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2009年12月

2009年12月31日 (木)

祝一周年

あれやこれや書いているうちに早や一年が経ちました。

去年の12月27日に立ち上げたこのブログもちょうど一周年なんです。いろいろな方との出会いもあり楽しい一年でした。

しかし、経済情勢はこのところ決して良くはありませんね。趣味というものは経済的な余裕の上に成り立っているものなので、色々な部分で切り詰めながらの趣味となっている方も多いのではないでしょうか。

だからと言って規模を縮小したり、変に節約することは実際のところ理に反することなんではないかと考えたりもします。景気はみんなが同じように節約したりするからデフレスパイラルなんかになっちゃうんですから。

それから先人は戦中の非常時でも金魚を飼っていたことを、忘れてはいけないんだと思うんです。趣味といえども道楽まで行っちゃった人は、ちゃんと継続していたんです。そういう人が居たから今こうして金魚が飼える!ありがたく思わないといけないんじゃないでしょうか。

このらんちゅうという金魚は(大多数の金魚を含めて)、飼う人が居なくなれば瞬く間にこの世から居なくなることを肝に銘じてしっかり飼い、楽しみましょう。

どうぞ来年も楽しい一年でありますように!

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2009年12月30日 (水)

落ち穂拾い

せっせと年賀状を作成しています。

Dsc_1367 

可哀そうに、この時期決まって池をかき回して何尾か起しちゃって撮影モデルになってもらいます。何枚も撮影したうちの一枚を、落ち穂拾いのつもりでアップしておきます。

4歳の獅子頭です。いい感じに頭も仕上ってきました。

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青水の実際

ちょっと濃い青水の実例をご紹介。

あんまり好きな色じゃないんですが、ま、一応青水なんでそのままにしています。この色になると底にアオミドロみたいのが溜まりやすくなります。この時期といえども注意が必要です。うちは年中エアレーションしています。ある程度かき混ぜてもらったほうが水も澄まないし良いような気がしています。水も凍りにくいですし・・・・・

Dsc_1368_2

そんな中、透明な池もご紹介。
こちらは12月初旬水替え最後に、どうも調子が悪そうだったので全水替えして塩を入れてマゾテンを投入してそのまま冬眠に入った池です。エアーが泡立っているのはそのためなんです。もうこうなったら来春まで触らぬ神にたたりなしです。

Dsc_1369

さて、ジャンボプラ船はどうかというと・・・・
Dsc_1370_2
濃くもなし薄くもなしでいいんじゃないでしょうか。これから少しずつ濃くなるでしょうし、トロっとして底に沈澱しだすと要注意ですよ。

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2009年12月27日 (日)

変わり朝顔とらんちゅう

遺伝形質に注目しだすと、世の中には色々な改良品種というものがあることに気が付きます。

観賞のみに改良がなされた動植物は、特に私たちらんちゅう愛好家にヒントを与えてくれたり、視野を広げる手助けになったりするので、興味を持つべきと思っています。

東京のS氏より「『変わり朝顔』『変化朝顔』って面白いよ。」という教示を受け、調べてみると・・・・私たちが想像する朝顔ではもはやない創造物がそこにはありました。

もう花弁が糸状に変形したものや、とにかく一見しただけでは私たちがイメージする朝顔ではないものが沢山。主に江戸時代に改良されたそうな。またしても江戸時代。金魚も江戸時代に確立されたものですが、江戸時代には今に受け継ぐ文化の芯が醸成されたんでしょうね。

まあ、見てみてください。科学的にも解明されていて、品種の種も九州大学に保存されているんですね。いくら貴重な種だからといって大学で保存されているとは、一重に朝顔が好きな研究者が居たからなんでしょうね。

遺伝形質がこれほど体系的に保存されているということを日本人は誇るべきなんだと思うんです。このようにこつこつと積み上げられた研究成果が世界にも類例をみない変わり朝顔で残されているなんてすばらしいじゃありませんか。

そしてらんちゅうはというと、朝顔のように遺伝的類型が解明されているわけではなく、実は江戸時代よりそれほど進歩しているわけではないのですよね。進歩というより保存維持されているかどうかという視点で私たちは見ないといけないのだと思うのですが、少なくとも変化朝顔より愛好家人口はあると思うのですが、果たして科学的なメスが入っているかというと残念ながら皆無なんですよね。

江戸の園芸の一つである変化朝顔は篤志家によって次世代につなぐことが可能になっているという事実を知るに至って、我がらんちゅう界は本当に遺伝形質を保存するというムーブメントは起こらないのでしょうか。先日話題にしたF1では仕方がないんですけどね。随分心もとない趣味なんですよね。自覚が必要ですね。

