« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

2009年1月

2009年1月31日 (土)

気付いていたY氏

京都金鱗会の会報に注目すべきことが掲載されていたのを思い出しました。
引用したいと思います。Y氏(個人名は伏せています)が発言されているのですが、簡単に書かれていますがすごいことです。

それで、何代か、はなしてかけていって、いいのが出た時に又もとのよい魚にかけていくというようにしています。これも犬を飼うてました時、系統のこといろいろ勉強しましたし、それを金魚に応用しているわけです。いろんな犬がかかって、何代かたつと、ちがう場所に、何代か前のいい系統、血統をうけついだ犬が必ず出てくるものですわ。金魚も同じようなことが言えると思います。

Fさんにいいのが出た時、「キョウダイ」をもらいますわな。それにうちのをかけます。ところがすぐにはいいもんが出る確率は悪いですわ。この時、みんな「こらいい仔がでなんだ」言うて、すててしまはりますわ。私は残しますのや。私はその仔の中から、尾がいがんでいても。オス二匹、メス二匹というふうに系統的に残していくわけです。それを親にして又、仔をひいて、系統を残していくのです。人がきて、「なんでこんな魚残しているのや」というので、「血統的に残しているのや」と言うても、その時はわかってくれしまへん。夏になって、仔を見せて「あの親から出たのやで」と言うと、みんなびっくりしますのや。この系統を残していくことをやる人がいまへんわ。いい系統の魚からそれが悪うても三代、四代交配をしんぼうしてやっていくうちにいいのがでますのや。1979 『金鱗』

纏めると

●犬の交配理論の応用
●Y氏は系統交配を体得されていたのが窺える 兄弟掛けや戻し交配
●1979年(昭和54年)当時に経験的に気が付いておられたと言える
●口では簡単に言えるが、実際に実践されていたから実績を残された
●「三代、四代」とは10年!!だということを心に刻むべき
●「尾がいがんでいても」の意味すること。種親とはを深く考えるべき

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年1月30日 (金)

科学的鑑賞術はあるか?

これってどういうふうに見えます?

Photo

上と下の直線部分の長さは?

直線部分の長さは、一緒なんですが上が長くて下が短く見えません?

これは古くから知られている認知心理学での錯視のサンプルです。

わたしたちは外界のものをありのままに目で見て認識していると思っていますが、色々な条件下では誤って見ているという簡単なサンプルなんです。

そのように見えてしまうということを把握していないと、おちおち鑑賞もしてられないと言いたんです。わたしたちは、目でものを見ていると思っていますが、本当は対象を網膜に投影してその投影したものを視神経を経由して脳に送り、脳で視覚を構築しているんですね。

Photo_2 一見すると六角形に見えますが、見えていると立体としての正四角形が見えてきます。しばらくするとその四角形も角度の違うもう一つの四角形が見えません?

ただの二次元の図形ですが、立体的な三次元の図形を脳は構築しているんです。立体の四角形が入れ替わるのも、この場合、判断しかねてランダムに入れ替わるんです。

矢印も四角形もわたしたちは無意識のうちに脳で瞬時に構築をしているわけなんで、そのような仕組みや癖を知っていないと思わぬ失敗をするのではないでしょうか。

鑑賞という個人の精神に委ねられた視覚の世界も、このような科学の分析の目を持つ事により客観性が増すのではないかと思っています。

現在、鑑賞術をこのような視点で論じられたものはありません。でも「鑑賞する」という態度を突き詰めないと、審査基準を数字化している場合などの客観性ってどこに根拠があるの?って話しになりません?

魚の見える見えないは、随分危うい世界にあることを認識して欲しいのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月29日 (木)

血統も大事だけど・・・

この頃ネットのオークションやらでよく「宇野系~」「京都筋~」と銘打って当歳が出てますけど、私は苦々しく思って見ています。ましてや二歳、親まで出ているんですが、こりゃどうも、、、ってのが多くて見ていて痛々しくもあります。

看板にだまされないでくださいね。確かに血統は大事なんですが、当歳なんかは親に似てこなかったらただのハネです。一腹から色々なタイプが出てくるんですから1尾だけ買っても意味ありません。せめて50尾は買って下さい。その中から1尾良いのが出たら当たりぐらいのつもりでいなきゃ残らないです。それも同じ腹でね。もう一つ注文を付けると種親が掲載されていないなら買う意味はないです。

ただ単に色が綺麗だとかの観賞用なら別にかまいません。誰でもブランドに憧れるのは分かりますし、それを所有して飼育することに意味を見出すのならそれでも結構です。

でも品評会の画像のような個体にはなりませんから。冷たいようですが・・・・
そのような個体を望むなら、しっかりとした人に教えてもらうか、会に入らないと無理です。

宇野仁松が理想としたらんちゅうが宇野らんちゅうです。その宇野らんちゅうがどんなものだったかを理解しなければただのらんちゅうなんです。ですから血統は当たり前。純系と言われる物からでも宇野らんちゅうじゃないものが一杯出ると考えたほうが良いです。
宇野仁松の理念というものを勉強しないといけないと思うんです。

初心者の方に言いたいのは、能書きにだまされないで下さいということ。この世界、血統書なんてありません。良い遺伝形質を持っているかは、ネットでは普通判らないです。飼育して親になって形質が発現しないと良否は判断できないんです。

そう考えてくると、親まで健康に飼う設備がまず大事だってことが分かるでしょ?スタートはそれからなんですよ。

勇気を出してくださいね。熱意のある方はウェルカムです。一緒に勉強しましょう!

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2009年1月28日 (水)

ふな尾は出るときゃ出る!

