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2009年3月

2009年3月29日 (日)

肉瘤考ノート(ウチワエビ類推)

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上下ともに同じ愛好家の個体です。上はプリっとした左右に張り出した肉瘤が印象的ですね。パーツがはっきりと自己主張しているので私たちに与えるインパクトは凄いですね。龍頭の変形バージョンです。ウチワエビに似ているので、このような頭の個体を、以前「ウチワ」のような・・・という形容を「肉瘤考」でしました。因みに、エビって面白いんですよ。「セミエビ」をネットで調べてみてください。フンタン二つ付けた龍頭の個体にそっくり!胴も太くてまるで日らんの目指すらんちゅうがそこに居ます!尾もいいですよ~

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この個体のほうが良いと思います。このトキンの乗り方はあまり見かけませんね。獅子頭の基本にしたい個体です。このようなタイプを親にしないと前述の個体は出来ないんだと思うんですよね。このような立体的な頭の質が色々なバリエーションの頭を創出すると思っています。

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2009年3月28日 (土)

種を考える

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つるんとしたトキンが乗っているタイプですね。これもある愛好家の魚です。色々なタイプが出るんですよね。アカムシや特殊な餌でこうなるってわけじゃないんです。

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素赤(猩猩)のタイプも綺麗ですね。一級品ですね。

さて、どちらを種に使うか?

頭を優先するんだったら先のほうです。尾も含めてのバランスなら後のほうかな?会用としては更紗も出るでしょうし良さげですよね!

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2009年3月27日 (金)

ミッキーマウス

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うちの金魚じゃありませんよ。目下が白いのでまるでミッキーのシルエットみたいな頭ですね。フンタンが団扇状に張り出していて派手です。反面、トキンはしぼみ気味ですね。これは龍頭の一バリエーションですね。個体差ですから狙って出来るものじゃないんだと思います。同じように飼育していてこのような個体も出るということは、やっぱり血統なのでしょうね。

ふんぺいの考えは、色々肉瘤を見てきましたが、肉瘤が上がるタイプは自然と上がります。上がらないタイプは何をやっても上がりません。餌を変えようが一緒です。二歳、三歳で結論を出したら駄目なんでしょうが、形質が消失していたらこのようにはならないようです。

ただし、三歳まで丸い頭でも四歳で見違えるようになるタイプも居るんですね。いわゆる晩稲(おくて)です。こればっかりは、その系統を長年やってないと判断できないんだと思うんです。二歳で出るタイプの早稲(わせ)もありますが、親になるとメリハリのない頭になりやすい傾向があるようですよ。

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2009年3月25日 (水)

形質を見る(私の鑑賞方法)

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洗面器に1尾ずつ上げて具体的なふんぺいの鑑賞の仕方をやってみます。

①まずざっと見る。頭→胴→尾筒→尾付け→尾の順番で見ます。

②次に頭の形質を吟味する。この個体は目の付き方、トキンがしっかり四角く乗って鰓にも肉が付かずにすっきりした良い顔立ちに仕上がっていると判断します。

③次に胴の質を吟味します。この時点で背が高かったりしたらマイナスですね。この個体は背に嫌な肉も盛ってませんし良い感じ。腹も下がってないのでズドーンと胴太く見せています。

④尾筒は筒伸びですが会用ではないので最低限の部分はクリアしていると見ます。同時に尾付けは丸く残しているので尾は付いてませんが種として使えると判断します。すなわちこの仔には尾がしっかり付いた仔も出るということです。(数は少ないですが)

尾から入るとこの個体は残らないということになりますよね。
要は、「欠点はあるが特徴のある魚を残せ」をどう実践するかなんですが、機械的に尾でハネればこのような個体は残らないという例なんです。

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2009年3月22日 (日)

死魚を観察する2

本日も昨日に引き続き死魚の観察です。

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昨日の個体と比較してみてください。細いですね~これが本来の背巾ですね。頭と背の付け根に注目。ここが一番細くなっています。胴の真ん中に背骨があり、その部分が盛り上がっていますね。両側に屋根のように傾斜して両サイドにストンと落ちているのが見て取れますね。この傾斜がゆるいほど巾があるように見えるわけです。

それを皮下脂肪が乗ることによって巾に見せているってことですね。腹部分が横に張り出しているのは内臓ですね。この部分は骨に包まれていないのでこのようにぷっくりとしていることになるんですね。

餌によって皮下脂肪を付けるとこの個体も見違えるようになります。痩せて死ぬ時、個体が見せる形態も勉強になるって話しです。

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2009年3月21日 (土)

死魚を観察する

本日はグロいです。(^^;) 気の弱い人も目を背けちゃ駄目ですよ~
死は直視しなけりゃね。

死因は内臓疾患、もしくは老衰なんですが長いこと水底で横たわっていた個体なんです。遂に死んでくれたかって感じなんですが、これを見て思うことがあるので書き留めておきます。ま、しかし何尾か水温が下がると寝たきりが出ますが、回復することはないですね。冬の苛酷な環境に耐えられなかったんですね。

さて・・・・グロい画像行きます。

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発見まで少し時間が経っていたみたいです。尾が溶けてますね。そんなのはどうでもいいんです。ここで観察しなければならないのは、この個体の本当の姿。それが見れるんですね。
背巾です。餌をパンパンに付けて肉が乗っている時と比較すると、この個体の真の骨格が見えて来るんだと思うんです。死んだら普通の個体はもっと細いです。痩せてはじめて見えることがあるんですね。

偉そうなこと言ってますが、この胴の見方もふんぺいが考え出したことじゃありません。教えてもらったことなんです。それを自分なりに勉強しているんです。死んだ個体からも勉強できるって例ですね。

もういっちょ!
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横見です。理想的な背なりですね。上から見て横見を想像できないといけないんですが、例として出しておきます。

