質的な部分を見抜きなさいと仰っていると思うわけです。

胴の形質は、餌を切り、痩せさせたときに馬脚を現すわけです。ですから、冬眠明けの魚が本来の優良な骨格を見抜く絶好の機会だと思うわけですね。

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2010年2月19日 (金)

『金魚大鑑』を読む~その2~

(1)頭
シシガシラランチュウというように、頭のシシの格好がランチュウ鑑賞上もっとも大切な見所である。頭全体によくシシが出ていることはもちろん、その型がはっきりしていて、顔の優れているものがよい
現在のシシガシラの型は、東京の鈴木氏の苦心に負うところが大きいが、それまでは頭におまんじゅうを乗せたようなトキンガシラが普通であった。
近頃、気になることは、この肝腎の頭の形が忘れられていることで、一口でいえばシシさえ出ていれば格好はかまわないといった考えになって、これがわざわいして四角でもなし、丸でもないという特徴のない顔のランチュウが多くなった。
今後はやはり、はっきりした特徴をもつシシガシラランチュウ本来の姿に育てなければならない。そのためには、ランチュウの血すじを大事にして、顔についても純度を高めていくことである。(※下線ふんぺい)

この金魚大鑑の宇野先生の文章は、あまり愛好家においては触れられることはないようですが、核心がここに書かれているとふんぺいは思っています。

やはり先生は、頭がランチュウの鑑賞上、最も重要視されるべき個所であることを仰っているわけです。さらに、『顔』という表現で、頭のメリハリで特徴ある肉瘤表現を最も評価されるべきものとしていらっしゃるのが判るかと思います。

すなわち、遺伝的形質であるところの顔の優れたランチュウの純度を高めていくことがランチュウの目指す方向性である、と仰っているとふんぺいは解釈するのです。

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2010年2月18日 (木)

『金魚大鑑』を読む~その1~

『金魚大鑑』 緑書房 昭和47年 松井佳一編著

金魚の文化的側面にも光を当てて、科学的な考察を当時の著名な愛好家が、分担して執筆をされているという意味で、大変貴重であるにも関わらず、部数が限定的な為、あまり内容は知られていません。

そこで本書の内容を、考察を加えて吟味しながら見ていくことにします。

本書「第9章 鑑賞の仕方」には、宇野仁松氏と山崎節堂氏という東西の巨人が、奇しくも相まみえ、それぞれの鑑賞の主眼点を、忌憚なく吐露されている大変貴重な内容となっています。両氏の考えを読み比べるだけでも多くの示唆があるでしょう。

その文章を引用しつつ項目に分けながら、見ていくことにしますが、今回は宇野氏の文章は、

1.ランチュウ鑑賞の主眼点
(1)頭部
(2)背巾と尾筒
(3)尾
(4)うろこと色彩
(5)メスとオス
という項目で詳述されています。

因みに山崎節堂氏はその直後に、
2.ランチュウの観方
(1)頭
(2)胴
(3)尾
(4)色彩
で宇野氏と同様にそれぞれのパーツごとに言及されています。

1.ランチュウ鑑賞の主眼点
ランチュウは頭が太神楽の獅子のように立派で、体は小判型、尾は小さいながら賑やかなところが観ていて楽しい。色彩は鮮やかで、うろこは金銀に輝いて美しい。
性質はやさしく、親しみやすいが、ゆうゆうせまらず王者の風格がある。

宇野先生の基本的な考え方に関しては、このブログでも散々書いてきていますが、要はこの序文に全てが表わされていると言っても良いのではないでしょうか。

次回は、(1)頭部を引用しつつ見ていくことにします。

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2010年2月13日 (土)

アバター見に行きました

先日、今話題の3D映画「アバター」を見に行ってきました。もちろん“おひとりさま”で。(^_^;)

この映画、何がすごいって、もう皆さんご存知のように、実写とCGが見事に融合してスクリーン(3Dなんで奥行きがあるんですが)に新しい世界を現出させていることなんですね。それも得も言われぬ美しさ。一見の価値ありますよ。

3D用メガネを渡されるのですが、メガネを掛けている人はその上に掛けるという煩わしさ。立体的に見えるのは見えるのですが、角度を変えると見えずらいです。しかも難点は3Dメガネによって明度が下がることでしょうね。慣れるまで少し時間が掛かりますが、脳はすぐに慣れます。もう少し明るいとより見やすいのでしょうが・・・・・

立体映画、これも脳が作り出した錯覚なんですよね。「見える」というか「見る」という行為は一種の『視覚の文法』に囚われているということです。

あ、それから出来ればこの映画、字幕ありじゃなくて吹き替えのほうが良いかも。字幕がポップアップして見えて鬱陶しいです。(^_^;)

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2010年2月10日 (水)

らんちゅうの語源

そもそも論で申し訳ありませんが、金魚の中でも“らんちゅう”って言葉に違和感感じませんか?

