ふんぺいは執筆活動をしている関係上、一つの事柄に関しても出来る限りの公平性を保つため、利害関係にある対立する二者がある場合、どちらの意見も聞くようにしています。
公開した文章に対してのご批判に関しても甘んじてお受けして、今後の文章に反映させたいと考えています。より精度を高めて事実を検証したいと思っていますが、如何せん、手弁当で趣味の範囲内でやっているものですから限界も生じます。機会が無くてお話しがなかなか出来ない方や、過去を詮索することを嫌う方もいらっしゃるようです。
出来る限り、文章に関しても表現方法を吟味して書いているのですが、一度活字になると訂正は容易ではありません。だからと言って誤解や誤謬を恐れて何も表現しない、書かないということでは何も始まりませんし、その時点で判り得たことを公開しないのは信義に反すると思っています。
少なくとも知りえたことは公開するべきですし、一部の方が特権的に情報を独占することにはアマチュアである以上ナンセンスだと思っています。調査した中で信憑性のある事実に関して、事実が一部の方に都合の悪いことだとしても、大多数にとっては大いに利益になりうると判断できて、なおかつ客観性があればそれは公開するべきと思うのです。
書くことによっての批判はどうしてもあるものと思っています。波風のない池に石を投げ入れれば、当然波紋は起こります。石を投げ込むという行為を誰かがしなければ、現状の宇野らんちゅうは、次第に衰退していくのではないかという危機意識を持っています。放置しておけば状況は何も変わることはないでしょうし、いずれ飼育者が減って大阪らんちゅうのように絶滅してしまうことになるのは必定だと考えます。
決して「沈黙は金なり」ではないと思うのです。黙っていれば良いというような時代ではないはずです。問題提議をすることによって隠されていた本当の事実が発掘されることもあるだろうし、そのような作業を丹念に積み重ねるべきなんだと思うのです。
宇野らんちゅうの知名度が上がれば当然便乗する輩も出てきます。それをより正確な情報を絶えず発信することによって阻止しながら、より正しいと思われる方向性を例示していくことが何よりも大切とふんぺいは考えるのです。
全てのことに「裏を取る」という取材姿勢は大事ですが、だからと言って大枠で正しいことを瑣末な表現方法に左右され、書き損じることのほうが損失は大きいと考えます。当然、読む側の読解力も試されているということをお忘れなく。何よりも宇野らんちゅうの正常な発展にとっての大義を優先するべきと考えるのです。
「こんな考え方もあるよ」「おまえの考えは違う、本当はこうだよ」という建設的な意見の応酬が何よりも大切なのではないでしょうか。そして、謙虚な態度。無知による傲慢が最も扱い難いんですよね。厄介なのは、凝り固まってイデオロギー化してしまった教条的な“らんちゅう至上主義”なのだと思うのです。
基本的にネットの情報は即効性のある表面的なものが大半です。吟味された体系的な信用度の高い情報は、どちらかというと、出版という媒体に譲るものと考えます。ネットでの匿名性が真摯に趣味を追求する愛好家の思いを台無しにしていることに早く気付くべきではないでしょうか。
宇野系らんちゅうの健全な発展とはいかなるものなのか?
これだけ情報が氾濫している世の中において、正当な理由なしに情報を遮断するのはナンセンスです。情報を公開する姿勢を示さない限りにおいては、当事者は不利になるのに決まっています。だからこそ以前の社会(趣味の社会といえども)のように『知らんぷり』や『沈黙』を守ることは決して得策といえないのです。自分の正当性を主張したいのであれば積極的に語ることが必要でしょう。
一部の会派のみに偏ることのないような目配せをしながらの活動をしていますが、宇野らんちゅうの会派の垣根を越えて横断的に俯瞰できる目線で多くの方にその存在を認知してもらう必要があるのでしょうね。まだまだ足りないことばかりです。
ですので、ふんぺいのスタンスを是非判って欲しいと思っています。賛否両論を恐れずに発言することを通じて、全ての宇野らんちゅう愛好家に容認していただきつつ、共通認識を構築して次のステップを踏む。これが進むべき方向なのではないでしょうか。
今の場所に安住しているとらんちゅうはフナに戻ってしまうのに決まってますから。
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