背巾とは何か?をこんなところからも勉強できるんですね。

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2009年3月20日 (金)

親と子比較

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上がメス親、下が明け三歳。

やっぱ、なんか似てますね。

頭の雰囲気も似てますよね。ということは親以上の頭にはならないってことかもしれません。どれだけ伸びるかは魚に聞いてみDsc_4196ないと判らないんですよね。

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2009年3月19日 (木)

明け三歳

Dsc_4227 明け三歳ですが、尾筒が少し曲がってますね。そんなのは大したことじゃないんですね。このような個体が秋にどうなっているか・・・・ですね。

恐らく良い顔になるんじゃないでしょうか。

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水換え

Dsc_4179 そろそろ実戦モードに突入なんで、書くことも変えて行きますね。

水換えはこんな感じでやってます。

古水を抜いて、60センチの洗面器に魚を上げます。500Lの水槽なら古水を洗面器2杯とバケツ1杯ぐらいで水あわせします。

この時に魚に異常が無いか点検します。

ですから白い洗面器は、値段も高いですけど愛好家なら必ず用意してください。白い洗面器で鑑賞するのが基本なんですからこんなところはケチったら駄目ですよ~

叩きヅラ(池に泳いでいる時の魚の見え方)と、洗面器に上げた時の違いを把握できるように訓練してください。これがなかなか難しい!

他人の池を見て、「これ!」って判るようになったら一人前ですよ~

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2009年3月18日 (水)

出ないものを出す

現代の中国金魚を見ると、それはもう百花繚乱。

金魚の遺伝というものがこれほどまでに奔放なのかを見せつけられますね。フナの中から色の付いた個体を、抜け目無く繁殖させていったのが金魚の祖先と言われています。

それがわずか数百年でなんとも多くの品種を産んだ。そしてその品種は年々また増えては消え、消えては増えていっているんですね。近年の中国らんちゅうを見ても、我々日本人が考えも及ばない形質を持ち合わせた個体があったりして、驚くばかりです。

日本の場合は、ある一定の枠組みにはめて、その中で美を競わせるという文化が発達しているので、中国らんちゅうはまさしく「外道」になってしまうのですよね。日本人が一般に美しく思わない部分でも突き詰めて行くと、美しいとは思わないにしても凄い!と思っちゃう部分てあるような気がします。

それだけ金魚には遺伝子の不安定な部分があって、可塑性が高い形態なんだってことを見せ付けられてしまいますよね。

裏を返せば、こういうタイプの頭にはこういう胴が付くとか、頭が良いと尾が弱いとかそんなことはただ傾向であって、それを逃げ口上にしてはいけないだと思わされます。らんちゅうなんてたかだか100年ちょっとの新しい品種なんですから、何が出てきてもおかしくないんだし、日本人は目ざとく見つけて残す努力をしなければ、中国に負けてしまうのではないでしょうか。

出なけりゃ出す!出るのを待つ!

中国で色の付いたフナを見過ごしていたら今の金魚は無かったんですよね。日本で地金や土佐錦魚も良くもまあ、あのような形態を残したものです。そんな凄い先達が居るじゃないですか!らんちゅうも念じれば出ますよ!きっと。そういうもんじゃないんですかね。

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2009年3月17日 (火)

造形物としてのらんちゅう

こんな話しを昔聞きました、というか読みました。

らんちゅうを見るに際して、色は邪魔だ。赤一色で良い。

らんちゅうを長年やっている古老の話しですが、これもまた真なりだと思うんです。らんちゅうの持つ造形美を鑑賞するには色が邪魔をするということですね。一切の模様を排除することによって形の美に集中して鑑賞するという態度は、潔いし清清しくもあります。粋です。

これが関東らんちゅうの本来の鑑賞態度だったのでしょう。

なぜ模様(更紗)を嫌ったのか?

それはこのブログでも何度か触れていますが、模様というものはどうしても柄に引きずられて形を見誤りやすいと思うんです。「柄で損する」という言い方をする場合があるのですが、柄の入り方で魚が曲がって見えたり細く見えたりするんですね。

すなわち、色柄の影響でその魚の本来持っている形を正当に評価できない可能性があるってことです。種魚を残す時には致命的なんだと思うんですよね。会魚としては通用しないとしても、種魚としての素質は色柄に左右されることはどうか?と考えるわけです。

ですから、古老はそんなめんどくさいこと抜きにして模様は最初からペケにしたんだと思うんです。

らんちゅうの造形物としての形の評価をしっかり意識しないと、大阪らんちゅうのように、あまりにも色柄を神経質に追い求めたが故に、本来造形物としての形が疎かになって絶滅したっていう二の舞になるのではないかと危惧するわけです。

しっかりとした入れ物(器)があってそれに絵付けする、みたいな感じでしょうか。

造形美>色彩美 これがらんちゅうなんだと思うんです。

色彩美>造形美 の順番になっちゃったのが大阪らんちゅうの悲劇なんでしょう。

宇野先生は、大阪らんちゅうの顛末を良くご存知だったので、そのあたりのことも何度も言及されていますね。先生が面被りの固定を断念した意味をもう一度考えてみてはいかがでしょうか。

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2009年3月16日 (月)

稀少性の頂きに

観賞魚としてのらんちゅうには主要テーマがあります。というか、全ての観賞魚には必ず付きまとう同じテーマがあるんです。

皆さんお気づきがどうか判りませんが、それは「稀少性」です。

「稀少性」を軸に全ての観賞魚、大きくは社会の全ての事物は動いていると言っても過言ではないんだと思います。

宝石、限定版の書籍、絵画などの美術品等々、全て「稀少性」というキーワードで括ることが出来るんだと思います。

こと、らんちゅうに関しても一緒ですね。素人でも稀少価値が高いと認知しやすいのは品評会での評価ですね。バランスの取れた素晴らしい魚って滅多にお目にかかりません。凄く判りやすいですよね。お金に換算したら優等魚が一番高価ってことになります。その稀少性から商業的な価値が生まれるんです。

