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2009年1月 7日 (水)

宇野仁松がなぜスゴイか?

ネットで簡単に情報を集められ、多くの蓄積された書籍に当たることが出来る現代に私たちは慣れ過ぎていると思うのです。今の尺度と常識で宇野先生のご活躍された時代を想像しては、宇野仁松という人物を見誤ります。

焼き物の世界には、織部焼なるものがあります。室町末期に能阿弥という「唐物数寄」の権威が居て、侘び茶を考案した村田珠光、そして武野紹鴎、千利休と続くその流れから古田織部が茶の世界に革命を起こした焼き物と言われています。「へうげもの」という時代の風潮を鋭く茶の湯の世界に導入した人物なんですが、織部様式は独特の世界観を表出したのですが、とんでもなく独創性のある現代でも通じる美を醸し出しています。しかし、それは侘び茶という歴史を振り返り、時代背景をしっかりと認識していないと、あたかも突然に出てきたように思われます。でも千利休が居て武野紹鴎が居なければ織部様式は無かったのだと思うのです。

同様に、らんちゅうの世界でも当時の時代背景をしっかりと把握しておかなければ過小評価してしまったり、逆に過大評価してしまいかねません。

そうならない為には当時の残された資料との付き合せや事象の検証は大変大切な作業になってきます。写真は特に当時の様子を克明に私たちに物語ってきます。

当時、情報が極端に少ない時代に宇野らんちゅうが他のらんちゅうと全然違っていたことに気が付くとそのすごさがじわりじわりと実感できるのです。宇野仁松はやはり革新的だったんです。
伝統の上に重層的に宇野仁松を位置付けなければいけないのではないでしょうか。

上記のことを多くの愛好家の方達に如何に伝えるか、を今考えています。

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コメント

以前、趣味誌に著名ブリーダーのF氏が『宇野系と言うても宇野先生にお会いした事も話しをした事もありません』と語っておられるました。宇野先生が亡くなられてあと数年で30年になります。宇野先生を知る人も少なくなって行き、知る人の記憶も薄らぎています。今、宇野仁松と言う人の凄さ伝えるのはその凄さ故に困難かと思います。今のうちに直接的に縁のあった人の話しとその金魚を後の世に残すのがせめてもの我々の務めなんでしょうねぇ!

投稿: ツネゴン | 2009年1月 7日 (水) 13時09分

ツネゴンさんこんばんは。
金魚を残すだけでは駄目なんだと思うんです。
どういうことかというと、宇野先生の血統は確かに綿々と残っているんです。多くの宇野系愛好家が残してくださっています。

先生が考えていたことやらんちゅう哲学は共通認識として残っているかというと、どうもそうではないみたいなんですよね。土台になる理念がみんな違うように感じるんです。

あれだけ先生は肉瘤ひとつをとってもやかましく言っていたはずなんですが・・・

またまた焼き物の話しで恐縮なんですが、つまらない李朝や、つまらない唐津があるように、要は基本としての宇野先生の残された言葉を如何にらんちゅうに反映させているか?なんだと思うんですよね。

投稿: ふんぺい | 2009年1月 7日 (水) 22時32分

宇野系らんちゅうと言うなら共通の理念や認識が無いと本来なら駄目ですねぇ ただ、これは本当に難しいと思います。これが出来るとするなら立場的にふんぺいさん貴方しかいません。いろんなしがらみがあると思いますが一日も早く共通の理念や認識を持った仲間のグループの創設をなさる事、お祈り致します。

投稿: ツネゴン | 2009年1月 8日 (木) 23時54分

ツネゴンさん、こんばんは~

あんまり持ち上げないでください(*^.^*)
たかだか10数年しからんちゅうやってない人間
が偉そうなこと出来ません~
共通の問題意識を持った仲間は自然と出来るもん
じゃないでしょうか。
確かに現存する系統をほぼ網羅して概観できる
環境になったのは確かですが・・・(^-^;

投稿: ふんぺい | 2009年1月 9日 (金) 00時23分

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