去年、5月下旬孵化させた腹なんですが、これが見事に半分フナ尾ってことがありました。はじめての経験です。フナ尾って一腹に何尾か今まで出た経験はありますが、これほど出たことはありません。

先祖帰りも甚だしいですね!でもこんなもんなんでしょう。らんちゅうの固定度ってやつは。それだけ遺伝形質が不安定なんだという証拠だと思うんですよね。一腹の半分くらいがフナ尾か差しなんですよ。

何かのきっかけ、トリガーを引くとそれまで抑えられていた形質が飛び出るって考えると納得しますね。

ですからブリーダーは安心してたらいけませんぜ!絶えず形質のチェックは怠り無く!
私は残りの半分の正常なやつはしっかり残してます。どうなるか検証しないとフナ尾が出るって話しで終わっちゃいますから。

Dsc_3427 左が正常、右がフナ尾軍団

Dsc_3428 見て見て!僕たちみんなフナ尾!!

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2009年1月27日 (火)

顔認識技術

昨日の朝日新聞夕刊に「顔認識技術」について紹介がありました。
この頃のデジカメなどで、カメラを向けると顔を自動認識してより良い表情が撮影できるってやつですね。各メーカーこぞって出ているので、どこが開発したのかな?って思っていたらオムロンが開発したみたいですね。

そこでフト考えたことですが、これって人間の顔だけ認識するんでしょうか?例えば犬や猫の顔も認識するんかな?って素朴に思ったんですね。ペットの顔も認識したら売上がもっと増えたりなんかして。

顔認識技術って随分と大変な技術みたいですね。角度が変わったりすると機械は認識してくれない。それをクリアーするために試行錯誤されているみたいですね。

かたや人間はどうかというと、人ごみの中でも知り合いを瞬時に見分けることが出来る。人間の持って生まれた能力はすごいものだと関心しますよね。

開発者曰く、美しい顔の基準は目、鼻、口の配列だそうです。そこで得意の方法で私はらんちゅうに引き寄せてそのことを考えるんですが、

●人間は顔を認識する類い稀な能力を持ち合わせている。

●その能力は、人以外の物体や生き物にも顔を発見してしまう。

●その生来の習性は、らんちゅうにも適用される。

●美しい顔の基準は、配列。

●従って、らんちゅうの顔も配列が重要。

さて、らんちゅうの顔の配列って? もうお分かりですね。そういうことなんです。

だからね、デジカメにらんちゅうの顔認識技術って搭載されたら面白いことになるのかな?って少しシニカルに考えたりしちゃうわけです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月24日 (土)

金魚三昧 第二号

旭東企画(三卯養魚場)さんの『金魚三昧 第二号』が発刊されます。
2月7日発刊。定価3000円

濃~い内容の硬派のスタンスで全編突っ走っていそうです。
見出し見ただけで凄そうですよ。

因みに『京都らんちゅうの系譜』も掲載です。宇野系の今まで語られていなかった部分なんで読み物としても面白いと思います。冬の夜長のお供にどうぞ~

Kingyozanmai2011 三卯さん、表紙の画像お借りしました~

見るからに硬派ですね!だって穂竜ですよ!表紙の金魚が!おっと上のほうにらんちゅうの画像が!!
高い本ですけど買って損はないと思います。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

盆栽とらんちゅう

盆栽って日本国内より海外で人気があると聞きます。

盆栽は「BONSAI」で、わたしたち日本人はおじいちゃんの趣味みたいなイメージを持っていますが、その評価は絶大だそうですね。最近はそれも見直され、国内でも盆栽に関する書籍やインテリアとして好評だそうです。

盆栽の特殊性は生き物を芸術としての高みにまで持っていっていること、だと思います。翻って「らんちゅうは芸術品」ということを時々聞きますが、ただ単に「美しいから」では芸術の域には達しないと思うんですよね。

盆栽がおじいちゃんの趣味に甘んじていたのはなぜか?

その主因は、明治時代に芸術としての規定を西欧に倣った(ならった)からだそうです。
日本文化をフェノロサと岡倉天心によって芸術(そもそも芸術という用語も西欧からですが)として規定する中で、仏像などは再評価されましたが、盆栽は滑り落ちたんですね。

西欧の芸術としてのカテゴリーの中には、生き物を芸術としてみなす例が無かったから。

西欧一辺倒の芸術の世界に、日本文化の独自性を盆栽は表現してくれていると考えると、同じ生き物を芸術として捉える『らんちゅう』も趣味の域を脱して、本当の意味での芸術の仲間入りも夢ではないのはないでしょうか。

ただ、そうなるには、あまりにも審美性が曖昧な現状と、美学的な分析がないことがネックになるのではないかと思うのです。

盆栽とらんちゅう、どちらも日本独特の文化ですよね。その文化を新しいフレームで規定していくという動きにらんちゅうも乗っていったららんちゅうという趣味の永続性も増すのでは?って思うんですよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月23日 (金)

宇野仁松を追う

宇野仁松という人物を追うことが、いつのまにか私のライフワークになってしまったみたいです。そんなつもりは全然無かったし、ただ単に良いらんちゅうを作りたいと思っていただけなんですけど・・・・

「宇野仁松なんて知らなくても別にらんちゅうが出来ないわけでもないし。」とか
「宇野仁松は過去の人だし、偉い人か分からないけどそれだけの話し。」とか
「自分が良い魚作れたらそれでいいんじゃない?」みたいな考え方を良く聞きますけど、どうやらそれだけではいけないんじゃないかってことがらんちゅうをやっていると何となく分かってきたりするのは私だけなんでしょうか。

上に書いたような考えの人が多いから、宇野仁松の全体像がぼやけて虚像が一人歩きしてしまうことになったのではないかとこの頃つくづく思うようになってます。色々調べたら色々出てくるんですよね。

●宇野仁松とは三代続いた家系?