“らんちゅう”って言葉の響きが日本語ではない感じがするんです。

和金やら琉金、阿蘭陀獅子頭なんてのは納得がいきますが、“らんちゅう”を「卵虫」なんて当て字にしか思えなかったんです。※「阿蘭陀」などもオランダの当て字ですよね。
それとか「蘭鋳(鋳の金が魚)」なんてのも当て字だと薄々気が付いていました。

すなわち“らんちゅう”とは、発音の音だけ取ったものなんじゃないかって思っていたわけです。“ちゅう”なんて発音は、特に日本語ではあんまり見当たらないんですよね。

そしたらありました。ネットで探したら知り合いの方がちゃんとその疑問を解明されてました。

江戸時代に中国から入ってきたとき、背びれのないタイプの金魚を「蛋種」と言っていたそうです。発音は『ダンチュム』→『ダンチュウ』→『ランチュウ』。日本人が聞き取ったのは『らんちゅう』だったんでしょう。「蛋」はあひるの卵って意味で、まさに中国語で背びれの無いタイプの金魚の形態を言っていたんですね。

なるほど、そういうことか、大納得です。なんかおかしいと思っていたら・・・やっぱり。

因みにその論文が掲載されているのは、「DR.タワシの金魚百科」
http://www4.ocn.ne.jp/~tawashi/



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2010年2月 5日 (金)

雨過天青 雲破処

雨過天青 雲破処 (うかてんせい くもやぶるるところ)

中国 宋の時代に皇帝の為に官窯として汝窯が作られ、その青磁の色を以上のようにたとえられたとか。雨の後の雲が破れたその青空の色を磁器に再現する。長い間、そのような色は再現が不可能と言われていたそうな。

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その秘色を再現するために何人もの陶工が挑んでは断念したという。そんな高貴な青はどのように作られたのか。実は、国家権力によって沢山の陶工を使い、何万と焼いた焼き物の中に、ただただ偶然に産したもののようで、極めて再現性の低いものなんだそうです。

はてさて、そんな話、どこかの世界でも聞いたような・・・・。

砂金探しの話しをご紹介したかと思いますが、らんちゅうの稚魚の話しになんだか似てませんか?陶磁器とらんちゅうの心性はどこか共通する部分があるのかもしれません。

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2010年2月 1日 (月)

大正時代のらんちゅう~歴史的資料の考察~

らんちゅうの歴史的資料とは、こういうものを言うんでしょうね。

花やんさんのご紹介で、すっかり忘れていたらんちゅうの資料を検証していくことにしましょう。

「GOLDFISH VARIETIES and TROPICAL AQUARIUM FISHES」
WILLIAM T. INNES  1917 U.S.A.

という書籍からの抜粋です。この書籍、金魚の古書マニアの中では有名な本で、随分と昔にある方のご厚意で入手したんです。今では珍しい個体なども紹介されていて中々の逸品です。因みに、驚いたことに柳出目金も掲載されています。それはまたの機会に。

その中でも、以下の個体はいかがでしょう?まさにらんちゅうなんですが、先日の絵とは一転して随分と肉瘤が素晴らしい個体ですね。これも大正時代のらんちゅうなんですよ。キャプションを読むと(英文なので英訳は自信ないですけど)、日本のらんちゅうでこんな肉瘤の個体は珍しくて、色は真鍮色(黄金色)なんだそうです。それだけ当時でも稀有な魚がアメリカに輸入されたということのようです。

さらに珍しいことに、上見と横見があるんですよね。よっぽど著者も気に入っていたんでしょう。写真も当時としては随分と鮮明な部類に入りますが、よくぞ掲載してくれたものです。私たちにとっては貴重な資料で、らんちゅうの変遷を考えるのに好適です。

この個体の肉瘤は中国のライオンヘッドに類似した形質です。胴は、短手で釣り腹、尾筒は比較的細く出てますが、胴の質は良いんじゃないでしょうか。このような個体が当時から居たとなると、「進化」という考え方は妥当ではないですし、やはりあくまでも「改良」ということを念頭に、如何に形質を残していくかということが、らんちゅうにとっては重要だということが判るかと思います。すなわち、愛好家がどう残すか、どうチョイスしていくかということなんだと思うんですよね。

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先人は、このようなライオンヘッド、またはバッファローヘッドから、肉瘤に関して色々な部位ごとに名称を付けて、明確に意識しながら徐々に形を整えていったのだと思うんです。スタート地点がこの写真であると仮定するなら、私たちはどれだけ遠くに来たのか、あるいは来ていないのかが判るのではないでしょうか。その意味ではこの写真は、試金石として重要な意味を帯びてくるのではないかと考えられます。

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