つまり、らんちゅう愛好家はみな、誰も持っていない稀少価値のある魚を求めているはずなんですね。全ては稀少性に帰結するんです。

その稀少性を尊ぶ精神とは、趣味の最も高貴な高みであるに違いないでしょう。
それを純粋に追い求めているのが宇野系の愛好家だとふんぺいは思いたいです。

そしてお金に換算できない稀少価値の気高い精神性の頂きに宇野仁松は居るような気がします。

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2009年3月15日 (日)

宇野仁松研究 その前に・・・

宇野先生の陶器について少し勉強しています。

色々と調べていくと随分と曖昧な情報が流布していることに愕然とします。誰が調べたのか、または誰かの思い込みでそのような情報になっているのか知りませんが、誤った情報で宇野仁松という人物は随分と誤解されているようです。

史実としての宇野仁松像を、今把握しておかないと恐らく今後歴史の闇に沈んでしまうのでしょうね。

ネットで「宇野仁松」を検索すると、もうステレオタイプ化された紹介ばかりで、既に偶像化されてしまっています。ネタ元は限られているのでしょうがあまりにも浅い情報だけにそれを鵜呑みにして、そこからまたまた伝言ゲームがはじまりそうです。いやもうすでに遅いのかもしれません。

原点に帰れ!というならば、まずは、まことしやかに語られている神話やそのようなムードや詰まらないトレンドを斬り捨てないと先には進めないんでしょうね。

京焼の陶芸家としての宇野先生の位置ひとつとっても、実際どれだけの実力を持った人物であったのか。それと金魚との相関関係や影響はあったのか、なかったのか。
陶器ひとつを取っても一杯見えてくるものがあるんです。共箱(陶器を収める箱)にしたためられた筆書き一つとっても発見があります。良く言いますよね。字を見ればその人となりが判るとか・・・・

陶器を勉強していると、芋づる式に色々なことが判ってきています。京焼の成り立ちや時代背景も大きな資料です。宇野仁松の全体像とまではいきませんが、近いうちに皆さんに見ていただく機会を設けたいと思っています。

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2009年3月14日 (土)

飼育のポイント10か条詳細

ふんぺい流飼育のポイント10か条の解説です~

これはふんぺいの考えですからご参考までにってことです。
なぜそう考えるのかってことをそれぞれの項目見ていきたいと思います。入門者の方は少なくとも以下を意識して飼育すれば格段の進歩が見込めると思いますよ~

・昼夜の温度差は10度(本当は5度ぐらいが適当)に抑える。

=ストレスフリーの飼育において昼夜の温度差は大変重要です。魚は急激に水温が上がったり下がったりするのが一番ダメージが大きいんですね。緩やかに上下するには大丈夫。10度と言えど本当は8~7度ぐらいに抑えるのが理想的です。

ですからタタキ池が最も良い環境なんです。室外では保温、断熱に優れているのはやっぱりタタキ池に勝つのはないでしょうね。近年はFRP水槽に断熱材(発泡スチロール)を入れたのがありますが、これも薄ければ効果はないです。

夏は当然水温が上がります。この場合は日中の温度を下げなきゃ温度差は収まりません。だから直射日光が入らないように覆いをするんですね。

温度差が明らかに収まらないとわかるなら季節を問わずヒーターで調節するのも手ですね。

・水量は多いに越したことは無い。

=入門者が一番失敗するのは、ここです。とりあえず水量の少ない小さい容器で飼育する。で慣れてきたら大きい水槽にする。反対なんです!小さい水槽で飼うほど難しいことはないんです!大きい水槽で飼えるようになったら小さい水槽で飼えるようになるんです。

なぜか?小さい水槽だと水温変化が激しい。水質変化が激しいから。何をやっても魚にとってはストレスになるんです。ストレスフリーには不利です。あ、オヤジギャグだ!(笑)
魚の調子が見れないうちは急に魚が死にます。温度計で一日の水温変化をグラフにしてみてください。さらにペーハーを計ったりして水質の変化を体感してみてください。そのうちしなくても判るようになります。

場所があればドーンとやっちゃってください。少なくとも水量は200Lは確保してみてください。50Lなんてベテランでも難しいんです。愛好家の池を見てみてください。50L並べている人なんて居ませんよ。

・水換えは神経質にやる。

=古水から新水に魚を入れる。ドボーンは駄目です。ペーハー変化で一発で調子崩すことが多いですよ。青水はアルカリに振れているはずですから、新水は中性でこの時点でペーハーショック確実です。上手くいってもストレスになってます。
ふんぺいは、
1.魚を古水とともに洗面器にあげる。
2.半分ほど新水にする。→そのまま放置(5分~10分)
3.それを何回かやる。
4.新しい水槽の水と同じ色になったら静かに放す。
※冷たい水から暖かい水になるのはOK。その逆は駄目。水温も管理。

・餌やりの時の魚の様子を徹底的に観察する。

=魚の調子を観察できる一番の場面ですね。人が近づいたら寄ってくるみたいな時が一番調子いいんですね。餌をやるとバチバチ競って食べるというのを良く覚えてください。
餌やってもよろよろ~って何となく食べるのは調子が良い状態ではないです。それを体感してみてください。食べすぎで動かないのを調子が悪いと勘違いしないでくださいね。

・魚の動きが悪い時は、とりあえず水換えして様子を見る。

=上記の調子を見る基礎が出来てはじめて「ん?なんかおかしいな?」という「気付き」ができます。おかしいと気付いて放っておいて次の日見たら酷くなってたという経験をするとあの時水換えしとけば良かったってのが判るんですよね。だからそう思った時は水換えして様子を見るということをしてみてください。