●兄弟は?

●イサム・ノグチとの関係は?実際のところ・・・

●宇野仁松の作った焼き物のこと

●京都金鱗会との関係は?

●桜井副会長との関係は?

●松井博士との関係は?

●有力愛好家との関係は?

どの世界でも偉人には偉人伝があるのにこの世界はないんですよね。
世間ではマイナーだから?せめて知っておきたい知識にしたいです。
上の問いに関してはいずれ公表する機会があると思います。

天才が天才たる所以は、私たちが気がつかなかったことを最初に気付かせてくれる人だからだと思うのです。皆が気付いた後は当たり前になっちゃうんですが、以前と次元が変わったことに誰も気にとめないんでしょう。ニュートンしかり、ガリレオしかり、コペルニクスしかりですよね。

大げさに言っても、趣味の世界なんだからそこまでしなくても・・・・って思うのもあるんですが、らんちゅうがこの世から無くならない限り、少なくとも先人の偉業は正当に評価したいじゃありませんか?違います?
だってそうでなければ、今のらんちゅうも無かったんだし・・・遊ばせて貰っている以上、先人に敬意を表するのは当然だと思うんですよね~
みんなルーツを知りたくないのかな~??

なぜ大阪らんちゅうが絶滅したか?って宇野先生がものすごく関係しているのにほとんどの愛好家は知ろうとしないし・・・

「伝統の継承」って必要なんだと思うんですよ。
日本の歴史を知らないで現代は語れないでしょうし。根無し草で個人主義に還元してしまったのが今の日本の惨状じゃないですか!!

あら?あらぬ方向へ行きそうなんで今日はこの辺で。。。。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2009年1月22日 (木)

目を肥やすということ

大学時代、鉄ちゃんだった私はSLの撮影の為、全国を旅して回ってました。

当時はユースホステル(今でいう民宿みたいな)というのが流行っていて、安い宿泊料金で泊まり歩いていました。九州を訪問した時、そのホステルのご主人が仰っていたことが未だに心に残っています。

全くの素人ですが有田焼を土産に買いたいが良いものを安くで買う方法はありますか?

まず、軒を連ねた店のウィンドウショッピングをしなさい。その店の売りたいもの良いものなど代表するものがそこに並んでいるので、全て見て回ること。

すると、ポイントがなんとなく分かってくるから、それから店の中の良いものを自分なりに選んだらハズレないよ。

なるほど、目を肥やす簡単な方法とはこれだな?ってその時思いました。
まず良いと言われているものを見る。次にそれ以下のものを見る。そしたらハズレをつかまされない!

それと数多く見ること。これなんでしょうね。
なんとなくその持っている雰囲気ってあるでしょ?これが分かって来るんだと思うんです。
言葉に還元できないものなど。

それからというもの美術品、絵画など全ての私の鑑賞の基礎は『数多く良いものを見る』ということにしています。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2009年1月21日 (水)

論外の取り扱い方法

毎度このブログにお付き合いいただいてありがとうございます。

このブログ、自分で言うのもなんですが、取っ付きにくい人は本当に取っ付きにくいと思います。らんちゅうを始めたばっかりの方は馴染みにくいだろうなって思いながらやってます。ネットの世界って情報が氾濫していてどれを取捨選択したら分からないのも無理ないです。この玉石混交の情報から自分に役立つ情報を抜き出すことってなかなか出来るもんじゃないですよね。

それも得てして真の情報はネットの外にあることのほうが多かったりします。ネットは入り口と割り切って欲しいですね。昔はその入り口すら探し出すのに何年も掛かっていたんですから、ネットってその入り口を難なく探すという意味ではすごいことなんですよね。だからネットで全て分かったような気になって欲しくないです。

何故またブログなんて始めようって気になったかは、気まぐれもあるんですが、サイトが休止状態の中(ある意味サイトの当初の役目は終わったと思っている)、書籍などに情報発信の場を移した関係上、ふんぺいの思想背景などをお知りになりたい方も増えるんじゃないかと思ってやりはじめたんですね。書籍で書ききれなかったことなども補足できたらなんて思ってね。なんであんなことふんぺいは言うんだろう?とかを少しでも理解していただきたいんですよね。

私は映画好きなんですが、映画って監督で同じ題材でも作品にすると全然違ったものになるんですよね。するとその監督の周辺情報から今までの作品を見て、より一層その監督を知りたくなるんです。私が敬愛する監督は、やっぱり黒澤明、小津安二郎、市川昆。
外国ならスタンリー・キューブリック、フェデリコ・フェリーニ、リドリー・スコットなどなど。
同じことなんです、それと考え方は。私のらんちゅう仲間にもこんな話しはしたことないですけど・・・

らんちゅうや金魚に関して、ネットでもお目にかからない情報や考え方を「こんなのもあるじゃない」「こんな考え方したら面白いじゃん」みたいな提案やヒントになればって思っているんですよね。

だから『ふんぺいの周辺情報』で、より楽しんでいただこうというサービス精神のつもりなんですよ!受け取り方はさまざまでしょうけど、そんなつもりなんで、らんちゅうを中心に置きながらいろいろ脱線していって、それに文章にすると頭の中もまとまり易いんで、そーしてるわけです。

なんで、コメントもウェルカムです。但しメールでお答えしたほうが良いものには責任を持って返信させていただきます~

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月20日 (火)