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2009年12月24日 (木)

ルーツを探せ

ブリーディング(育種)というのは、生き物である以上、必ず先祖を辿れるはずで、親に子が似てこなければ理論的にも科学的にもブリーディングの意味は無くなり、血統や系統という考え方も無意味になってしまいます。

先人は、色々な形質が子に遺伝することを科学的理論ではなく、経験則として感じ取り、極意として伝承して来たんですね。その極意とは、ほんの僅かな兆表だったり変化だったりするのを見分けるテクニックであったり、何となく経験の中で感得した記憶の積み重ねだったりするわけです。

らんちゅうの一般的なブリーディングの方法はどうかというと、これはもう出鱈目で、体系的な形質の遺伝という、生物学的必然を無視した方法が、旧態依然として続けられていると言っても過言ではないのではないでしょうか。具体的には、ただ単に好みなどの一過性のペアリングばかりで、次代に繋ぐべき形質の見極めとは別の次元で行われており、近視眼的なやっつけ仕事に成り下がっているように思えてなりません。

良魚から良魚が生まれて来なければ血統を維持する必然性はないに等しい。
仮に形質が発現していない種親であれば、本格的な子採りの為の予備としての位置づけ以上であるべきではないと考えられ、十分な理由がない限りその親で子を採るべきではないのでしょう。(隔世遺伝などの遺伝学的な理由で確固とした狙いがない限りは)

一代雑種(F1)が両親(血が遠ければ遠いほど)の良いとこどりをする可能性が高いがゆえに(中間雑種)、その手法ばかりが行われ、肝心の種魚がどこを探しても居なくなってしまったのを誰が認識しているのでしょう。中間雑種ばかりが持て囃されているのなら、いくら子引きしてもパンドラの箱を開けるがごとく、推量すら許さない先祖返りが出現しても何も不思議ではないことを知るべきです。宝くじを買って当てることが難しいように運を天に任せる以外に仕方がない手法にいつまでも有能なブリーダー達が踏みとどまっている現実はナンセンスのなにものでもないように感じます。

宇野先生は、ご自分の池の魚達のルーツを明かにされていました。関東の魚であったのは確かですし、先生の目に適った種親を持ち帰ったはずです。「目に適った魚」、これが宇野先生のルーツの魚のはずなんです。どれもこれも持ち帰ったわけではないはずなんですね。宇野先生の理想とする魚、当時は宇野系という系統の魚筋は無かったのですから、『宇野流』の、あるいは『宇野式』の、はたまたイコールの意味において『宇野イズム』に適った厳選された魚だったはずですね。

いくら血統を引き継いだ魚といえども、宇野先生の考えを引き継がない魚は宇野系とは言わないというスタンスをふんぺいは取っています。ルーツを解明して熟知した上で、宇野仁松の理念を反映する魚を『宇野系らんちゅう』と言い、『宇野らんちゅう』、『宇野式らんちゅう』と考えるわけです。

極論すると、協会系の魚に『宇野流らんちゅう』が居てもおかしくないんですね。但し、きっと種魚として導入することには躊躇するはずですが・・・・理由は言いませんけど。。。

ルーツなき一代雑種で出たとこ勝負をするのか、こつこつと積み上げながら血統を磨くことに執念を燃やすか、どちらが趣味としての奥行きを楽しめるのかは、ふんぺいには判り切ったことのように感じます。

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2009年12月20日 (日)

痒いところに手が届く?

これ、使えるかも!?

面白いグッズがありましたよ~
プラ舟などの水槽の苔取りにいいですよ、これ。

その名は、「ムッキー」。ジャガイモや里芋の皮剥きに考案されたそうです。手袋の表面がイボイボになっています。

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これで皮をこすげ落とすって感じみたいです。拡大すると・・・・

091219_1451511

で、FRP水槽やプラ舟のこびりついた苔の除去には威力を発揮しそうですよ。現に少しやってみたら予想通りいい感じで取れました。変なアールが付いた部分もこれだったらストレス無く苔取りオッケー!!

但し、叩きのようなザラザラした表面のものには不向きっぽいです。

一度お試しあれ。

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2009年12月19日 (土)

オフシーズンはない

人間にはメリハリって大事なんだと思うんですけど、いつもハイテンションでローギアで坂道を駆け上がるんじゃなくて平坦な道をクールダウンすること、これもまた大事なんですよね。

このブログを始めたのも去年の今ごろでしたか。あっという間に一周年です。実はこの趣味、世話をしなくて済むからオフシーズンだとみんな思っていますけど、そんなことないんですよ。一人だけでやっていると完璧にらんちゅうのことが脳裏から離れることになるんだと思うんですけど、仲間が居ると違うんですよ。

はい、今年は終わりました。金魚は冬眠。私も冬眠。そんで全てリセットして、春先そろそろ始めるにしても、はて?すっかり去年のことまでリセットしてしまって積み重ねた知識や経験までリセットしてしまったらまた一年生に逆戻りですよね。趣味といえどもそれじゃ何をしているかわからないじゃないですか。

オフだからこそ、らんちゅう談義に花が咲く!