水の調子は魚の調子とイコールです。

・塩の多用。

=塩は殺菌という考えではなくて、温かい布団みたいな感覚で使うほうが良いと思います。体内と体外の浸透圧を出来るだけ少なくして安静にするみたいな感じ。自然治癒力を発揮させる為のお膳立てですね。調子が悪いと思ったら水換えプラス塩を入れるですね。因みに、ふんぺいは、20キロの並塩をワンシーズン3袋ぐらいは使います。
で、それじゃずっと塩水にしとけばいいじゃんってのを聞きますが、金魚はあくまで淡水魚ですよ。そんなことは考えないほうがいいです。

・苔は落とす。

=人によったら苔は残すという飼い方してますけど、入門者はそれは応用と考えたほうが良いと思います。苔を残すと青水になりにくくて、水の調子が見れないうちは失敗しやすいです。「苔を食わす」は会用に仕立てる時に上手く使うものと割り切ったほうが良いとふんぺいは思っています。

・魚の調子が落ちたら3日前まで遡って自分がしでかしたことを省みる。

=これが出来ないんですよね。自分が昨日食べた夕飯すら覚えられないんだから。(^^;)でも魚のことだったら覚えられますよね!ルーティーンワークで無意識にやらないで意識しながら世話してたら出来ます。

・魚の調子が良い青水の色を覚える。

=青水でも良い青水と悪い青水があります。要は魚の調子が良ければオッケーなんですが、はじめは白い洗面器に青水を掬って感じを掴んでください。茶水が悪いと一般に言われますが、魚の調子が落ちなければオッケーなんですよね。自分の環境と相談してみてください。そうそう、水の臭いも嗅いでくださいね。生臭かったら体内から分泌されているんだから調子悪いんですよ。

・万一不幸にも病気になったら放っておくことも覚える。

=病気になったら気になって一時間ごとに見ちゃうってことあると思うんです。で手を入れてさらに悪くしちゃう。それこそストレスを飼い主が率先して与えているようなもんです。これだって決めて、あとは明日の朝まで見ないってのを覚えてみてください。そしたら快方に向かっていることが多いですよ。これも経験で程度が判って来ると思いますよ。

以上、ストレスフリーの飼い方なんですが、はじめは意識してないと出来ませんが、次第に「ん?なんか変」って感じが判ってくると思います。

これが出来ているにも関らず病気になるって時は、薬品を使わなくては完治しない寄生虫や細菌やウィルスを疑うことになるんだと思うんですよね。

要するに「いかに魚にとって気持ちの良い環境であるか」をまずは志向しないと魚は良くなりません。飼ってるだけじゃ面白くないでしょ?

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2009年3月13日 (金)

ストレスフリーの飼育方法とは

らんちゅう飼育の場合、室外飼育が基本となりますので自然界の環境と切り離して考えることはできないんですよね。

室内水槽の場合は、病原体フリーの閉ざされた環境を作り出すことが可能ですが、室外の場合は管理する要因が格段に増えます。

閉鎖系(室内)と開放系(室外)の飼育のメリットとデメリットを良く思考しなければならないと思うんですね。特に開放系の室外飼育においては、細菌やウィルスの飛来まで考慮に入れるとなると、もう室外飼育は不可能に近いでしょう。

病気になった場合は、外部からの病原菌が要因なのか、環境的な要因なのかはベテランでもなかなか判断し難いものです。それを専門家ではない飼育家が判断して治療に当たるのですからこんな曖昧なものはないんだと思うんです。

それを徹底するのであれば、顕微鏡が必需品ですね。ウィルス感染を疑うのであれば電子顕微鏡が必要でしょう。電子顕微鏡があるだけでは駄目なんでしょうね。それを使いこなす設備を完備しなければならないでしょうし、そうなってくると素人ではなかなか無理な相談です。

つまり、私たちはその病状というか症状を観察することのみを許されている、ということです。ウィルスは外皮に症状として現れてくれれば良いですが、内臓に症状が出る場合が多いので、全て腑分けしないと原因は特定できないと言えるのではないでしょうか。いちいちそんなこと出来ないし、そっち方向に原因を特定することがおよそ無理なんですからそんな難しいことをする前に、らんちゅう(金魚)を飼う人が心がけたほうが良いことがあるはずなんですよね。

ならばどうするか?
病気にしない方法を徹底するしかないでしょうね。
もう言い古された言葉ですが、「早期発見早期治療」、大事に至る前に要因を取り除くってことですよね。これが普通に出来てはじめて病気の本当の原因が外部からの病原菌であると判断できる根拠が生まれるんだと思うんです。その時のキーワードは『ストレスフリー』です。

室外飼育でのポイントは、何にも増してストレスフリーの飼育方法を実践することだとふんぺいは思っています。

ふんぺい流飼育のポイント10か条

・昼夜の温度差は10度(本当は5度ぐらいが適当)に抑える。
・水量は多いに越したことは無い。
・水換えは神経質にやる。
・餌やりの時の魚の様子を徹底的に観察する。
・魚の動きが悪い時は、とりあえず水換えして様子を見る。
・塩の多用。
・苔は落とす。
・魚の調子が落ちたら3日前まで遡って自分がしでかしたことを省みる。
・魚の調子が良い青水の色を覚える。
・万一不幸にも病気になったら放っておくことも覚える。

これが出来たら格段に殺さなくなります、普通は。

今まで技術論は後回しって言ってましたが、これは技術論ではなくらんちゅう飼いの基本の考え方なんです。ストレスフリーの飼育方法を実践する際の「らんちゅうを健康に飼う」ということの具体的な指針なんです。

明日は以上のことを詳しく説明していきますね。

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2009年3月12日 (木)