アルビノから類推する

アルビノって生物一般にはありますよね。

遺伝子変異が原因でメラニン色素を体表に正常に配置できない個体をいうんですよね。金魚にもアルビノはありますね。目にだけ赤い色素があり、あとは半透明みたいなミューズとか。

金魚の場合、発色の為には二つの色素胞が関係しているそうです。赤色素胞と黄色素胞。で、金魚の体内ではその色素を作ることができません。その為体外から取り込まなければならないんですよね。主に植物プランクトンや餌から摂取されて体内の酵素によって化学変化をしながら鱗に沈着するというメカニズムなんですね。

アルビノから金魚の色素胞を遺伝的に類推すると、個体によって、黄色素胞しか持たないもの。赤色素胞しか持たないものがあるとも考えられます。どちらも持っているものもあるし個体差もあるでしょう。

個体差もありますが、遺伝変異としてホモ化しているものもあるようです。
宇野系でいう、猩猩(しょうじょう)は赤色素胞しか持っていなくて体表に黄色素胞を配置できない個体。金色筋とか薄口とか言われるのは、黄色素胞しか持ち合わせていない個体。そしてその中間。その中間っていうのは素赤口なんでしょう。

色で書けば赤→オレンジ→黄 見たいな感じかな?

ただし、先天的なものと後天的なものとの区別は実際のところ非常に難しく、飼育環境にかなり左右される部分も多くてこの区分けが有効なものかは懐疑的でもあるように思っています。当歳時での飼育が一生を左右する部分もあるみたいです。

ところがどの世界でも例外は必ずあるもので、3歳まで更紗だったのがその後素赤になったり、こればっかりは魚に聞かないと分からない部分でもあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月19日 (月)

冬越しと焼き物

こんな体験したことあります?

秋、「これぞ!」って思う個体に目をつけます。春にはきっともっと良くなると思いますよね。そして冬。青水になって魚は見えません。春までの辛抱。

やっと春です。ワクワクしながら第一回目の水換えです。魚を洗面器にあげて見てみますと、「あらら??」秋に目をつけていた魚が見当たりません。どうしたことか!よ~く見ると居ました!しょぼくれちゃってる!駄目だ~ がっくり。。。でも、あら?あらら!?「こんな魚居たっけ??」肉瘤がぼよ~んて出てきてて、幅もしっかり出てきているのが居るんですよ。なんて自分は見えないんだろうって、嬉しいやら情けないやら。

こんな体験、自分だけかと思ったらベテランの愛好家も一緒だったりするんですよね。ハネの池に良いのが居るってね。良く聞きます。魚が勝手に良くなるんです。

宇野系は一冬越すと良くなる。

つまりこういうことなんだと思うんですよ。池が魚を創ってくれる。前の話しではないですが、何にもしてないのに肉瘤があがったりするってことは、健康に飼っていさえすれば無理に作らずともポテンシャルがそうしてくれる。

冬場は餌を切ります。魚は絶食状態で痩せるばっかり。でも水の管理をしっかりしていたら植物プランクトンは絶えず口に入る。ほとんど新陳代謝はないので胃を素通りかもしくは少しだけ栄養になる。その栄養がほどよく体に付くか、頭に大目に回って肉瘤として蓄積される。冬場にしか出来ない飼育方法なのかも。。

それはともかくとして、私が考えていることは、らんちゅうの冬越しと焼き物の窯出しとの類似性なんです。

丹精こめて秋までに魚を作りこみます。その作業は焼き物の窯入れするまでの段階。
そして春、水換えをして魚を池から出します。焼き物を窯から出します。
計算づくでやっていても、焼き物も窯から出してみると、思ってもみない釉薬の掛かり方やひびの入り方(貫入)などがあり、陶芸家にとっても一番緊張する瞬間だそうですね。
そのように焼き物が変わることを「窯変」というそうです。

らんちゅうは窯変する。

らんちゅうが窯変するのも、どのように変化するかは天のみぞ知る、なんだと思うんです。そうなってくると必然的に、どのように変わるか見たくなるのが人情ってものですよね。そんな経験をしてると魚って捨てられなくなるんですよ。みんな結果を見たいから。で、どんどん池が増えるんですよ。それでどんどんらんちゅうにハマッて行くんですよね。

ふんぺい養魚場は今も増殖中!

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2009年1月17日 (土)

金魚を健康に飼うということ

ある有名な愛好家の話しです。
金魚ヘルペスウィルスが流行しだした時、ばたばたと魚が死んで行くのに、その愛好家の池は無事でした。「飼い方が下手だから死ぬ。うちは大丈夫。」って豪語されていました。でも、そのうちどうも既存の病気ではないということが段々知れ渡った頃、その愛好家の池も被害にあったんですね。

結局、ラッキーであっただけだったんです。品評会から帰った魚は隔離して様子を見るという作業がその後のらんちゅう愛好家にとって必須となりました。

しかし、有名愛好家の「飼い方が下手だから死ぬ。」はその通りなんだと思います。既存の病気でらんちゅうが死ぬのは飼い方が下手だから。その方は未知の病気の対抗措置を講じてなかっただけだったんだと思うんですよね。油断してただけ。

病気は原因が必ずあります。らんちゅうが死んだ時、簡単にウィルスに原因を求めると思考停止して真の原因を見逃してしまいます。ウィルスだけじゃなくて原因を外部に求めると駄目なんだと思うんです。

不幸にも死んだ時は、死んだと考えるんじゃなくて「殺した」と考えたほうが良いと思うんです。つまり、飼育者が「殺した」と。そう思えば、今まで無意識にやっていた世話の仕方や飼育環境に何か問題があったんじゃないかと本当の原因を探ることができるんじゃないかと思うんです。例えば、水換えの頻度など水の管理。水の管理でも水温の上下動などもありますし、水量不足や飼育匹数など振り返ってみれば沢山点検しないといけないことは一杯あります。それを一つづつ改善してなお原因が分からなければ、その時はじめて薬の使用を考えるべきだと思うんです。

ほとんどの場合、飼育者が知らぬ間に金魚を弱らせてそれでどうにもならないから薬を使う、薬を使って治らないからウィルスなどの外部のせいにしてしまっているのではないでしょうか。

じゃ、外部のせいにしないためにはどうするか?

