にしき様より資料を送付していただきました。心からお礼申し上げます。
早速ですが、送っていただいた『ランチュウと金魚』誠文堂新光社刊(絶版) 石川亀吉・新井邦夫著から、山崎弥兵衛(雅号 節堂)氏の一文より、らんちゅうに対する審美眼を引用しながら見ていくことにします。
山崎節堂氏(1896-1976)は、東京にて鰹節卸問屋を営みながら、書家としてつとに有名な御仁です。『らんちゅう花伝』の冒頭には写真が載っていますし、対談も収録されていますのでご参照ください。
該当の文は「ランチュウの美・理想」と題されて、山崎氏の芸術家としてのらんちゅうに対する姿勢が、山崎氏らしい比喩で表現されている含蓄のある文章となっています。
但し、当時のらんちゅうと現在のらんちゅうとを同じ物差しで計ることが出来ませんので、歴史的資料として十分耐えうるものとは思いますが、そのあたりを差し引いて考える必要はあるかと思います。前置きはその辺にして、
山崎氏は、一般に忌避する白いらんちゅうにまで美を見出しています。
「黒漆でぬり潰した盤台に泳がせると、銀魚の渋い美しさは、その品において赤の美をしのぐ」 とまで言わしめる美の探究者としての山崎氏の審美眼は、この一文で明白といえるのではないでしょうか。
その直後、氏の比喩は「躍動美と風格は、漆黒の紙に銀泥で筆太に書いた墨跡の名品にたとえよう」 とはまさに書家としてのらんちゅう鑑賞の極意を披露しての真骨頂と、大きく頷いてしまいます。
そして、「赤はリュウキンのそれより、黄のかかった在来色がよく、」
とは、氏はまたしても意表をつくらんちゅう美を論じられ、
「かつて国立博物館でツタンカーメンをみた時、・・・・・あの妖しい黄金色に愕然とした」
と、あたかも美は黄金色にありとばかりにのたまうのには、とどのつまり、らんちゅうの美の本質はその愛好家のうちにあることを仰りたかったのかと思うばかりです。
また「小股の切れ上がったひとの、すそさばきもおっとりと、にぎやかな泳ぎぶりに無限の美をたたえる」 とは、氏の尾についての評価ですが、これなどはまさしく宇野系の目指す尾ではないかと思ってしまうのです。
続いて「ひと口に小判に尾鰭というが、均整美をたたえてのことと思う」と結論付けてらんちゅうの美を総括されているのは、美術品とはかくあるべきとする氏ならではの審美眼であり、らんちゅうを高尚な趣味まで押し上げる当時としては原動力となったことでしょう。
山崎氏の一文は、格調高くわたしたちに「らんちゅうの美とはなんぞや」を教えてくれていると思いました。
ある意味、わたしたちも山崎節堂氏に倣い、既成の押し付けの美ではなく、らんちゅうの本質を探究しつつ『鑑賞力』を養う必要があるのではないかと考えさせられました。
今回はにしきさん、ありがとうございました。良い文章を読ませていただきました。
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