遺伝学入門メモ

ちょっと遺伝の法則の基本をおさらいするメモです。

らんちゅうの場合、雑種の掛け合わせなんで形質の固定化はもう無茶苦茶ですから単純な法則性がなかなか見出せないんですよね。
グッピーをおやりになっている愛好家なんかは、ほんと、このあたりの基本がわかっていて頭で考えなくても身についていらっしゃるんだとかねがね思っていたんです。

で、ふんぺいなりに遺伝の基本をらんちゅうに適用して考えてみます。
間違っていたらご指摘くださいね。

基本中の基本ですが、まず掛け合わせについて、両親の遺伝子を半分ずつ受け継ぐんですよね。とりあえず「肉瘤は遺伝する」を例に取って考えてみます。

【前提条件】として
肉瘤はAAの時のみ発現すると仮定する=ABやBBの時は発現しないと仮定する
B遺伝子は優勢遺伝する(要するにBの遺伝子を持つと肉瘤は出ない)

   親AA × 親BB     
          ※AAの親は肉瘤出ている、BBは出ていない       
       ↓

F1   仔AB × 仔AB        
         F1=雑種第一代目 F2=雑種第二代目・・・・・・・・

  ○F1世代は、全てへテロ(AB)となる、ということは全部肉瘤
        は出ないことになる。
  ○親の良いとこ取りの場合もあるし、全然駄目な場合もある。
   因みに良いとこ取りのこればっかする人は「F1野郎」
       と言ってバカにされます(^^;)
  ○F1の仔同士の兄弟掛けをすると・・・・

       ↓

F2   AA :AB :AB :BB (順列組み合わせで行くと)
            =分離の法則
     1:2:1に分離

   ○F2世代にて、はじめて分離される
          ホモ(AA)が四分の一出る。          =純系が出る
   ○隔世遺伝とはこのこと。
   ○AA同士で掛ければ純系が出来るが、
         そう話しは単純ではないですね。
   ○この場合、AAはABとBBに対して「劣性」であるという。

※理論的には四分の一出てますが、例えば尾でハネてたらその確率はもっと少なくなるってことです。下手すりゃ1尾も残らないこともありますね。もっと言うと色でハネるのもペケってことなんでしょうね。

   ○それをさらに出たホモ(AA)とヘテロ(AB)で掛けると

F3   AA × AB ホモとヘテロとの組み合わせ

        ↓

F4   AA :AB :AA :AB となり
          純系の頻度(二分の一)があがる
       1:1ですね

理論上は、そうなんですよね。これを繰り返すと段々、間違えてヘテロが入っていても遺伝子は揃ってくると考えられ純系の頻度が高くなってくるとなるんですよね。

ま、それでもF4までこれを実践しても半分までしか純系は現れないわけです。雑種4代目って、単純に考えて肉瘤の発現を待っての掛け合わせなんだから3年×4回だから、12年ですよ!これは人の一生では短いですよねえ。

これは本当に遺伝を単純化したモデルです。こんなことは実際にはありえないですね。肉瘤の形質発現の為の遺伝子はもっともっと複雑になっていると思われます。こちらが出たらあちらが出ないってことが一杯あるんだと思います。とりあえず前提条件を単純化しただけですから考え方ってことです、あくまで。

肉瘤だけではなく、その他の形質、胴の質、尾の質に関しても同じようなモデルが考えられます。そうなると形質の組み合わせは一挙に増えて天文学的な数字になって、もう何がなにやらわかんなくなっちゃいますよね。もうあとは勘のみの世界か???
いえいえ、「固定」という考えではなく「改良」と考えれば方策はあるはず!と思わないとやってられません。(笑)

ですから、ここでは純系(AA)を見つけ出す作業が重要になってくるんですよね。
それをどうやるか?です。ふんぺいが考えるには、「F2まではとりあえず掛けろ!かな?そして見極めろ!」を実践しないと結果がでないような気がします。

すみません、もっと良くご存知な方ご指摘お願いします~

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2009年3月11日 (水)

自分の魚が見えない理由

よく能書きをたれる愛好家がいるじゃないですか。じゃアンタどんな魚飼ってるのって見せてもらったら、いやいや言ってることとやってることが違うじゃないかって突っ込み入れたくなることあるんですよ。

そういうオマエはどうなんだって言われそうですけど、偉そうなこと実は言えないんですよ。なぜなら生来誰しも自分の魚は見えないもんなんですよ。客観的に鑑定できないんです。

よくあるじゃないですか。こと自分の行動となると、他人には的確なアドバイスが出来ても自分には出来ないってこと。なんであんな人格者の人がこんなことするんだろうってあるでしょ?自分のことはわからないもんなんです。他人から言われてはじめて判るってこと往々にしてあるんじゃないでしょうか。

これは脳の癖なんでしょうね。“主観”が入ると正常な判断や行動が阻害される。

だから飼っているらんちゅうも、自分のは毎日見るし欠点は見えなくなっている。どんな人でもそうなんだと思うんですよ。容易に客観的には見ることが出来ないってことなんですよね。そういう仕組みなんだから、その陥穽に落ちないように意識しないと駄目なんですよね。

じゃ、どうするか?上記のように客観的に見るように努力して意識すること。
それから他人の意見にいつも耳を傾けるように謙虚でいること。

これで回避できるんじゃないでしょうか。他人にはいつも意見を言ってもらえるような雰囲気を作っておくことや、意見を修正できる柔軟性が求められるんじゃないでしょうか。

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2009年3月10日 (火)

現物の意味するもの

らんちゅうの世界というか観賞魚の世界ってやっぱり現物なんですよね。

理論がいかに素晴らしくても、それを証明する現物、実物が居なければ愛好家は信用してくれないんですね。そりゃそうでしょう。いくら言葉を尽くしても結局、そういう魚が居れば「百聞は一見にしかず」ですから。今まで聞いていた話しも、ひと目見てしまったが故に、ガラガラと音を立てて今までの常識が崩れ去るってことが起こるんです。