金魚を健康に飼うための施設と管理点検技術をまず習得すること。

絶えず金魚の健康状態を把握していることなんだと思うんですよね。
それをクリアーしてないと原因などはいつになっても分からないんだと思うんです。
魚が弱っているから二次感染で原因をさらに複雑にしてしまっているなんて良くあることです。

だから、有名愛好家の方の豪語された「飼い方が下手だから」はその通りなんだと思うんです。それが出来てはじめて金魚は持っているポテンシャルを発揮してくれるんだと思うんですよね。

とか偉そうに言っても屋外飼育は点検項目が千変万化しますよね。臨機応変に色々と絶えず考えながら飼育しないといけないんですよね。私も自分の環境に慣れるまで随分と魚を殺しました。今も殺します。

らんちゅうは格闘技!! なおかつ山登り!!
ん?山登りってか?? これはまたのお話し。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年1月16日 (金)

「肉瘤考」裏話

昨日の続きです。

「K氏の魚」で書きましたように、その後京都の6そん(京都らんちゅう会の略)の会でまたまた衝撃を受けました。2000年のことです。魚は小さいのですが、見事な肉瘤の魚がいること!その時はじめてサイトに「肉瘤考」と題して文を掲載しました。今から読み返すと随分熱い割には支離滅裂で思いのたけをぶつけただけになってしまっていて読むに耐えない恥ずかしいものでした。

それから肉瘤に焦点を当て愛好家を訪問しながら、宇野先生の残された言葉を辿って、同じことを仰っていることに意を強くして、『金魚三昧』にサイト版から大幅に加筆訂正した「肉瘤考」を発表することになったんですね。
その導入部分にはらんちゅうのレゾンデートル(存在意義)から解きほぐし、らんちゅうとはなんぞや?を深く知ってもらいたく、肉瘤の各部位を詳細に書きました。愛好家が同じ共通認識の上で用語が統一できれば良いなという意図から書いたんですが、読者の方はわかってもらえたんでしょうか、それが心配です。。。

聞くところによると、協会系をされてる愛好家からの評判が良いそうです。それはどういうこと??うかうかしてられません~(^^;)

6そんの魚の画像をアップしますのでキャプションも含めて見てください。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年1月14日 (水)

K氏の魚

琵琶湖金鱗会に入会してまだ間もない頃、先輩会員さんの池を見て回っていました。
そんな中、私が衝撃を受けた池がK氏の池の魚です。その時に「なにこれ!!?」ってぐらい見たこともない魚がいるのに驚いたんです。目下から前に「どんだけ~?」って叫びたくなるぐらい肉瘤が出ている魚が2尾居て、どう見ても他の魚と違っていたんですね。まるで団扇みたいにすごい頭で、これだけ出ている魚は、そのあと6そんの会でも見るんですが、もうその頃は「これだ!」って思いました。

結構大きな魚なんです。6そんのは小さかったですが、これはそりゃもう迫力ってハンパじゃなかったんです。その時気付いたんです。「らんちゅうは頭なんだ」って。そりゃ実物を見ないと分からないです。これが「肉瘤考」を書く動機になった一番最初の出来事なんですね。

同じように餌をやっていて肉瘤が出るのと出ないのとがありますよね。ということは極論すれば飼育技術じゃないんだと私は思っています。ある程度は出ますが、K氏の魚のようには絶対出ません。遺伝するんですよ、やっぱり・・・

で、K氏はその魚で仔を取ったそうですが同じようなタイプが出なかったそうです。でもね、遺伝の法則からすると次世代は出ないことが多いんですよね。だから本当はしつこく次次世代まで取らなきゃいけなかったんじゃないでしょうか。K氏の池にはこのタイプはこの2尾で途絶えてしまったんです。貰ったら良かった・・・(^^;)

Ko1 Ko3 Ko6

| | コメント (0) | トラックバック (0)

A氏の魚

2001年のこと、名神、中国自動車道を走ってA氏の魚を拝見しに行きました。
池を見て驚きました。なんとまあ、良い顔をしているらんちゅうだこと!
未だに忘れません。あの頭の質はそうそう見られません。

「池を見るなら親を見せてもらえ」というのが先輩の口癖。
いくら化ける前の当歳を見ても宇野系は意味が無い。血統を追うなら親を見ないと始まらない。親でその愛好家の真価が分かるというものです。

「うちは素赤が多い」と仰っていましたが、素赤を大事にされている愛好家に良い魚がいるのは色々な愛好家を訪問して感じたことの一つです。

15 5

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月12日 (月)

背びれのない魚・・らんちゅう

随分前に書きかけたエッセーみたいな文をご紹介。
読み返してみるとビビッドな文章で、何が書きたいのかわかりませ~ん。
いきなり体言止めだぁ~!!
蔵出ししておきます~

 背びれの無い魚。なんとも奇妙な魚が私達の身近にいるのは金魚愛好家にとっては周知の事実。一般的に魚には背びれがあるのが当たり前。なのに背びれがないのだから見れば見るほど不思議で、普通に背びれのある魚に比べて泳ぎがすこぶる下手くそで、ぎこちなくなるのは流体力学の力を借りなくても分かりきったことですね。