魚触らない分、熱く語るってのが本当のような気がします。そういう趣味であることをふんぺいは望むわけなんですが、いかがでしょう?

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2009年12月12日 (土)

『日本の国宝、最初はこんな色だった』(読書ノート)

『日本の国宝、最初はこんな色だった』を読みました。

小林泰三 光文社新書

国宝の絵画や建造物や仏像を、デジタルの画像を通じて建立当時の色を再現する試みから見えてくるものを著者は冷静に分析しています。

私たちは、絵画や仏像を経年変化した現在という尺度で見ていますが、建立された当時とは価値観も観賞の方法も心象も違う。その当時の作者の意図を汲み取るにはどうするか、私たちは全く違ったものをその作品から感じているのではないか。等々大変判りやすく書かれています。

私たちが見ている仏像一つとっても、今のように侘びさびた感じではなく、黄金色に光り輝いていたんですよね。お寺の内装にしても、塗装が剥げ落ちた寂寥感のある雰囲気に美を感じるのも良いのですが、実は当時は極彩色に彩られていた。

私たちは勘違いしている。作者の意図とは違うものを感じ取ってしまっている。そんな気がするわけです。

本来の意図はどこにあったのかを正確に知ることは、現在の価値観を肯定する前に比較検討する必要性があるってことなんだと思うんです。

色というものはそれだけ強烈に私たちに語りかけるものなのだと思うんです。さてらんちゅうに話を戻しますよ。(^^;) (やっぱ落としどころはそこか・・・・)

今は龍頭が流行とか、更紗が持て囃されるとか、色が薄いのは敬遠されるとか、現代人の嗜好性(好み)を云々する前に、本来はどうであったかということを検証して知る必要があるってことなんだと思うんです。

らんちゅうの色にしても、濃い色と中間色と薄い色が昔からあった。それぞれに良さがあったはずで、それぞれに昔の人は美しさを感じていたはずなんですね。温故知新ではありませんが、私たちの寄って立つ基盤とは何かを突き詰めることが、今必要とされているのではないでしょうか。

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2009年12月 7日 (月)

比叡山に登る

11月は思ったより雨が多く、山登りが出来ませんでした。ほぼ一ヶ月ぶりの登頂です。クルマで約15分の比叡山へ。

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上部高いビルが大津プリンスホテル。その右横あたりに自宅があるんです。

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紀貫之の墓が比叡山の山中にあるんですよ。貫之は比叡山からの琵琶湖の眺めが好きだったようです。
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こんな古~い石段があったりします。今では登山客しか登らない道なんですが、比叡山の僧兵が駆け下りたりしていたんでしょうねえ。今にも奥から僧兵が・・・・!

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2009年12月 6日 (日)

肉瘤アラカルト

以前、年賀状用に作製した画像をご覧にいれます。

Photo_2

恐らく現在ではトキンの上がったらんちゅうはほとんど見ることが無くなったので何がトキンなのかも理解できない方も多いのではないでしょうか。

肉瘤は四歳で完成と言われています。上記の画像は同腹の肉瘤のバリエーションなんです。これだけパターンが違うタイプが出るのですが、これは残そうという強い意志がないと残りません。なぜなら頭以外にキズがあるからなんです。普通ならハネてます。

四歳まで待たなければこれだけの肉瘤の多様性は残らないと覚悟したほうが良いようです。さらに申し上げますと、残したからといってもポテンシャルのある腹でないとこれだけのバリエーションは出てこないんです。一旦その形質を失うと出ないんですよ。

血統と残し方、この二つが相まって肉瘤の多様性は保持されるのではないでしょうか。

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2009年12月 3日 (木)

五条坂ラプソディー

ある方から五条坂の仁松邸での様子の写真をお預かりしました。庭の様子を垣間見れる貴重な写真です。

鬱蒼とした植木に宇野栄太郎氏作製の厚みのないモルタル池。何匹も居たといわれる犬。水が張ってない池が比較的新しく見えるので撮影されたのは、昭和の40年代なんでしょうか。
Img_0013a_2

今では駐車場とは想像も付きませんね。時代の移り変わりは非情です。

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