その時の反応は、人によって違います。素直に謙虚に受け入れる人と、今までやって来たことを否定されるのを恐れて見なかったことにする人に分かれるんだと思うんです。前者は、ある意味、節操がないって言われそうですね。後者は、あたかも自分の人生を否定されたように感じるので受け入れがたいのでしょうね。

じゃ、どっちが正解なんだ?ってことになるんですが、ふんぺいはどっちでも正解なんだと思うんですよね。どちらも否定できません。なぜなら趣味だから。日々楽しく豊かに生活するための趣味なんですから。面白くなくなったら止めちゃうでしょ?それでいいんだと思います。

でもね、でもですよ。個人的には、スタンスとして冷静に考えて長い目で見たら、前者のほうが良いように思うんですよね。ストイックにらんちゅうを極めるという方向のほうが、ふんぺい的には性に合っているように思うし、出来ればそういう人が増えればいいなって思うんですよね。

例えばの話しですよ。素晴らしい兜巾のらんちゅうなんて見たこと無い人がほとんどじゃないですか。見たことがないから、程度が判らないから、今居る現物で満足してしまっているわけですよ。ある時、ひょんなことから素晴らしい兜巾のらんちゅうを見てしまったら・・・・
もう「今までのは何だったんだ?」ってことになっちゃうんだと思うわけです。

その時に現状に安住するか? はたまた未知の荒野に旅立つか?
ま、自分でどんどんハードルを上げちゃってるわけですけどね。こんなもんだって思ってたら、え~!!まだ先があるの?!って感じなんですよね。

目の肥えた愛好家を納得させるのは、そういう魚を出したらいいんです。作るじゃなくて出すですよ。残すって言ったほうがいいですかね。だから正直なところ、納得できる理論もそうなんですが、それ以上に理論の正当性を証明する現物を見せてくれないとその理論は空論とみなされるわけなんです。

ということは、らんちゅう飼いは、優れた理論家であり、優れた飼育家でなければいけないってことなんだと思うんです。

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2009年3月 9日 (月)

『気付き』について

科学は「気付く」ことが大切だそうです。

「気付き」があってそれを検証するという作業ですね。それの積み重ねが科学が発展してきた源なんですね。

千差万別な事象の中で法則を見出すのは、気付かなければはじまらないですよね。偶然ってあるじゃないですか。ノーベル賞を受賞した田中さんでしたっけ?市井の研究者ですけど、間違えて薬品を混ぜて発見したんですよね。それをただ「あ、間違えた」って見過ごす可能性だってあったんだと思うんですよね。それを見過ごさなかったから凄い発見に繋がったんでしょう。

でもね、そう考えると「気付き」だけ考えちゃ駄目なんだと思うんですよ。それまでの努力があって蓄積があるから気付くことが出来たんだと思うんです。無目的というか漠然と何も考えていなかったわけじゃないですよね。

ニュートンの逸話で、リンゴが木から落ちるのを見て万有引力の法則を見つけたって言うのも「気付き」の逸話ですけど、ニュートンはそれまで散々考えていたんですよね。

そういうのを、脳科学者の茂木健一郎氏は「セレンディピティ」って言ってました。まさしくそのとおりだと思うんです。「セレンディピティ」に興味のある方は調べてみてください。

阿呆ならんちゅう愛好家に話しを戻すと、年がら年中らんちゅうのこと考えて、あーでもないこーでもないって考えてるわけですよ。その蓄積があってはじめて気付くわけです。気付いただけじゃ駄目なんですけどね。蓄積してなきゃ気付かないし、見逃してしまうわけですよ。それが「セレンディピティ」の要諦。

らんちゅうにシーズンオフはありませんよ!らんちゅうを思考して科学すること。そして実践して検証すること。のんびりしている暇なんてないなあ~

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2009年3月 8日 (日)

師弟制度

百年に一度の経済危機だそうです。確かにバブル崩壊時と違い、アメリカ発であるだけに根は深いと感じます。去年の今ごろは、人手不足、原材料高騰、食料、石油高騰でどこまで上がるのだろうと思いました。行き場の無いお金が爆発寸前だったんですね。今から思えばあれが予兆だったんですね。

バブル崩壊時、企業はこぞってリストラと称して人員削減と新入社員を採用しないでいましたね。そのような短期的な経営しかしなかった会社は、今困っているそうです。今、技術を持った団塊の世代が大量に定年を迎え、その技術を伝承するはずの中堅がいないことに気が付いたんですね。

日本の生産の現場が他国より優れていたのは、何よりもその技術を持った人材であることが再認識されてきたんですね。企業の永続性を担保するのは人材であるということ。今「師弟制度」を採用する企業が増えているそうです。

師匠と弟子。技術はもとより受け継がなければならない精神性、つまり心構えを含む人間性を教えること。さらに言葉では言い表せない緊張感や微妙な心の動きなど全体性を学ぶこと。

師弟制度が見直され、現代に蘇る意味を、ふんぺいは趣味にまで拡張して考えるんです。もっとも、らんちゅうの世界はまだまだ残ってはいますが。マニュアルでは判らない多くのことや奥深さは言葉の彼方にあるはずなんです。それを伝えようとする師匠の熱意と、それを理解しようとする弟子の学ぶ努力と姿勢が『伝承』なんでしょう。

やっぱり、らんちゅうの世界も師弟制度が必要なんじゃないですか?