 泳ぎが下手くそということは、魚にとって致命的で自然界では数いる天敵の餌になり存在することは皆無に等しいはずです。それが何故か今日まで生き延びて、種を絶やさないでいるということは、全く持って不思議な光景であり、空前絶後の大したことなのだと思わなければなりません。

 それも赤い魚で目立たないはずがないいでたちで、天敵からは真っ先に狙われるはずが、奇妙な人間という、場合によっては一番たちの悪い天敵の手によって今日まで大事に生き延びさせられてきたのは、人間の気まぐれ以外に考えられないと言えるのではないでしょうか。

 さらに、穿った見方をすれば、もしかしたら、今日まで金魚がこれほどまでに人間を虜にするということは、金魚の生き延びるための戦略!!なのかもしれません。これだけ変化に富むその遺伝の変異性も色や形を変化させて人間が飽きないように金魚の側で任意に考えて、種の保存を図ってきたのではないかと思えないでしょうか。

 その人間との共生関係も随分と手が込んでいる割には、人間の目を楽しませるだけで、人間がこの世に存在しなくなれば、即座に絶滅してしまうという危なっかしい戦略であることだけは確かです。

で、どうよ!ってとこで終わってるんで話しが広がりすぎて書くのやめちゃったんでしょう。
う~ん、30点!

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年1月11日 (日)

らんちゅうはゴムひも

宇野先生は、「フナに戻る」とか「この形は原始的だ」ということを仰っていたそうです。「フナに戻る」とは、らんちゅうの祖先であるフナに体型が退化すること、すなわち原始的ということです。そのような傾向のあるらんちゅうは評価に値しない。または、改良されていないので好ましくないと警鐘を鳴らされていたようです。

具体的には、峰があるらんちゅうや尾が大きくなったらんちゅうなどで改良の方向性が違うというように仰っています。例はまだまだ一杯ありますが。

ブリーダーがその注意点をしっかり理解していないと、世代を重ねるごとにフナに戻ってしまうということなんですが、これがまたなかなか世間一般では理解できないみたいなんですね。

以前、どこぞの割とネットでも有名な錦鯉をされている先生と「フナに戻る」ということで議論になったことがあります。その先生はらんちゅうもかじっていらっしゃるんですが「「フナに戻るなんてありえない」とのたまってその真意を聞こうともされませんでした。錦鯉の世界ではありえない話しなんで考えが及ばなかったんでしょうね。

錦鯉って背びれ無しもでなけりゃ、コブのあるのも出ないし、例え出ても外道とか、邪道って言われて淘汰の対象ですから錦鯉のカテゴリーからはずれることはないですからね。
つまり、自然界の遺伝形質以上の変異体を認めないで改良されてきたものですから、錦鯉以下の奇形は純粋な奇形として淘汰されるんだと思うんです。証拠に川で錦鯉は真鯉と一緒に生きられますが、らんちゅうは人の手から離れれば生きていけません。和金は原始的な形態なんで生きられますよね。

らんちゅうといえども背びれが出るんですよね。フナ尾なんかこの頃は出ませんけど、組み合わせでは半分フナ尾が出たこともあるんです。
だからほっときゃフナに戻ることは確かなことなんだと私なんか思うわけです。

でね、らんちゅうの場合、だから進化させなきゃ退化するってことを言いたいのかって思うでしょ?実はそうじゃないんです。

進化とか退化って言葉、すごく危ういんじゃないの?って話しなんです。
厳密に生物学的に言うと、『進化』の対義語は、実は『退化』じゃないんですって話しなんです。『進化』の対義語は『退行』って言ったほうがいいようなんですね。進化の過程でいらなくなった器官が無くなることを『退化』って言うんですよ。人は太古に尻尾があったって言うじゃないですか。それが退化して尾てい骨があるんですよね。虫垂だってそうですよね。
学校などでは未だに『進化』の対義語は『退化』って教えてる場合があるようですが、この際、もう少し用語に気を使いたいものです。

ですから「フナに戻る」は「フナに退化」するのではなく、「フナに退行する」と言ったほうが良いですし、昔の方が「退化」と仰るのは「退行」と言い換えて考えたほうがいいのでしょう。

さらに三段ロケット目の言いたいことなんですが、フナ尾が出たり背びれの痕跡が出たり、尾がでかくなったり、峰になりやすいらんちゅうという生き物自体、そんなに不安定な遺伝形質しか持ち合わせていないものを「進化」というのはおこがましいって私は考えるわけです。生物学的に、「進化」という言葉はすごく納得できる言葉なんですが、それよりも「改良」って言葉のほうがまだ納得できると私は考えるんですが。

私の持論なんですが、『らんちゅうはゴムひもだ』って思っているんです。
ゴムひもを静かに置いている時をフナとします。引っ張って引っ張って理想とする形に伸ばす行為がらんちゅうで、その手を離すと元に戻ってまさしくフナに戻るって理論です。
だから伸ばす行為が「改良」なわけで、戻ることを「退行」(昔は退化って言ってたわけですが)ってことなんじゃないでしょうか。
そうなると「進化」てのは何って話しは、そのゴムが伸びきってもとに戻らない状態かなあ~
さらに言うと、らんちゅうのブリーディングって、そのゴムひもの伸びしろがある、すなわちらんちゅうとしての優秀な遺伝形質を持ち合わせたものを探す作業ってことなのかなって思っています。

宇野先生が仰っていたことをこのように考えると面白いんじゃないでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月 9日 (金)

なぜ??

私の癖はなぜ?ってすぐ考えちゃうことです。

たとえば、
ナゼ?更紗の金魚は綺麗に見えるんだろう?

