宇野先生は、「フナに戻る」とか「この形は原始的だ」ということを仰っていたそうです。「フナに戻る」とは、らんちゅうの祖先であるフナに体型が退化すること、すなわち原始的ということです。そのような傾向のあるらんちゅうは評価に値しない。または、改良されていないので好ましくないと警鐘を鳴らされていたようです。
具体的には、峰があるらんちゅうや尾が大きくなったらんちゅうなどで改良の方向性が違うというように仰っています。例はまだまだ一杯ありますが。
ブリーダーがその注意点をしっかり理解していないと、世代を重ねるごとにフナに戻ってしまうということなんですが、これがまたなかなか世間一般では理解できないみたいなんですね。
以前、どこぞの割とネットでも有名な錦鯉をされている先生と「フナに戻る」ということで議論になったことがあります。その先生はらんちゅうもかじっていらっしゃるんですが「「フナに戻るなんてありえない」とのたまってその真意を聞こうともされませんでした。錦鯉の世界ではありえない話しなんで考えが及ばなかったんでしょうね。
錦鯉って背びれ無しもでなけりゃ、コブのあるのも出ないし、例え出ても外道とか、邪道って言われて淘汰の対象ですから錦鯉のカテゴリーからはずれることはないですからね。
つまり、自然界の遺伝形質以上の変異体を認めないで改良されてきたものですから、錦鯉以下の奇形は純粋な奇形として淘汰されるんだと思うんです。証拠に川で錦鯉は真鯉と一緒に生きられますが、らんちゅうは人の手から離れれば生きていけません。和金は原始的な形態なんで生きられますよね。
らんちゅうといえども背びれが出るんですよね。フナ尾なんかこの頃は出ませんけど、組み合わせでは半分フナ尾が出たこともあるんです。
だからほっときゃフナに戻ることは確かなことなんだと私なんか思うわけです。
でね、らんちゅうの場合、だから進化させなきゃ退化するってことを言いたいのかって思うでしょ?実はそうじゃないんです。
進化とか退化って言葉、すごく危ういんじゃないの?って話しなんです。
厳密に生物学的に言うと、『進化』の対義語は、実は『退化』じゃないんですって話しなんです。『進化』の対義語は『退行』って言ったほうがいいようなんですね。進化の過程でいらなくなった器官が無くなることを『退化』って言うんですよ。人は太古に尻尾があったって言うじゃないですか。それが退化して尾てい骨があるんですよね。虫垂だってそうですよね。
学校などでは未だに『進化』の対義語は『退化』って教えてる場合があるようですが、この際、もう少し用語に気を使いたいものです。
ですから「フナに戻る」は「フナに退化」するのではなく、「フナに退行する」と言ったほうが良いですし、昔の方が「退化」と仰るのは「退行」と言い換えて考えたほうがいいのでしょう。
さらに三段ロケット目の言いたいことなんですが、フナ尾が出たり背びれの痕跡が出たり、尾がでかくなったり、峰になりやすいらんちゅうという生き物自体、そんなに不安定な遺伝形質しか持ち合わせていないものを「進化」というのはおこがましいって私は考えるわけです。生物学的に、「進化」という言葉はすごく納得できる言葉なんですが、それよりも「改良」って言葉のほうがまだ納得できると私は考えるんですが。
私の持論なんですが、『らんちゅうはゴムひもだ』って思っているんです。
ゴムひもを静かに置いている時をフナとします。引っ張って引っ張って理想とする形に伸ばす行為がらんちゅうで、その手を離すと元に戻ってまさしくフナに戻るって理論です。
だから伸ばす行為が「改良」なわけで、戻ることを「退行」(昔は退化って言ってたわけですが)ってことなんじゃないでしょうか。
そうなると「進化」てのは何って話しは、そのゴムが伸びきってもとに戻らない状態かなあ~
さらに言うと、らんちゅうのブリーディングって、そのゴムひもの伸びしろがある、すなわちらんちゅうとしての優秀な遺伝形質を持ち合わせたものを探す作業ってことなのかなって思っています。
宇野先生が仰っていたことをこのように考えると面白いんじゃないでしょうか。
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