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2009年3月 7日 (土)

会の遊び方

らんちゅうの遊び方は色々あります。

会で遊ぶ場合は、会で入賞しそうな魚を自前で作るか、それ相応のお金(宇野系の場合は、基本的にないですが)や熱意で愛好家から譲って貰って賞獲りに励みます。目的は入賞ですから、優等を獲っちゃうと、とりあえず当初の目的は達成されるので、次なる目標を設定しなければなりません。

次なる目標の設定を間違えると、例えば「毎回必ず優等に入る!」みたいな随分不遜な目標設定なんかした場合は、入賞しないと不満となってそのはけ口は、仲間ならまだしも、エスカレートすれば審査員に食って掛かるという全くもって愛好家として恥ずかしい行動を取ってしまいかねません。聞いててみっともないので、ふんぺいとしては止めて欲しいです、そういうのは。

会の傾向と対策をしていればわかるはずなんですけど・・・・

それから、魚の調子もあるし、たまたま運悪い場合だってあるし、品評会は魔物が住んでいるもんです。勝負ってそういうもんじゃないですか。

品評会は比較会ですから、AよりもB、BよりもC、CよりもAって世界でしょ?じゃどれが一番?ってことなんだからクォリティが誰の目にも明らかなもの以外どれが一番になるかはその審査員の先生のさじ加減一つなんですよね。

どこの会でも洗面器の下のほうに「なんでこんなところに居るの?」ってのが居るでしょ?そういうのを見て色々と類推していって会の傾向などを考えるのって面白くないですか。

それと、文句を言う人は審査員を信頼してないんですよね。信頼してないんだったらその会で遊ぶ意味ないんですよ。見る人が見れば、たとえ下のほうに居ても絶対に評価してますから。それでいいんじゃないですか?賞が取れなくても魚の良し悪しを認める人は必ずいると思って、ぐっとこらえてもらわないと会は成り立ちません。

賞を獲るのが目的なら致し方ないんですが、良魚を作るのが目的なら、今一度再考して欲しいですね。良魚を作らなければ賞は獲れないんですから、まずは心構えから勉強して欲しいです。初心に帰りましょう!

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2009年3月 6日 (金)

一人前ということ

以前は、宇野系らんちゅう愛好家であることはブリーダーであることを意味していました。最近はというと少し様相が変わってきてるようです。

ふんぺいがはじめた頃は、自分で採卵して稚魚から親になるまで飼育して、さらに自家産の親で仔を採るというサイクルを一通り経験してはじめて一人前とされました。最低5年は我慢してました。我慢というか5年やらないと判らないんです、実際のところ。

その間、せっせと会にらんちゅうを持って行き、先輩の魚と一緒に泳がせて比較して自分の魚の足りない部分を肌で感じるんですね。この経験は本当に貴重です。

はじめは冷静に見ることが出来ないんです。会に持って行ったら自分の魚を覚えるだけで精一杯。他人の魚なんて見えません。何が足りないんだろう?と頭がグルグルしてあっというまに会は終了。

それを何年か続けていくうちに会にも慣れて、他人の魚も覚えられるようになってきます。そうなってくると「会で遊ぶ」ことが出来るようになるんですね。

先輩とも対等に同じらんちゅう仲間として魚談義ができるようになり、そうなってはじめてららんちゅう飼いとして認められた、一人前になったと感じることが出来るんですね。

ですから、入門者の方に言いたいのは、最低5年は無我夢中で親になるまで飼うことをやってみて欲しいということ。その間、会で遊ぶことも是非やってみてください。騙されたと思って実践していただいたらふんぺいが言う意味が体感できると思いますよ。こればっかりは言葉では判って貰えない部分なんです。

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2009年3月 5日 (木)

目は見ていない

魚の見える人と見えない人が居ますよね。

なぜ同じ魚を見ているのにも関らず魚を評価できたりできなかったりするのか?
その個人差はなぜ生まれるのか?

このような問いを視覚情報処理の知見から分析してみたいと思います。

眼の仕組みからまず見ていくと、人間の眼球は丸く、一方から光が入り、その光を網膜に投影して、投影した像を視神経が反応してそのデータを脳に送るという形なんですね。

網膜一面にはその視神経がスクリーンのように分布しているんですが、網膜全体に渡って均一に視神経が分布しているんじゃないんですね。その視神経が集中している場所があり、それを「中心窩(ちゅうしんか)」と言うんです。人はその中心窩で精細にものを見ていて、あとはボヤ~っとしか見てないんです。

例えば、本を読む時など、ある文字に集中してみてください。他の周辺の文字って判読できないでしょ?さらに言うと、周辺の色も判別できないんですね。連続して見ているつもりですが、それは脳がそのように処理しているからなんです。これを「有効視野」と言います。

で、眼球は狭い中心窩で全体を把握するために絶えず動かなければならないんです。その眼球運動は一秒間に3回動く計算になり、そうやって脳にデータを送ってさまざまな判断をしているんですね。

点と点を結んで動いているというイメージなんですね。ということは、その対象物の注目する場所が人によって違うと見ているようで見ていないということになります。

眼の特性ってこういうものなんですね。すなわち、人によってらんちゅうの注目して見る場所が違えば見落としは当然出てくるでしょうし、印象も違ってくるということです。

それでですね、人の眼球の特性があり、さらにはその対象物を処理する脳が見ていることになるんですが、この脳がまた厄介なんですよね。

鑑賞するということの科学的な意味や仕組みを知ることが大事なんじゃないかなとふんぺいは思っているんです。

※池田光男氏の『眼はなにを見ているか』平凡社 を参考にしました。

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2009年3月 4日 (水)

需要と供給

宇野らんちゅうの愛好会は、アマチュア主体の会運営で、業者は居ないことが暗黙の了解とされていました。不文律として魚の売買はご法度で、あくまで魚の交流は人間関係を構築しなければ難しいと言われてきたんですね。(その経緯はいろいろあるんですが)

これはある意味、血統を保存することに寄与してきたんですが、入門者にとっては大きな壁として立ちはだかることになっていて、最近は、入門者が安易にネットオークションなどに流れて、逆に遠回りする傾向が顕著になってきたように思います。

『宇野系らんちゅうの魅力』なる書物などは、自分で言うのもなんですが、お蔭様で好評で入手困難と聞きます。ネットで3500円で売られているのを見るにつけ、熱烈な宇野らんちゅうファンの多さに逆に身が引き締まる思いです。