ナゼ?白い洗面器に魚を入れると魚が綺麗に見えるんだろう?
叩きズラ(池に泳ぐ魚の見え方)と白い洗面器では全然魚が違うように見えません?

ナゼ?らんちゅうは魚類としては必要のないコブが出来るんだろう?

ナゼ?ナゼ?・・・そうやって考えるとらんちゅうの世界は一杯「ナゼ?」があってそりゃもう大変!!

私の記憶では、病気の時の塩の効用なんて誰も教えてくれませんでした。
ネットでいくら調べても出てこないし。仕方ないから自分で専門書を漁ってそれに該当する部分を抜き出してサイトに書いたのを覚えています。
淡水魚なのになんで塩入れりゃ病気が治るって普通に考えても理解できないと思いません?

病気が治るメカニズムを知らなきゃ半信半疑でやってても仕方ないことですし、
応用もきかないですよね!応用がきかないってことは進歩しないってことでしょうし。
何となく病気が治ってもらっては困るんです。

でも昔はそれで良かったんだと思います。師匠に「塩入れりゃ治るんや!つべこべ言わずそうしろ!」って言われればそれまでだったんですから。つまり師匠も分かってなかったんだと思うんですよ。師匠は経験則で分かってはいたんでしょうが、今の人はそれじゃ納得しないでしょうしね。

科学は再現性のある法則を自然界から見つけ出す学問です。
でそのためには「気付き」が大切で、気付いたことを言葉で他の人に伝えることで社会が発展することに繋がってきたんだと思います。

たかが趣味でそんなこと求める必要ないんじゃないの?って意見もありますが、
それを堂々とやってきたのが松井先生だったりして、それが『科学と趣味からみた金魚の研究』なんてとんでもない本になったりなんかしてるわけですよね。それも昭和のはじめなんですから恐れ入ります。

そうそう!全然話しは変わりますが、魚類って眼がいいんですよね。
眼がいいとは、人より色の識別できる範囲が広いんだそうです。
だから熱帯魚はあんなに綺麗な色をしてるんですね。なんで熱帯魚が綺麗なのかと言え、水の透明度が高く、太陽光の輝度が高いからなんでしょうね。
その証拠に寒い海域の魚類は薄ら寒い色してますよね。

で金魚は・・・って話しはまたの機会で。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年1月 7日 (水)

冬はこんな感じ

昨年末、水槽に被せた網を全て更新しました。

木枠で作っていたので、その木が腐ってもうボロボロでした。

塩ビパイプとトリカルネットをインシュロックタイで接合しています。インシュロックタイは荷造り用の一回ピリピリと結ぶというか引っ張ると、もう抜けないってやつです。
う~ん、なかなかビューティフル!
トリカルネットは金魚が見やすいですねえ~

うちは池に覆いはしてません。エアーも掛けっぱなしです。
この寒空に池を見ては網の出来映えに悦にいっております。

画像をアップしておきますのでご覧ください、こんな感じ~

| | コメント (0) | トラックバック (0)

宇野仁松がなぜスゴイか?

ネットで簡単に情報を集められ、多くの蓄積された書籍に当たることが出来る現代に私たちは慣れ過ぎていると思うのです。今の尺度と常識で宇野先生のご活躍された時代を想像しては、宇野仁松という人物を見誤ります。

焼き物の世界には、織部焼なるものがあります。室町末期に能阿弥という「唐物数寄」の権威が居て、侘び茶を考案した村田珠光、そして武野紹鴎、千利休と続くその流れから古田織部が茶の世界に革命を起こした焼き物と言われています。「へうげもの」という時代の風潮を鋭く茶の湯の世界に導入した人物なんですが、織部様式は独特の世界観を表出したのですが、とんでもなく独創性のある現代でも通じる美を醸し出しています。しかし、それは侘び茶という歴史を振り返り、時代背景をしっかりと認識していないと、あたかも突然に出てきたように思われます。でも千利休が居て武野紹鴎が居なければ織部様式は無かったのだと思うのです。

同様に、らんちゅうの世界でも当時の時代背景をしっかりと把握しておかなければ過小評価してしまったり、逆に過大評価してしまいかねません。

そうならない為には当時の残された資料との付き合せや事象の検証は大変大切な作業になってきます。写真は特に当時の様子を克明に私たちに物語ってきます。

当時、情報が極端に少ない時代に宇野らんちゅうが他のらんちゅうと全然違っていたことに気が付くとそのすごさがじわりじわりと実感できるのです。宇野仁松はやはり革新的だったんです。
伝統の上に重層的に宇野仁松を位置付けなければいけないのではないでしょうか。

上記のことを多くの愛好家の方達に如何に伝えるか、を今考えています。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年1月 6日 (火)

読了した書籍

こんな本読んでます。

『ひらめきの導火線』 茂木健一郎 PHP新書

『脳のからくり』 茂木健一郎 新潮文庫

『文科系のためのDNA入門』 武村政春 ちくま新書

『眼はなにを見ているか』 池田光男 平凡社

『どうして色は見えるのか』 池田光男・芦澤昌子 平凡社

『エピジェネティクス入門』 佐々木裕之 岩波書店

『人はなぜ「美しい」がわかるのか』 橋本治 ちくま新書

『「かわいい」論』 四方田犬彦 ちくま新書

『美を脳から考える』 インゴ・レンチェラー、バーバラ・ヘルツバーガー、デイビッド・エプスタイン 新曜社

『脳は美をいかに感じるか』 セミール・ゼキ 日本経済新聞社

『脳は絵をどのように理解するか=絵画の認知科学』 ロバート・L・ソルソ 新曜社

こんな感じです。興味の赴くまま買って読みかけはまだまだ一杯ありますけど・・・

なんか傾向分かりますよね!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月 4日 (日)