それだけに、宇野らんちゅうの起爆剤になった感がありますが、良い意味でも悪い意味でもマーケットが形成されたにも関らず、受け皿の間口が狭い状態が続いているのかもしれません。アマチュアが主体なので仕方がないことなんでしょうが、これは翻って考えると憂慮する問題でもあると思われます。

入門者を既存の愛好会が掬い上げきれない状態を何とか解消しないと、裾野は広がらないとも言えるのではないでしょうか。娯楽の多様化した現代においては、待ちの姿勢では衰退は免れないという危機感を共有したいですね。

潜在需要をいかに表面化させて次代を担う愛好家を育てるか。これが今後問われるとするなら、既存の愛好会のあり方を見直し、なおかつネットやメディアをいかに有機的に活用していくかも課題になってくるのではないかと考えるわけです。

現状は需要と供給のアンバランスが、ネットオークションなどを通しての愛好家のモラルの低下を招き、宇野らんちゅうの美徳としてきた根本の理念が揺らぎつつあるのだということを愛好家は自覚し、互いに知恵を絞って新しい形の提案をしていかなければならないのではないかと思う今日この頃です。

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2009年3月 3日 (火)

金魚の日

3月3日は雛祭りです。

金魚業界は、10数年前よりこの3月3日を「金魚の日」と制定しました。
その由来は、江戸時代にお雛さまと一緒に金魚を飾ったという風習からと聞いています。しかし、残念ながら制定されてから月日が経ちますが一向に世間一般に認知されたようには聞きません。

3月という季節は、まだ普通冬眠している時期ですし流通にはなかなか結びつかないという理由と、金魚はやっぱり夏の風物という世間の常識が邪魔しているからでしょう。

業界としては2月3月が一番苦しい時期なので庶民の感覚を変えて安定した収入を得たいという魂胆が見え隠れしますが、金魚が季節物という観念はどうも強固なもののようですね。

かたやらんちゅう愛好家にとって「金魚の日」は有名無実。もうすでに「金魚の日」はおろか「子供の日」みたいに稚魚だらけの愛好家もいたりなんかするんですよね。

業界はそんなマス(大衆)を追うのではなく、そういう季節もへったくれもないマニアをターゲットにしたほうがなんぼかマシなような気がするんですけど。

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2009年3月 2日 (月)

糠漬けと池管理

サイトに以前書いたことなんですが、先日テレビで糠漬けのことをやっていたので、ここでもう一度テレビから得た情報も加えて考えてみます。

糠漬け(ぬかづけ)は皆さんご存知ですよね。一般に糠床には一人の人しか手を入れてはいけないと言われます。腐ったり味が変わるからなんですが、じゃ、糠漬けを製造しているお店では糠床は一人の人しか触っていないのか? 一人しか触ってないそうです。やっぱり味が変わるそうです。

糠漬けのあの酸味などは乳酸菌が発酵しているんだそうですが、人の手に付いている乳酸菌は微妙に違うそうです。乳酸菌といえども200種類ほどありそれぞれ違うんですね。

乳酸菌は有用菌だから良いのですが、人が変わって今まで繁殖していた菌のバランスが崩れるから味が変わるわけですね。

で、池を糠床と見立てると、人が変わると今までその池で繁殖している常在菌バランスが崩れる→ある菌が異常繁殖する→魚が鰓病に罹る ってなサイクルが成立するんじゃないかってことなんです。

他人が池に手を入れると病気になったって良く聞きます。また新しい魚を入れたら病気になったってのも良く聞きますよね。新しい菌に耐性が無かったからという説明も出来ますが、どちらかというと糠漬け理論のほうが納得がいく場合が多いんですよね。

だから少なくとも他人が池に手を入れるのはご法度です。あいつが来ただけで魚が調子崩れたみたいなことまで言われる場合があるのでそのあたりは十分注意してくださいね。

ま、自分の池は糠床と一緒と考えると、ほぼ各池の常在菌はみんな一緒って思って間違いないんでしょう。それでも調子が悪くなる場合は他に原因があるんだと考えたほうが良いですね。例えば池の置かれた場所とか。室外飼育は日々環境が変わりますし、臨機応変に管理を考えないとイコールコンディションにはならないですから。

細菌といかに共生するか、なんだと思うんです。青水の作り方からはじまって魚の調子を見る観察力。池管理は魚の状態を見れば一目瞭然なんですね。

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2009年3月 1日 (日)

ブログ雑感

しかし良くもまあほぼ毎日更新してるものです。

どこのらんちゅうのブログ見ても大体画像中心で読み物の体裁は取ってないですよね。で、こんなこと言ったら「オマエは何様のつもりだ!」ってお叱りを受けるかもしれませんが、自分とこの自慢大会ばっかりで、どうもなあ、もうちょっとどうにかなりません?って言いたくなっちゃうのはふんぺいだけでしょうか?

そもそもブログってものは公開日記なんですから何でもいいんでしょうけどね。
毎日更新してるのも暇だからだし、シーズンインしたらこんなペースで書かないでしょうし・・・

去年の今ごろだったかな?金魚三昧に今回掲載された「京都らんちゅうの系譜」の文章の骨子が出来たのも。で、シーズンインしてほとんどほったらかしで11月頃おもむろに書き上げたって感じなんですよね。この間何にも考えていないかというと、そうでもないんですよね。どんどん熟成されていくみたいな感じですらっと出来上がりました。

大ネタはあと三つ温めています。どれが最初に出るかはふんぺいの中ではもう決まってます。宇野系やってる人は最低知っといて欲しいって情報ばかりなんですよね。

そんなわけで、長いことサイトもお休みしてた反動で、それまで溜まっていたもんが、ドバーって出てるみたいなふうに考えてもらってもう少しお付き合いください。

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