桜井良平氏のこと

金魚をやり始めた頃、片っ端から本を集めました。書店に出回っている本はほぼ網羅してそれでも飽き足らず古本を買い漁っていました。とにかく情報が欲しかったんですね。

そうこうしていて件のハウツー本のネタ本って松井佳一先生の『科学と趣味からみた金魚の研究』だと判り、その粋を脱する本が無いのも判りました。この本を越える本は絶対に出てこないでしょうし、あれだけ執拗に金魚を掘り下げた本は奇跡としかいいようがありません。

で、らんちゅうをはじめた頃は、大野三男氏の『金魚の飼育と繁殖らんちゅう中心』にどれだけ助けられたものでしょう。

絶版の本で「これはすごい!」と思ったのは、桜井良平氏の『金魚入門』『金魚百科』ですね。桜井氏の平易な文章と貴重な画像とともに内容はとにかくいいです。ネットのオークションで高値で売買されるのも頷ける内容なんです。「馴育(じゅんいく)」ということを説いていらして、平たく言うと、金魚は飼い主に馴れるものでそうすることによって魚の生理を理解しながら健康に飼育することを第一にしなさいってことなんです。

『金魚入門』も『金魚百科』も松井先生が全て推敲されたそうですね。そうなんです。つまりお二人は師弟関係でもありましたし、ちゃんと松井先生のお墨付きの両書だったんですね。

京都金鱗会の貴重な写真も全て桜井氏が撮影され、往年の金魚の写真は今となってはお目にかかれない私たちのルーツの魚が掲載されているんですね。その頃は宇野系とは呼ばれてなかった時代の魚です。

桜井氏と言えば、桜井光悦氏を抜きには話しが出来ないんですね。桜井良平氏の伯父が光悦氏で京都金鱗会の副会長をされていて、当時、京都の老舗百貨店「丸物」の社長をされていた方なんですが、この方の影響で金魚にのめり込んだそうなんですね。

光悦氏と宇野先生は両輪の如くで「京都の魚」の黄金期はこのお二人があってはじめて成立したようです。とにかく良平氏の書籍には光悦氏の池や金魚がとにかく一杯出てきているんです。

書けばそれこそ何ページにも渡って書くことがあるんですが、今日はこれぐらいにしておきます。気が向いたらこの続きを・・・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月 3日 (土)

魚にとって鱗は鎧のようなもの。外部からの細菌の進入や皮膚の傷つきを防御する大事なパーツですね。

鱗の上には薄い膜が張られていて、金魚の調子が崩れるとその膜を形成する粘液の分泌が不活性化して細菌の進入しやすい状態になります。触ったらヌルヌルしているあれですね。

稚魚の時には鱗はまだ出来ていなくて尻尾のあたりから徐々に出来て腹から背に向けて最終的に体の左右から背のテッペンで体を包むように形成されるのですが、ややもすると背の一番上で形成される時に餌をやりすぎて鱗並びが悪くなることがあるので注意が必要と良く言われます。

背のテッペンで左右から鱗が出来つつある時に、体のほうが成長しすぎていて、「あら?ここは鱗一枚でいいのに二枚分のスペースがある!」ってなると鱗がでかくなるか、辻褄が合わなくて魚のほうが混乱して鱗が乱れるみたいです。

らんちゅうの場合、背びれがないのでここが乱れるとなんとも言い様のない不細工になっちゃうわけですが、やたらこの時期に餌をやりゃいいって訳でないこともわかっていただけると思います。

鱗の画像をマイフォトに何枚かアップしておきますんで見てください。こんななんです。

当歳でも背の頂上部は鱗がまだ出来てませんね~

それからもう一つ。上見で左右の側線部間の鱗の枚数はどんならんちゅうも枚数はほぼ同じ。10枚から12枚。数え間違いもありますが、12枚あったらその魚は大事にしたほうが良いかも・・・・2列多いってことは鱗が細かくびっちりと付いてすごく綺麗なはず。

まあしかし、魚が大きければその分鱗もでかいで間違いないみたいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月 1日 (木)

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

大晦日の日替わり30分前に帰宅で慌しく新年を迎えました。元日も出勤です。(^-^;

毎年のことながら盆も正月もない仕事なんで季節感がイマイチ感じられません。1月には『金魚三昧第二号』が出版されます。創刊号に引き続き「金魚放談」の後編が掲載されます。私はほとんどしゃべってません。。川田氏と杉野氏の放談が見ものです。お二人ともこの趣味をはじめた頃からの知り合いでこのような対談が実現するとは思いもよりませんでした。川田氏は金魚全般を広範に鳥瞰される立場から物事を見ることが出来るマルチな才能の持ち主です。杉野さんは、知る人ぞ知る今ではグッピー界の総本山的な御仁で、さらには金魚にもことのほか造詣の深い方です。

今回も前号に引き続き寄稿してまして、「京都らんちゅうの系譜」なる拙文が掲載予定です。宇野系初心者には少し難しいとは思いますが、何年かして読み返してもらうとナルホドと理解していただけるのではないかと思っています。

そうそう!『金魚伝承』も出ましたね。表紙はなんと!京都金鱗会のK氏の魚。見事ですね~ これもまた京都らんちゅうの一つの到達点なのではないでしょうか。だから奇しくも同時期に掲載される「京都らんちゅうの系譜」は系統を追う愛好家にはきっとヒントが沢山あると自負してます。

本年もよろしくお願いいたします。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »